ファンタシア15
飽和しきった爆音量は空をも吹き飛ばしてしまうのかと思うほど、
凄まじい勢いで大気を震わせた。
しかしながら、それすらじわじわと飲み込む
一拍の沈黙が、たまらなく不気味で心地が悪かった。
「エンド、おまえ…」
最後まで言葉を吐かずとも、エンドは正確に上司のいわんとすることを理解したみたいだった。
「残念ながら、しとめ損ねました。生きてますよ、まだ」
上空を仰ぐ彼の目は、凍てついた月のようだ。
陰りない光が、冴え冴えと静かに煌く。
容赦ない瞳の底の冷たさに、セシルは軽く息を吐いた。
「そうか」
ポツリと落としたその一言は、エンドの瞳よりも冷たくとがっているのかもしれない。
小さく息を呑んだ気配を感じ、セシルは無意識に口元を引き締めた。
ゆっくりと数歩前に出れば、窓辺に近いその場所を譲るように
エンドが一歩退く。
窓の真正面で立ち止まる。
いまだ光の余韻の中にある今宵の空が、その位置からよく見えた。
ざわついたままの空気、なりを潜めた夜鳥の鳴き声。
奇妙な一夜の光景が、微かに歪んでうつっている。
この感覚を、あいにくとセシルはよくよくしっていた。
「ルード」
「わかってる」
名を呼ぶだけで、的確に意味を悟り望むものを返してくれる仲間に頼もしさを感じながら、
セシルはついと視線を横にずらす。
微かに戸惑った補佐官と、眼差しだけで互いの意を探り合った。
「頼む」
「…わかりました」
短く呟かれたセシルの言葉からは、
感情の一切が読み取れないのだろう。
穏やかな平常時とは違う、任務の最中に現れるそれに、
エンドの喉が小さく嚥下するのがわかった。
だが瞳は揺ぎ無くしっかりと自分を見据えてくる。
その光の強さを認め、セシルはふっと口の端をあげる。
そのまま黙って一歩後ろへと退いて、すっと息を吐いた。
「猿芝居は楽しいか?イグルイース」
吐き出された冷たい言葉は、冴え渡った夜の帳を切り裂くほどに、鋭かった。
「これはこれは。参りましたね」
奇妙に響き渡る少年の声は反響していて特定の位置を上手に雲に巻いている。
されど、セシル達3人の視線は一度も揺らぐことなく空のある一点から動くことは無かった。
「それで隠れているつもりだとは、私たちへの評価の仕方を間違ってますね」
さも当然といってのけたエンドの声に、空気が水面のように大きく円の形でさざなる。
じんわりと浮かび上がる人型に、平面状だけでも平然と見つめることができる
自分の神経の太さに、セシルは心で感謝した。
「これはこれは申し訳ない」
ぼんやりとした彼の輪郭を吹き飛ばせそうなほど、しっかりとした声の響きが
夜の冷涼な空気を奇妙に震わせて笑っている。
「ちょっとばかし、あなた方をなめすぎていたのかもしれませんね」
「だからこその、その負傷でしょうに」
間をおかずに返されたエンドの言葉に、セシルは思わず苦笑した。
笑みの滲んだイグルの言葉に呆れているように聞こえたのだ。
そのまま上げた視線の先。
優雅に足を組んで宙に漂う少年の肩口の
どろりとした赤の染みが徐々にその域を広げながらも
その色を濃くのこしていく。
破れた袖口から幾筋の赤い河が伝い、指先で雫をつくっていく。
なんでもないかのように、イグルはその雫を舌でぬぐう。
濡れた赤い舌が、ちろりと顔を覗かせていた。
「まぁ、これくらいはね。予想はしてましたから」
ニコリと音が出そうな笑みを一つ浮かべて、彼は水色の髪を揺らして足を伸ばす。
大地へと向けた爪先をチラリと確認する彼の視線を追うように、
セシルも目線を階下へとやる。
ザワザワとうねる青草の風跡が、綺麗な直線を描いて白くはねた。
「これぐらいを見分けられなければ、生かしておくのもつまらないでしょ」
華のある笑顔からこぼれた言葉は、背筋を這うほどに冷酷な温度のそれだった。
「となると、うちのエンドはおまえの御眼鏡にかなったということか?」
わりとゆったりとでた自分の声に、遅れて笑みを付け加えた。
とびきりに、胡散臭いものだ。
