「こんな出会いもいいではないか」 プチ続編
9.バレンタイン後




「ーどうしたもんかね」
気鬱な一声と共に吐き出されたため息は、締め切った果恵の自室で悉く浮かんでは消えた。
大学に入ることになって借りたこの学生用の賃貸マンションは、いつもは気楽な部屋の主らしい居心地の良い空間であったはずだが。 ここ一週間はため息ばかりが蓄積される、かわいそうな部屋になりつつある。これではいけない、絶対にいけないんだ。
いけないといいつつ、果恵は早速新しいため息を吐き出す。いい加減その悪循環から抜け出したくて、果恵は口にふたをするが如くクッションを抱えてベッドへとダイブした。
一人暮らしの果恵だから、はしたないとたしなめるものは誰もいない。それを言いことに、クッションを抱えたままベッドの上で転げもだえた。―それでも、どうしても。果恵の意識は、自然とある場所へと向いてしまうから。
「っう、あぁ!もう」
誰も聞いていないのを言いことに、盛大にうろたえ叫んで、果恵は恨めしげにそれを睨んだ。備え付けのシンクの横に佇む、真っ白の小型冷蔵庫。二月になってしばらくして、この何の変哲も無い一人身用の冷蔵庫がいつになく果恵の意識を悉く奪っていく。正確に言えば、それは冷蔵庫というよりも、冷蔵庫の中身である。
(なんなんだ私。どうしてまた、なんで)
チョコレートなんて、買ってしまったんだろうか。
(違う!あれは本当に本当に偶然で)
そうだ、大学の友人達に向けた友チョコを求めて二月の街へ押しかけたのは事実である。友チョコという気安さも手伝い、デパートの特設コーナーではなく、若年層に人気のグッズ店の軒先をうろついていたのだが。やはりどこもきちんとバレンタイン用の特設コーナーが設けられていて、わりと気安い値段のそれらに釣られるように果恵は多少可愛さが先立つ受け狙いのチョコレートを物色していた。あげる人間のことを想定して買い物をするのは、酷く楽しい。口元を緩ませさえして物色していたら、いつのまにか受け狙いのコーナーから外れて本命チョコらしきコーナーのところへ流れてきていたようだ。どこそこの有名パティシエプロデュースやら、なにがしの酒造とコラボ商品だとかいったものが、いかにも高級そうな装いで鎮座ましましていた。だから慌てて軌道修正をはかろうと思ったのだ。その矢先、果恵の視線をあるチョコレートの説明ボードを掠めてしまった。今思えば、それが第一の誤りだ。第二の誤りは、それに気を取られて立ち止まってしまった事に間違いない。それはここ数年の間に王道の一つに入ってしまった、焼酎が入ったチョコレートだった。
そこまではまだ、それほど変哲の無い事柄だ。問題は、ここからだったのだ。
なんでか知らないが、あの顔が思い浮かんだ。果恵の事を友人といい続ける、一人の社会科教諭である。家持章仁という名のその癖ある"友人"を。気がつけば、そのチョコレートは我が家の冷蔵庫に保存してあった。
もはや、 出来心だったと言いきれない。
(でも、渡さなかったんだけどね)
渡せるわけが無い。友チョコといって渡すのも何か違う気がするし、この包装と値段は友チョコというには少しばかり苦しいような気がしたのだ。更に言えば、バレンタイン当日に会う予定はなかった。それなのに、わざわざ呼び出してきてもらって、チョコレートを渡す。その一連の意味を考えて、思考が白旗をあげ全力で逃げ出したのだ。よって、家持宛てのチョコレートは、バレンタインから一週間以上たった今もまだ果恵の家にある。食べてしまえばいいのに、それもできずに。
(だいたい、なんで私はあの人にチョコレート渡さないと…。というか、お菓子あげるくらいで、どうしてこんなうだうだと!?)
あぁ、いやだ。考えたくない。
ベッドで悶えるのももう疲れた。降伏のため息を漏らして、果恵は疲れた頭でぼんやりと考えた。
「本当に、あの人って私の何なの」
答えを欲しいようで欲しくない。身のうちからでたはずの切実なその問いを、果恵は目を強く閉じる事で聞き流した。

 (2008年2月23日〜3月14日)
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