真面目に生きてて何が悪い!



「いいのか?」
真後ろで聞こえた上岡の声に、唯は振り向いた。上岡はいつの間にかデスクチェアーに身を 預けていた。自然と目線は唯のほうが上になる。尤もそれは物理的なものだけで、精神的には 上岡の視線はどこからこようが唯を凌駕するのだが。
三津谷の時より幾分力を抜いて、唯は自然と笑った。
「いいも何も。クラス委員とかはもうこりごりですから」
他校に比べなにかと出張る機会が多いクラス委員。委員長と副委員長の間は名だけで他に大差は ないはずだったのだが、唯の場合は違ったから。忙しくて目も回るなかに身を置いた あの生活から、少し離れてのんびりしたいという思いが強い。
それなのに上岡という男は、どこまでもあなどれない。保健室で会い、カウンセラーよろしく 話を聞いてもらった回数は計り知れない。それだけに、上岡は唯自身が知らぬ彼女の内面を 平然と察し、こちらへとつきつけてくる。今度は何をいいだす気だ。 思わず後退した唯の動きを、上岡はただ黙って見つめていた。
「そうか。俺はおまえが少し迷ったようにもみえたんだが、違うのか」
(この人は)
唯の思考のど真ん中をいつも的確に打ってくるが、まさしく今回もその通りだった。
確かにほんの一瞬心が揺らいだのは事実である。が、やはり皆の手前、なにより自分自身の事を 考えても唯はもう一度クラス委員に戻る気はさらさらない。 それだけははっきりとしている。
「残念ですが。私はやっぱり、しばらくは気ままにのんびりしたいです」
「どこのご隠居だ、おまえは」と突っ込まれ、唯は照れて笑う。その様を呆れた顔で見つめて いた上岡は、小さくため息をついてデスクのほうへと視線を移した。 整然としたデスクの中央に肘を突いて、上岡はかすかに苦笑した。
「おまえがいいならそれでいいがな」
あまりにもあっさりとした会話の終了に、唯は呆けたように立ち尽くした。いつもなら、 苦言のひとつふたつ飛んできても可笑しく無いタイミングであったのに。
そんな唯に苦笑一つ落として、上岡は何をか引き寄せてその上にペン先をおとした。 ペンを握った上岡の腕が書類の上をすべるように動く。 ワンテンポ遅れたままの唯は、上岡の流れるような一連の動作をただ眺めていることしか 芸がなく。たった三十秒ほどの出来事の終わりを示すかのように、ペンを置いた上岡の 指先が印鑑を手繰り寄せ、そのまま景気良く紙面に押し付けた。
「それだけで話が終わればいいが」
「え?」
ボソリと低く呟かれた言葉の意味を測りかねて、唯は眉根を寄せた。が、そんな彼女よりも 仏頂面を保ったまま上岡は何かを掴んで唯のほうへと突き出してきた。 印字で示されたタイトルは早退許可書とされ、その下に上岡の 字面で唯のフルネームと早退理由が書き込まれていた。
「とにかく今日はそれ持って帰れ」
帰ることが大前提のその話に、唯は内心の不満を顔に出した。唯が早退するというのは、 先の三津谷と上岡の会話で取り決められたもので、唯自身が承認した覚えは全く無かった。
それでも帰らないといけないのか。
(いけないんでしょうね)
突き出された書類との睨めっこも ほんの数秒で勝敗はついてしまった。不戦勝で書類が圧勝である。
当たり前の結果だと、唯は恨めしげに勝者をみやる。書類ではない、書類を支える上岡をだ。
「そんな顔しても駄目だ。帰れ」
「――はい」
上岡の言葉はまさににべもなく、更にあの強面の無表情で言われるのだから唯としては もはやぐうの音もでず、首を縦に頷くしか道は残されていなかった。
(ああ、でもまだ授業があるのに)
そこまで体調は悪くない、と自分では思っているのだが。そんな唯の考えなど、上岡にとっては お見通しのようで、低い声で薙沢と呼ばれる。声音の中に諭すような色を見つけて、唯は居心地 がわるく思いつつもかろうじて上岡の手から早退届けを受け取った。
今日は教室に一度も寄っていないから、鞄は保健室においたままだった。これを職員室に もっていきさえすれば、すぐに帰ることができる。複雑な気持ちになりつつも鞄を手に取り 、神妙な表情のまま上岡に会釈した。
「失礼します」
「おう、今日ぐらいはゆっくり休め」
上岡の言葉はやはりどこか意味ありげで。
唯は不思議に思いつつも帰路についたわけだったが。


