初めての任務はあまり覚えていない。
無数にしたたり落ちる深紅の滴を、ただぼんやりと見ていた。
自分が何をしたとか考えるよりも先に、綺麗な光景だと思った。
ただ己の任務と忠義心の為に。
ただ、それだけのために…。
何を犠牲にしてきたのだろうか。
もうそれすらもわからずにいる。
そうだというのに、絶大な喪失感をぬぐう事は叶わずに、今もまだ名も知れぬ落し物を 我武者羅に探し続けた――




ファンタシア 1






ムレジオタスク大陸のオランディニアル王国といえば、最早誰もが知っている大国である。
世界に大陸幾数あれど、名実共にその筆頭に上げられるムレジオタスクにおいて その国は長き栄えを誇る大規模な国だ。
国土はゆうにこの大陸の四分の三以上を占めるというのだから、どれほど広大な国なの かは想像に難くないだろう。
長くの間大陸の要所を押さえ続け、雄雄しくも君臨 するその力は奇跡による行いといわれて既に久しい。
人々が"ムレジオタスクの刃"とその国を称す由縁は、間違いなくその衰えを知らぬ王国の威力を 畏怖するが故であろう。
あまりにも肥大したその国を危険視する声は未だなく、 指で足りるほどの小国も、あまりの栄えに手を出せずにいる。
その偉大なる王国に、正しく大陸を治めるにふさわしい最強の騎士編成団があった。
系統により団は4つへと分けられるのが、かの国の最たる特徴といえようか。
アレール・サラス・ミグル・セラリム。
いずれも名を誇るに相応しい、能力を持つ騎士団である。
その名を聞けば、どんな極悪非道なやからでも 尻尾を巻いて逃げてしまう。
神聖なる大陸神話にあやかってつけられた四つの部隊をまとめた王国騎士団は 、未知なる響きをもって大陸の民に浸透している。
オランディニアル中の強者達の中から試しに試されようやっと騎士団へと救い上げられる彼ら一粒一粒が どれもこれものつわもの揃い。 なにせオランディニアル騎士団の小隊は、即ち他国の中隊以上の力を持ち合わすとまで 言わしめるのだから、小国連合にはたまらないものがある。
並ぶものなしの実績をほこる彼らを 英雄視する一方、影でその存在を疎ましく思っている人々がいるのもまた事実。