ぎょっとした反応を示すエンドとは対照的に、隣の友は疲れたように息を吐く。
「ええ、それはもう。存外に気に入ってしまいましたよ」
同じくきな臭い笑みでイグルは、ちらりと意味ありげな流し目をエンドへと向けた。
真正面からそれを受け止めてしまった部下は、
絶句に近い面持ちで敵を見上げ、幾ばくかの間を置いて渋々口を開いた。
視線は先ほどよりも冷たいものへと変じていた。
「あいにくと、私は悪い冗談は嫌いです」
「冗談だなんて。僕は本気ですよ」
「ふざけるな!」
どちらともとれる、真意をあからさまにかすませた声音に、
思わずかっとなったようだった。
恫喝するような
エンドのそれに、イグルはといえば軽く肩をすくめた。
馬鹿にしたような仕草だが、表情だけは至極楽しそうである。
瞳にひかる愉悦の種類には、セシルには充分に見覚えがあった。
(明らかに、いじりやすいからな。こいつ)
じっと"こいつ"の後頭部に視線を注ぐ。
それも気付かぬくらい気が立っているのだろう。
当の補佐官といえば、無言で頭上の少年をにらみつけている。
怒る仕草でさえどこか猫のようで、いささか迫力に欠けていた。
それでも少年は、険のあるエンドの眼差しを笑顔一つで受け入れる。
利相応なはなやんだ笑みは、先ほどの隙のないそれよりも遥かに人間味があって暖かい。
思わず眼を瞬かせたセシルの視線の先で、いまだその微笑はきえることなく浮かんでいた。
チラリと視線を横にやれば、友も心なし意外な表情で空へと視線を飛ばしている。
少年の変化に気付いていないのは、エンドだけのようである。
(まぁ、あんだけ怒ってたら気付かないだろうな)
致し方ないとばかりに息を吐き出せば、ひんやりとした夜風がため息ごと吹き払っていく。
なんとなく目線で風の行方を追い求めれば、耳に絡まり続けたあの笑い声が、ふいにやんだ。
落ち着きを取り戻した少年が、じっとこちらを見下ろしている。
涼やかなその美貌に、初めて色が灯ったような気がした。
「そろそろお暇することにします」
唐突ながらもはっきりと下された言葉に、場がとまる。
「そう簡単にあなたを逃がすとでも?」
うんざりとした口調のエンドに非はないだろう。
セシル自身呆気にとられながらも、二人の会話を見送っている。
「ええ、楽しみは取っておかないとね」
食い違った答えを差し出され、戸惑いよりも先に疲れがきたのだろう。
「いいかげんに―っ」
低く噛み付くような部下の声が、尻すぼみになって空へと浮いた。
「−ッ、待て!イグルイース!」
闇の中からあふれ出る儚げな青の光が、流砂のようにイグルへと絡み付いていく。
ゆらりと立ち上る力の波動に応じるように揺れる水色の髪の奥で、青い瞳が微笑んでいる。
不敵な、なんとも腹の立つ笑みだった。
「遠くない未来で、会いましょう」
ごきげんようときざめいた調子で嘯かれたその言葉が引き金のようだった。
「うっ―」
淡いといえど色のある光の暴走に空が白映え目の奥を凄まじい勢いで刺激する。
とっさにかばうように顔を伏せる瞬間、目の前の部下の腕が何事か大きく動くのが見えた。
「―お二方、もう大丈夫です」
静かなエンドの声に促されるように顔をあげる。
先ほどまでの出来事が嘘だったかのように、何事もない夜の闇が窓の向こうには転がっていた。
エンドの仕業だとすぐに気付く。
眼裏の刺激も皆無だった。
なりふり構わず見上げた空には、少年の姿はすでにない。
思わずついた舌打ちを抑え込むように、セシルはゆっくりと頭に手をやった。
聞きたいことも、いいたいことも、山ほどある。
わざわざレールンであろうイグルが、エンドを狙うのは何故か。
そしてあの笑い顔。
思わずこちらの毒気を抜いてしまうほどの子供じみた笑みも、あの状態では薄ら寒いものでしかない。
「…」
ゆっくりと息を吐き出してから、セシルは軽く指先を動かした。
どうやら今日は居残りするしかないようだ。
呆れるほどに、やるべきことがたくさんある。
一度に、またも相当な量が増えてしまった。