誓ってもいい。
こうなるのだとわかっていたら、自分は意地でも早退なんてしなかった。


「どういうことかしら、三津谷君!」
翌日。満を持して登校した唯は、教室の喧騒のなか声を張り上げた。目の前の、しかも机の 上に腰を下ろした三津谷は友人との談笑をやめ、余裕ある表情で唯を振り返り のんきにおはようと手を上げた。
そののんきさも、ついでにいえば机の上に座り込むという無作法さも両方気に食わない。 でもそれ以上に気に食わない事を三津谷はしでかしてしまっている。 唯は顔をしかめつつもとりあえず朝の挨拶を先に口にした。挨拶はされたら返すものだと 思うのだが、そんな唯の行動に三津谷はなぜか心底楽しそうに微笑んだ。 してやったりとばかりのその笑みが、今は心底頭にくる。
「どういうこともなにも。そのまんまだぜ、委員長さん」
「だから、私は!」
委員長じゃない!そう言おうとした唯の言葉を、三津谷は真剣な表情一つでとめてみせた。 昨日の保健室で見せたそれと類似した、唯を思わずたじろがせる苦手なその表情で 三津谷は机から静かに腰を上げて唯の真ん前に立つ。自然と彼を見上げる形となった唯は、 微かに逃げ腰になりつつも三津谷をにらみつけた。クラス中がいつの間にか 痛いくらいの静寂に包まれている事すらも、今は構っていられない。ついでにいえば、そんなもの はどうでもよかった。憎むべきは三津谷の所業のみである。
「昨日の放課後のHRで決まったことだ。ちゃんと校則にも則ってるぜ?まあ、そこらへんは 薙沢のほうが詳しいだろうけどよ」
一呼吸おいて、三津谷は怒りの覚めやらぬ唯をみてニヤリと笑った。それも昨日の保健室のよりも ワンランク上の不敵な笑みだ。彼のファンならば卒倒者の表情なのかもしれないが、 今の唯にとっては彼女の怒りをいたずらに煽るものでしかなかった。
「"クラス委員・委員長の緊急選出は、既存の委員と同クラスという条件を元に 既存の委員が指名する権利があるものとする"だっけ?生徒手帳にもそう書いてあること だぜ」
冷静な三津谷の声に、苦々しい思いがこみ上げる。確かにその通りだが、だからといって どうして。
「だからそれにのっとって、俺はお前を指名したってこと。な?おかしくねえだろ」
おかしくはない、だがそれはフェアでもない。我慢がならず、唯は声を荒げた。
「ふざけないでくれる?私は承認した覚えなんて一度もない!」
承認どころか自分が委員長に返り咲いていた事すらしらなかった。知ったのは 今朝の登校時、副総会長に呼び止められ事の仔細を聞かされたからだ。それが無かったら、 おそらく明日の放課後の総会まで全く自分は事実を知らないままであったろう。
憤懣やるかたないとばかりに唯は怒っていた。
「私はもう昨日の時点で断ってるわ。三津谷君も了承したじゃない」
「おれは今回はひいてやるっていっただけで、諦めるなんていってねえ」
あっさりとそういわれて、唯は呆気に取られた。あくどい事この上ないのに、ここまで あっけらかんといわれると、逆に聞いたほうが悪い気までしてしまうのは何故なのだ。
あからさますぎるごり押しに呆然とした唯を置いて、三津谷はクラス中を見渡して ニッと笑った。
「なあ、おまえらも薙沢がクラス委員長で賛成だっていったよな」
賛成ー!とのりのいい連中が叫び、同意の代わりのようにまばらな拍手が沸きあがる。
「大丈夫だ安心しろ、薙沢。昨日奴等も反省したんだ。だからちょっとはやりやすくなる」
勿論、俺も前みたいにならないようするから。そんな事を飄々と言って三津谷は少しだけ 声を低くした。唯にしか聞こえないぐらいの声量だ。
「いつか、上岡よりも頼れる存在になるからさ」
「な!?」
(な、な、なんでここで先生の名前がでてくるのよぉ!)
驚いて更に固まる唯に三津谷は苦笑して早口で付け足した。
「とりあえず、クラス全体一致の意見だから。大人しく就任してくれよな、委員長?」
いやだ、絶対に逃げてやる!
そんな誓いも虚しく、唯は心のどこかで逃げられない事を悟っていた。


後に保健医上岡はこう評す。
「逃げれるわけないだろう、この大真面目が」
その通りと笑うのは三津谷。確かに今の彼は有能で頼れる相棒だが、未だに 唯はあの祭り上げ方に関しては許していない。
そうしてやっぱり逃げられなかった唯は、ふて腐れた心のうちで大いに叫んだ。

う、うるさい!
真面目に生きてて何が悪い!



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 (2007年9月26日)

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