完膚なきまでにターゲットを叩き潰す、 その冷酷さ故に。




オランディニアル王国の王都・エレジルタスラ。
大陸最大の栄華と権威にあふれたその大都市 を見下ろす位置にあるタルミアの丘。
王城とおよそ一直線を持って対極のその場所に、 、大陸随一の騎士団本部はあった。
なだらかな裾に比べて中腹からやたらと厳しい斜め坂になる 丘の頂上は、そのまま巨大な要塞のようで、ずっしりと佇む巨大な総煉瓦の 建物は、物言わぬがゆえの威圧感に満ちていた。
その建物の裏手、さして人の通らないそこから、話は始まろうとしている。
騎士団の裏門の前に、 大人しい薄茶の馬と共に佇む一人の男がいた。
まだ二十を過ぎてわずかといった相貌の 青年は、聳え立つ騎士団本部をチラリと一瞥して息を吐く。
それから誰も見ていないのを確認するとヒラリと馬に飛び乗り、もう一度後ろ、というより上方へ視線を走らせた。
「よーし、どうかこのまま気がつくなよ、エンド…」
悪戯をいままさにはじめんとするかのようなキラキラとしたその瞳は 悪気の色など一片も浮かんではない。
嬉しそうに愛馬を走らせようとしたまさに その時、背後の建物の上の方から怒気のはらんだ声が青年めがけて降ってきた。
「セシル様!!!仕事もまだ終わっていらっしゃらないのに、どこに行かれようというのですか!」
最上階のバルコニーから身を乗り出して叫ぶ青年を見て、馬上の青年・セシルは深いため息をついた。
「…エンド。おまえは本当に目ざとい奴だなあ」
「ほうっておいてください!それも全てはあなたの首を絞めないためでしょうが!!」
エンドと呼ばれた青年は、常の落ち着いた声は何処へやらといった加減でがみがみと叫ぶ。
これでは本部全体に話題を提供しているようなものだとため息をつきながらも、セシルは油断なく相手の話の隙ができるのを待った。
「一応、"影武者"は用意しておいたんだけどなぁ」
「私を馬鹿になさってるんですか?あんな藁人形にちょっと魔法で応対ができるようにしたぐらいじゃあ、ただの侮辱としか思えません!」
「しかたがないだろう、俺はおまえと違って魔法専門じゃあないんだから」
あれでも自分としてはベストを尽くしたのだと真顔で言葉を返す セシルを見て、エンドはこめかみを押さえた。
これが自分の上司、ひいてはこの国の騎士団を率いているのかと思えば 胃がきりきりと痛くなる。
それでもエンドは、彼の補佐としての自分の仕事を投げ出したりはしなかった。
「早くここまで戻ってきてください!今日中に見てもらわなければならない書類もろもろが沢山あるんですから!!!」
雷にように自らの頭上へと鋭く振り下ろされるそれを弱り顔でかわしながら、セシルはチラリと空を見上げる。
ピカピカの太陽に、曇りない晴れやかな空。
そんなときに、どうして部屋に閉じこもっていられようか。
セシルはニッと口の端を持ち上げて、はるか上階にいるエンドを見上げた。
「悪いけど、今日はそんな気分じゃないんだ」
じゃあ、またあとでなー!

それだけを叫ぶと、すばやく馬の腹を蹴り、唐突に走らせた。
心地よい 風が暑さにあえぐからだをつつみこみ、スッとひいていくこの感触。
たまらないと思いながらももう一度空を見上げたセシルの耳に、軽い悲鳴が聞こえた。
「・・・様、セシル様!危な・・・!」
危ない?
思わず叫ばれたとおもわれる細長いその声音に首を傾げながらも、馬までもが警戒のためか足捌きが鈍る。
まさか、と思って視線を前方へ向けたセシルの両眼には極端に近まった黒馬の揺れる鬣(たてがみ)が見えた。

ドシンッ!!

物質と物質が激しくぶつかる派手な音がしたと同時にセシルは前のめりになる体にさからうように ピンと背を張る。

「・・・!」
何が起こったのか事態が把握できずに障害物を見たセシルはそのまま口をあんぐりと開けた。
 まずい…
「よりにもよって、おまえかよ・・・」
にがばしったその思いを際立たせるかのように、優美な障害物にまたがったその男は静かに口を開いた。
「こんなところで何をしている、セシル?」
美しい毛並みの黒馬の手綱を緩めることなく、黒髪の青年は眉をよせてセシルを見ていた。
あいもかわらず落ち着ききったその態度は、いつもとなんら変わらない。
エンドがほっとしたように、その黒髪の青年の名を呼んだ。
「ルード様!良かったぁ。セシル様、今何をなさろうとしていらしたと思います!?」
聞いてくださいとばかりに投げかけられたそれにかすかに両肩をあげて彼は仲間をちらりと見る。
「・・こいつのことだ。どうせ"逃亡"の最中だったんだろ」
決まりきっているとばかりにあっさりと返されるその言葉にセシルは ムッとする。ただあまりにも本当すぎて口を挟めないのが空しいが。
ルードはセシルに一瞥をくれため息をついた。
あまりにもあからさまなそのリアクションにめげそうになりながらも、 ようやくと気を取り直し、セシルは軽く肩を上げてルードへ向き直った。
「逃亡?心外だなぁ。俺はただ‥」
「ただ?」
無言の重圧に冷や汗が吹き出る。それでも、口を動かしたがろくな言葉は出てこなかった。
「ただ‥。そ、外の空気を吸いに出てきたんだ!」
「ほう?ならもう充分吸ったな?」
ルードはにやりと笑い、素早くセシルの馬の手綱を奪ってみせた。
「あ、おい!」
セシルの制止よりもはやく、そつない同僚は器用にも片手で馬を誘導する。
いつの間にか180度の方向転換の後、本部の敷地内へと頭を向けている愛馬を見て、 セシルは小さく息をついた。
(これで俺の一日は、書類とデートで決定か・・・)
今更ながらに恨めしくルードの背を睨むが、それでも大人しく彼に従う。
それを眺めていたエンドは、一言呟いた。