同じ気持ちなのだろう、小さく嘆息するルードの肩を容赦なく一度叩くと、
セシルは前を見た。
毛を逆立てたまま、壮絶に不機嫌なオーラを出した部下を見る。
とりあえず王城への使いの手配より先に、
溜飲覚めやらぬ様子のエンドをどうにかするほうが今の優先事項だった。
ため息をついた彼の輪郭が、ゆらゆらと奇妙に揺れる。
ビィンと無理やり絃をはじかれたような嫌な音が、セシルの残像すら取り払う。
音の余韻を追うように目を開ければ、見慣れた寝殿の廊下が見えた。
(戻ってきた、のね)
さして難しくないはずのその答えにたどり着くまで、幾ばくかかかった。
無意識に震える指先をごまかすように握り締め、そのまま竪琴をかき抱く。
(セシル…)
この間であったばかりの不思議な青年。
優しい瞳で微笑みを返したあの彼が、険しい顔で目前の敵を見据えていた。
(それに―)
「…シリア?」
差し伸べられた呼びかけに、シリアは顔を上げた。
少しの違いも見逃さぬ、曇りない眼差しがすぐ傍にあった。
無言でなにがあったと尋ねるシルアの行動に、とっさに首を横に振る。
「あそこ、オランディニアルのどこなのかしらね」
不可解に眇められる瞳を牽制するように、気がつけば言葉がするりと抜け出していた。
「…―あの建物は見覚えがある」
少女の言葉の裏の拒絶に優しく目を背け、シルアは鋭い視線を宙にさまよわせる。
先ほどより幾分濃くなった闇の淵を、頼りないランタンの光がちらちらと照らしていた。
「おそらく、あの場所はタルミアの丘。…オランディニアル騎士団本部だ」
「……!」
差し出された答えに、シリアは戸惑いの表情を浮かべた。
兄の発した言葉に、理解がついていかなかった。
シルアは妹の微かな疑惑の目を、揶揄の篭った瞳で受け止めた上、
優しく微笑んでみせる。
和んだ気に解されるように力の抜けた少女の耳に、済まし声の兄の言葉が滑り込んできた。
「だって、エンドくんとは面識があるからね」
「え?」
互いに名乗りあっていたわけではないから、
少女の中であの中で唯一の知り合いはセシル一人だった。
繰り広げられたかつての会話を頭に呼び起こし、少女はエンドなる人物を特定する。
おそらく目の前に立ちはだかっていた魔術に長けた少年のことだろう。
シリアとさしてかわらないであろう年のわりには、自らの兄のように歳にそぐわぬ落ち着きのある
物腰をしていた気がする。
最後はいささかペースを乱されてはいたが、それでも上出来の対応を返していたことは確かだと
思う。
少なくとも、あのような状況で言葉遊びにしゃれ込むなどという芸当を、シリアは持ち合わせていない。
驚くシリアを他所に、シルアは懐かしそうに目を細める。
「数年前のオランディニアル神殿で、会話を交えた事がある」
もっとも当の本人は覚えてないかもしれないがと、シルアは小さく付け加えた。
苦笑混じりながらも、一つのとげも無い兄の口調から考えるに、恐らくエンドという人物は
悪い人ではなかったのだろう。
見た目の誠実そうな顔とは裏腹に辛辣な評価を下す彼にしては珍しいと、シリアは興味を持った。
「ねえ、どんな人だった?」
シリアの素朴な問いに驚いたようだったが、すぐに瞳で柔らかく笑んだ。
「うん、彼は強いね。それに、おもしろい。なんだろう、ついついからかいたくなるというか」
クツクツと笑う彼の横顔は、なんとも楽しそうだった。
先ほどの少年と共通の、新しい玩具を見つけた喜びの目をしている。
非難するように視線に力を込めると、それに気付いた青年は微笑んだ。
「だけど普段は、あんな様を表には出さぬ人だよ。冷静で賢しい」
残念だねと心もなく言う兄が、先ほどの奇妙な少年と重なってシリアは思わず眉を寄せた。
が、こらえきれずにクスクスと邪気の無い笑みを漏らす。
そんな妹を優しく見遣って、シルアは殊更柔らかく笑って見せた。
シリアも負けぬくらいに微笑みながらも、まったく別のことを考える。
セシル。
あなたもしかして―、騎士、なの?
