ファンタシア14




流れる静かな気をさえぎった空白があった。
「・・・?」
今しがた読みふけっていた書類から目をはずせば、 広がるのは見慣れた景色。
生まれ落ちて16年あてがわれ続けた自室なのだから、当然といえば 当然だが、その空気はまるで違う。
ピリピリと大気が熱を帯びているかのような 感覚に、初めて彼女は不安を覚えた。
(今、確かに・・・)
一度だけ大きな震えが体中を這い回ったが、シリアはそれを静かに追いやった。
確かに、感じたのだ。
静やかで穏やかな空気を粉砕させるほどの、 強い気の波動を。
(レールン・・・?)
さっと浮かんだその言葉を、瞬時にかき消したのも、また自分だった。
質が、違うと思ったのだ。
人のものではありえない、大きな気だ。
ただ空気が大きく乱れ震えるだけでは、すまない。
おそらく、この場所から遥か遠い場所で起こったものであろう。
「・・・・」
正直、ぞっとする。
特定すらつかぬほどの距離を走りいってもなお見せ付ける、強いその力。
現場がどうなっているのか、むしろ、何が起こっているのかもシリアにいわせれば 想像に難くない。
町一つは軽く吹っ飛んでいるかもしれない。
笑えない事実である。
いてもたってもいられなくて、シリアはたまらず部屋を飛び出した。
無意識に抱きかかえた竪琴と共に、寝所の廊下を早足で進む。
この気配に起き出した者は他にいやしないか。
薄暗い廊下に心細さを感じないほど、シリアは今その考えにとらわれていた。
そしてすぐに、その体は反応した。
明らかに、自分と同じ状況のある気配を察知したからだ。
相手方はとうに彼女の存在に気がついていたらしく、自室の扉の前で彼女が そちらへ向かうのを悠々と待っているようだった。
「シルア」
小走りで最後の距離を縮めた彼女は、小さく縋るように相手の名を呼んだ。
「ねえ、今…」
「うん、わかってるよ」
シルアはなんら変わりはないとばかりに、一つ笑みを漏らした。
ここ数日で唐突に見れるようになった、昔と変わりない暖かなその笑みは、 彼女の心を落ち着かせた。
「私、どこか遠い場所のような気がする」
いつもどおりの口調でそう告げれば、シルアはあたりを油断なく探りながら、 そのようだねと付け足した。
「ちょっと・・・」
静かにいれられた断りの言葉だけで、シリアは彼のなそうとすることを理解した。
気を辿りながら、小さく口を動かせてシルアは祈りの言葉をつむぐ。
さすがは双子だと、シリアはぼんやりと思った。
片方は女がゆえに、希代の器持つ巫女ならば。
もう片割れは、男ゆえに秀逸な能力の神術師だ。
お互いわかちあう力が揺ぎ無いものであるからこそ、 空気の波を感じ、あらゆる物が放つ気をも理解する。
囁きのように宙へと放たれていく清められた言葉の連なりは、 強い意志を持って件の気を追いかけていく。
見えもしないそれら聖なる気は、すぐに答えをシルアに運んできたようだ。
詠唱をやめた彼をみやったシリアは、首をかしげた。
明確な答えを得たはずなのに、兄の顔はどこか当惑している。
「シルア?」
促すように名を呼べば、彼はようやっと口を開いた。
「エレジルタスラ・・・」
告げられた都市名の意外さに、思わず息を飲み込んだ。
「うそ、ありえないわ!」
オランディニアル王国の要、エレジルタスラ。
どれほど無教養で、どれほど情報に乏しい土地へいったとしても、 その名を言えぬ者はいない。
かの大国の王都にして、ヌレジオタスク大陸一の栄を誇るその場所から 送られてきた大きな魔力の余韻。
ぞくり、と大きな不安が足元から体へと一気に突き抜けた。
大陸一つを軽々と動かせるであろう、 王住まう都で、今何が起こっているのか。
戦火の中を逃げ惑う人々を想像して、シリアは思わずとばかりに竪琴を強く抱きしめた。
恐怖と共に思い出した、あの言いようもない喪失感。