「やはり。セシル様にはルード様だな‥」



優美な竪琴の音が辺りに響いていた。
簡素な広い部屋には竪琴の音だけが響き渡っている。
部屋の隅っこの大きな窓辺に腰掛け、竪琴を弾いているのは美しい金髪の少女。
不意に少女は竪琴を奏でるのを止めた。
無言で扉の方へ目を向ける。
それからややしばらくしてかすかな摩擦音とともに扉が開いた。
扉の向こうから現れたのは、少女と同じ造作をした青年。
「あぁ‥竪琴を弾いていたのか」
「…」
「どうしたんだい、シリア?」
青年は少女の顔をのぞき込む。
同じ色形の瞳が真正面に向き合った。
しかし少女は釈然としない色でそっと顔を背ける。
「どうやらご機嫌斜めなようだね、シリア?」
くすりと笑い青年はシリアの隣に座った。
・・・わざわざ彼女が顔を背けたその場所に、ゆっくりと座り少女の顔をしっかりと覗きこむ。
「‥2週間も監禁されたら、誰だってご機嫌斜めよ」
ようやっとでた少女のそれは、むすりとした声だ。
「だってしょうがないじゃないか。これは父上のお考えだよ。僕らは従うしかない」
「娘を閉じこめておくことが!?信じられないわ。父親だからってこんな事して良いっていうの?」
シリアは激しく青年の顔を睨めつけた。
腹いせにと、竪琴を投げかけ思いとどまる。
とたんに彼女の心を見透かしたように柔らかな声が間を割って入った。
「無茶なことをするんじゃない、シリア。おまえにその竪琴を傷つけられるわけがないんだから。なんてったてそれは・・」
「黙りなさいよ、シルア!」
いらただしげな声がシルアの声を遮る。
それでもこの男は、話す事をやめない。楽しそうにそっと笑うと少女の頭を二度撫でた。
同時に引き寄せた彼女の耳元でゾクリとするほどカラッポの楽しさをひけらかす。
「シリア。君が思ってる以上、僕は君のことを知っている。忘れたなんていわせはしないよ、僕の半身。おまえと僕は二つで一人。―決して離れられないって事を‥」
無意識だろう。シリアの肩がビクリと嫌悪に跳ね上げる。
何度も何度も、刷り込むように言われたその言葉。
シリアをさいなめる、鬱陶しいほどの重たさと穢れを含んだ、その単語。
全身でこちらを睨みつけるシリアを眺めて、シルアは笑う。
「…そんなこと、無い‥」
シルアは妹の弱々しい反抗の声を何の感情も取り乱すことなく聞き流し、扉を開けた。
扉を閉める際、子供のような無邪気な笑みを浮かばせ止めを刺すことも、このそつない兄が忘れるはずもない。
「そんなこと、あるさ。だって僕たちは"ただの双子とは違う"のだから」
開かれたときと同じように音もなく扉が閉まった。
遠ざけるその気配から身を守るかのように背を丸め、顔を胸にうずめた。 抱え込んだままの竪琴に語りかけたのか独り言だったのか。
どれともわからず少女は悲しげに呟いた。
「みんな、みんな大嫌いよ‥」
見事に真紅に染まった夕日が優しくシリアを照らしあげていた。




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