どうしてセシルが騎士団にいるのだ。
そうだ、どうして。あんなところで何を。
あの水色の少年は、恐らくレールンで間違いないであろう。
あれだけどうどうと浮遊の術を使っているのだ、十中八九そうだとみて確かだ。
そんな危険な少年に目をつけられているエンドという人物。
そんなエンドに庇われるような立場にいるセシル。
もしかして私は"また"、とんでもない事を見落としているのでは無いだろうか。
不安はいつまでも、消える事は無いようだった。
「その怪我はどうした」
暗がりから聞こえた声に、イグルはゆっくりと顔をあげた。
自室の扉にもたれかかる長髪の男が目に入る。
闇の中においても目立つ朱の髪が静寂に誘われた風に攫われていく筋かがふわりと舞い上がる。
そんなにも目立つリューロの存在に
不覚にも気づけなかったことが、イグルにとっては予想外だ。
密かに舌打ちをくれつつも、イグルの口元は優雅に笑みを築いていく。
「また無茶をしたのか?」
尋ねる彼にそのままその美しい笑みを預けて、イグルはふるふると首を数度横へふった。
「いいえ。ただ…」
「ただ?」
「悪戯が過ぎただけ」
「あまり表立った動きをみせるな。警戒心を与えると碌なことがない」
低いその声は、険こそないが冷たいがゆえに身に沁みるものがある。
闇夜にどうかしてしまいそうな静やかな忠告を、イグルは肩をすくめつつも受け取った。
「…人を呼ぶ。とりあえず、怪我の手当をしろ。
おまえが大それた怪我をすればするほどに、他の者が動揺する」
「…じゃああなたも動揺してくれるの、リューロ?」
少しの興味を抱いて尋ねてみると顔色も変えず青年は口を開く。
「さあな」
味気ない返答は半ば予想通りだが、それでも面白いものではない。
つまらないなと嘯きながらも、イグルは微かに息を吐き出すに留めた。
とにかく部屋に入って、ベッドへと潜り込みたいと願ったのだ。
「ダメージはそこまで酷くないから、手当てはいらないよ。
これくらいなら自分でなんとかする」
本当になんてことはないのだと、念押して言う少年になにを思ったのだろうか。
リューロはその髪と同様に稀有な色を有す瞳をまっすぐにイグルへと向けた。
感情の一切を破棄したのではないかと思う底なしのそれに答えるように、イグルは
軽く苦笑して見せた。
陰鬱とした空気が、少しでも削ぐことができるように。
「…そうか」
それだけを残して、リューロの姿は闇に消えた。
それを見届けると、イグルは血がベットリとついた上着を脱ぎ捨てた。
月明かりに照らされて、上半身があらわになる。
陶磁のような肌には傷一つついていなかった。
イグルは大きな天蓋付きのベッドに座ると、クスリと笑った。
「エンド・ラマスクリス…か。おもしろい人だ」
だけど今度こそ。
「最上の敬意を払って、闇に葬ってやろうじゃないか」
楽しそうなイグルの笑い声があたりに響き渡った。
Back
Next
戻る/書庫へ/
ファンタシア部屋へ