ほんの数年前に味わったばかりの、なにもできなかった虚無感と憎しみがぐるぐると とぐろを巻いて彼女の心を這い上がろうとしていた。
「シリア・・・!」
気遣うような、けれども厳しい兄の一声が、彼女をかろうじて平常の中へとおし戻した。
「ごめん、大丈夫。もう大丈夫だから・・・」
繰り返して笑顔を浮かべれば、兄はもうそれ以上は追及をしなかった。
そのまま竪琴を軽くなでる。
底をなぞった指先があたった"それ"で、シリアははっと顔を上げた。
「セシル!」
そうだ、セシルは。彼は今どうしているのだろうか。
彼はオランディニアルに住んでいる、貴族の家に招かれるほどの仕事をしているのだろうと は思っていた。
それ以外は、何もしらない。だけど、キラマイアの邸へ顔を出せるほどなのだから、間違いなく 彼は王都の人なのだろう。
(やだ、どうしよう!)
彼は、無事だろうか。
(失いたくないわ、これ以上・・・!)
セシル、無事でいて。
心が悲鳴のようにつむぎだしたその思いに、 悲痛と共に目をつぶったときだった。
「シリア!」
あわてた兄の声に、なによりすぐ傍から感じた強烈な聖なる力に、 彼女はぱっと目を見開いた。
「た、てごとが・・・!」
掠れて途切れたその単語だけで、シリアには何が起こっているのかすでにわかっていた。
思わずごくりと喉を鳴らす。
唐突に光り始めた竪琴は、その虹色の光彩を徐々に強め カリアナの双子をのみこまんとする。
光源と化した彼女の竪琴は、遠い異国の風の音を連れてくる。
はっと思ったときに体中を取り囲んだ不可思議な聖なるオーラが、 シリアの中でいくつもの像を浮かび上がらせていた。
「・・・!」
見える。
光のくすぶりが偉大な闇色の空を白映えさせるその様も。
その直ぐ下でなぜか無傷を保つ威圧感ある建物も。
全て。
「これ、は…」
掠れた兄の声からは、理解しがたいものへの畏怖が見え隠れする。
躊躇する兄の腕を、ぎゅっと片手で握り締めた。
「大丈夫・・」
ささやくようなその声は静かなる意思を持って兄に響いたようだ。
そのまま心に移される景色に意識をせばめていくのがわかった。
それにならいながらも、どうして自分がここまで平静でいられるのか、シリアは他人事のように苦笑 した。
皆目検討もつかないが、常なら大騒ぎして腰を抜かしていたとしても大げさな物言いではないだろう 。
自分ときたら、落ち着きのないことでは右を出るものはいないのだから。
じゃあ、どうしてここまで穏やかに構えて異常なる事態の中へと入っていけるのか。
竪琴のせいだろう、と思った。
竪琴だから。
あの人にもらった、唯一の。
その音色で人を導くそれだから。
今の事態を率いたとて、なんの疑問もてらいもない。
(それにしても)
沸きあがる懐かしい色の感情を遮るように、シリアはそのビジョンへと意識を完全に切り替えた。
自分という存在全てに張り巡らされた情報のアンテナは、 まるで自分がその場の空気となり形をなくしたかのような奇妙な感覚をもたらす。
不自然に緊張がみなぎる波動の発信源は、二つ。
その一つに目を向ければ、世にも美しい青の人。
白々とした月の光においてなお、憂いをみせるかのようなアクアの髪が淡く光っていた。
美しくもはかないその風景に、思わず息を飲み込んだ。
どこまでも透き通る青の瞳に、強い衝撃を覚えたから。
尋常ではない力をみなぎらせて、静かに微笑みだけをのせるこの少年が、 シリアには空恐ろしくてたまらなかった。
振り切るように視線をもう一つ―建物内部へと走らせて。
もう一度、今度は違う意味の驚愕が襲う。
大きく開け放たれた窓の向こう側に、複数の人影が見えた。
20を過ぎたか過ぎないかの青年の後ろに、若いといえども先頭の彼よりは幾分落ち着いた歳の 二人の男が空を目を眇めてみやっている。
右端の、見覚えのある栗色の髪。
(セ、シル…?)
数日前の夜、確かに出会ったその男とのしらざる二度目の再会だった。


