Dear Your Majesty プチ番外編
*本編よりも後の話しです。また本編の世界でバレンタインディなどはないです。なのでこの番外編は本編と少し違ったパラレルとして受け取ってくだされば幸いです*
「何をしている…?」
「あ、陛下」
後ろからかけられた声に、エルファは振り返った。
ちょっと前までは、相手方のその魅惑的すぎる声故に、唐突に話しかけられるとエルファは常に飛び上がりそうになっていたのだが、慣れとは誰にでもやってくるものらしい。
最近は、そこまでまごつかなくなっていた。
それにしても、ここはエルファにあてがわれた部屋でも、はたまたライナスが住む最高階にある王族の居住地区でもなんでもない。
王城の半地下に位置する巨大な厨房の片隅だ。
それなのに突然現れた彼に驚きを隠せないでいれば、エルファのその表情から悟ったのか、ライナスは少し憮然とした表情で人差し指をぞんざいにエルファの手元へとつきつけた。
「それだ、その匂いが城中に充満している」
もしこの場に、若き国王の甥である貴公子がいたならば、皮肉めいた口調で「へぇ?こんなに大きな城の中で、そこまで匂いがわかるなんて、君はいつから犬並の嗅覚を手に入れたのだい」ときりつけるところだ。
が、いかんせんライナスと現在対峙しているのは、エルファである。
根が真面目で、それどころか国王陛下というライナスに少しばかり苦手意識も覚えている彼女は何の疑いも無く彼の言葉を受け入れ慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい。そこまで強く匂っているとは思わなくて」
「いや。何をしていたのだ」
比較的穏やかに尋ねられて、エルファは手元の鍋へと視線を注いだ。
滑らかな光沢を発した焦げ茶の液体。
ふんわりと鼻先を掠める上品なカカオの匂いは、間違いようもなくチョコレートだった。
「もうすぐヴァレンタインですから。あ、あの、弟に。それから父にもあげようと思って」
「……」
「エヴァンス様が気にしなくていいから、いつものように家族に作ってあげなさいと。届ける手配はするからとありがたくも勿体無い言葉を頂いたので、折角ならお言葉に甘えようと思って」
エルファは大きな木べらで鍋の底の辺りでざっくりとかき回しながら、家に残してきた家族のこと思い出す。
歳の離れた弟は特に甘いものが大好きで、いつもエルファが作るチョコレートを諸手をあげて歓迎してくれる。
父だって、いつも陽気に笑って感謝のキスをくれるのだ。
今回は二人の笑顔こそ見れないが、きっと届けたら喜んでくれるにちがいない。
そんな気持ちが、エルファを無意識に笑顔にさせていた。
「………父と弟の分だけにしては、やけに多いな」
ポツリと呟かれたライナスの言葉に、エルファはああと呟いてもう一度鍋を見た。確かに多いが、エルファにはそれでもこれで足りるかどうか心配だった
「いつもお世話になっているクレーラさんや、メイド長。それから厨房の方に護衛の方などお世話になっている方々にもどうせならあげたいと思って、大目に作っているんです」
エヴァンス様にも用意しないとと呟いてから、エルファは手元に影が堕ちたのに気付いた。
「…陛下?」
「ライナスだ」
先ほどよりも近い位置、エルファの真横に寄り添っている男は、どこか壮絶に機嫌が悪いように見える。
首を傾げるエルファは、それでもこれ以上の機嫌の低下を防ぐために、渋々彼の意に従った。
「―どうなさったんですか、ライナス様」
焦がさないように一定的に木べらを持つ手を大きく動かしながら、エルファはライナスの神秘的な瞳を覗き込む。
人をひれ伏す力を持ったその瞳が常よりも確かに剣呑でいて危険な甘さがある。エルファは本能が叫ぶ警告に迷わず従い、一歩大きく退いたがどうにもこうにも遅かった。
「あ…っ」
腰が、力強い動作でひきつけられた。
あまりに突然の勢いにまけて手放してしまった木べらが底の深い壺のような鍋にずるずると沈んでいく音をエルファはライナスの腕の中で聞いた。
「へ、へい…」
「―俺の分は?」
「……え…陛下の、分…ですか?」
低い、魅惑的な声が耳元に落される。美酒よりもかぐわしいそれに耐えながらなんとか理解したその言葉の意味に、エルファは困惑した。
なんだかんだといって今現在のエルファの非日常を作り上げた原因は彼である。彼ではあるが、いつも機を止めていてくれているのをエルファは知っていた。だから勿論、彼の分もカウントにいれてチョコレートを作っているのに、当の本人はそんなことを今更ながらに聞いてくる。
「勿論、はじめから作るつもりでしたけども…?」
おずおずとそう答える。
一瞬の間が空いた後、ライナスはいやにあっさりとエルファの身を開放した。
「…なら、いい」
「……ぅっ」
柔らかな、蕩けそうな笑み。
普段のどこか若さの中にある重厚な雰囲気など、軽く払拭してしまえるような破滅的な威力を持った微笑は、なんの防御もとっていなかったエルファには毒も同然である。
思わず赤くなって俯いてしまった少女を追うように、ライナスはクツリと笑ってエルファの頭をくしゃりと撫でた。
「ただし、他の奴とは別の時につくれ。おまえにとって俺はいつだって特別だろう?」
あいかわらず、なんて強引で傲慢な方だろう。
そんな事を思いつつも、眩暈がしそうなほどに赤く火照る熱をエルファは消す事ができなかった。
(2007年2月12日〜18日,Web拍手にて掲載)
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