空気に凝縮された魔力の残滓に、セシルは顔をしかめる。
条件反射で繰り出された眼前をクロスする自分の両腕を、そっとおろした。
熱すらわからないほどの光の白さが、いまだ頭の隅でチカチカと渦巻いて居残っている。
器官が再び動き出した今も、 起こった事態が把握できない。
世界が揺れているのかと思うほどの頭のくらみを気合でおしやって、 精一杯目を開いて前を向く。
白煙が立ち上る 前方は、真に奇妙な空間になっていた。
元のままの状態である窓や壁面から、もうもうとした蒸気が立ち込めては じゅっと音を立てて煙諸共消えていく。
あちこちでみやることができる不思議な音にまぎれるように、 エンドのまっすぐに伸びた背が見えた。
「あの魔法球をたった一瞬で消滅させ、なおかつ 修復までするとはね」
恨みがましい声に微動だにせず、エンドはといえばただ肩をすくめて見せるのみだった。
突如強く吹いた横風が、煙を一閃にしてなぎ払う。
ぱっくりと現れた闇夜にまぎれて、非常識な襲撃者が再び顔を現した。
変わらず大気の中に浮かび続けるその存在を確かめて、思わずセシルは顔をしかめる。
大きく裂けた肩口の布の周りが、見慣れた赤が見えた。
毒々しくも美しいそれは、彼の白い肌を這うように伝いそのまま禍々しい雫となって 地へとまばらにふっていく。
致命的ではないにせよ、人の行動を鈍らせるに十分なそれなのに。
じっと絡めたエンドとの視線をはずすことなく、その笑みが耐えることはない。
「しかも、この僕に傷を負わせるだなんて!」
愉快そのものといったそれににじんだ笑い声。
馬鹿にした様子でもなく、純粋に楽しんでいると容易にわかるそれに、背筋があわ立った。
(こいつ…)
狂ってる。
どこからそんな自信がくる?
続く言葉の幾片かをむりやり押しつぶして、セシルは視線を部下の背中へと向けた。
「あいにくと、"化け物"はあなた一人ではないんです」
怖いほど静かに放たれたその言葉に含むものに、気づかないほど鈍くはない。
「ついでにいえば、あなたごときにおいそれと渡せるほど私の命は安くない」
続けざまに流れたその言葉には、よどみ一つみあたらず。
ただただあっさりと言ってのけた相手に、闇の中の少年は何を思うのか。
あたりを取り巻いた静寂をあっさりと打ち破ったのは、予想もしなかった 高らかな笑い声だった。
「あははははっ、ははは!」
歳相応なあけすけない笑い声は、思いのほか親近感というものを見出せたのかもしれない。
それが、これほどまでに異常な場所ではなかったら。
くの字を描く華奢な体が、月明かりに照らされる。
右の肩口の痛ましい血痕と無邪気な笑い声が、無条件に奇妙な状況として目の前に 差し出される。
「いいかげんにしてくれませんかね」
少しいらだったエンドの声に、笑いをかみ殺してイグルは鷹揚に手を上げた。
目じりにためた涙をぬぐいもせず、彼は再びこちらに視線をやる。
冷酷さすらたたえていたその瞳に、今は違う色が浮かぶ。
「…あなたとは、長いつきあいになりそうですね、エンドさん」
揶揄をも含んだその言葉と共に、イグルは綺麗に微笑んだ。
「ご冗談を。あいにくとこちらはあなたに関わりあおうなんざ、露とも 思っておりません」
嘆息とともに低く言い放つエンドに、かれはもう一度喉を逸らして笑った。
「心配しなくても、最終的には僕があなたを殺してしまいますから」
とどめは優雅に手早くきめて差し上げます。
ゆっくりと試すように投げ出されたその言葉を、相手はむげにはしなかった。
「過多な妄想とは、ここまでに興ざめなものとはね。あきれをも通り越して、 賞賛をあげたいぐらいですよ」
見劣りのない笑顔とは裏腹に、エンドの声の乾きには底がない。
深紅に犯された指先を徐々に持ち上げて、イグルはふいに口を閉ざした。
啄ばむように血にぬれた指の腹に舌を這わせ、 クスリと笑う。
「もったいないなぁ」
綺麗な青の瞳に走る思いは、打算か純粋なる興なのか。
それすら掴ませぬまま、イグルは口の端をゆるく持ち上げる。
瞳はしっかりと眼下の三人へとすえたままだった。
「仕方がないから、今日は帰りますね」
友の家に暇を申すような、さりげないそれにエンドがはじめて顔を崩した。
「派手な奇襲を仕掛けておいて、ただで帰れるとでも?えらくなめられたものですね」
吐き捨てるようなぞんざいな口使いの奥に、隠されたものがある。
長年彼を傍においてきたからこそわかるそれに、セシルは内心いぶかしんだ。
塵ほどにもその思いを乗せずして、彼はそっとエンドの後姿を注視した。
イグルほどとは言わないが、線の細い体はやたらと姿勢良くかの敵を見上げる。
腕を組んであまった両手が後ろから良く見えた。
ゆっくりと、しかし確実に意思を持って時折跳ね上がる指先。
(まさか…!)
自然と浮かんだ答えに、顔が驚愕に引きつる。
思わず隣に視線をやれば、どうやら同じ考えを導いてしまった 険しい友の視線とかちあった。
とめようと詰めた足の歩より、早くリズムを刻む指先。
「言っておきますが、私はそこまで甘くはない!」
伸ばした腕の先、夜の帳が再度明るい光を伴って。

ごまかしようのない、凄まじい音が丘の上を揺るがした。




Back Next

戻る書庫へ ファンタシア部屋へ