高らかに笑え!
5."彼女"が抱いた第一印象


そもそもどうしてこういう事になったのか。頭を悩ます原因は、 何も酔いやすい友一人ではない。もちろん、和江も充分に彼女の頭痛の種だったが。
多くの 原因というものは 酔うに酔えない状況に持ち込んだ"見知ったようで全く知らぬ"、目の前の男のせいだ。 先ほどからテンションのあがっている和江の機嫌を上手に話だけで転がしている男は、 和江いわく芸能人なのだという。芸能人は芸能人でも、いわゆるお笑い芸人という奴だ。 fラッシュというコンビ名を持つ、関東地方では そこそこ知名度も高いらしい彼の名を、篠田とかいったか。湊は本気で軽い眩暈を覚えながら、 疎ましい表情を隠しもせずに男を見遣る。
ただの居酒屋ではいざ知らず、ここはプライベートを確保されたという意図が明確な飲み屋である。 芸能人だろうが何だろうが、こうもひょっこりと見知らぬ人物の酒の場に姿を現す男なぞ、きっと 碌な男ではない。
そんな考えがきっと顔前面に現れていたのだろう、和江との軽い会話をふいにやめた男が 湊のほうに顔を向けた。
遠慮なくあからさまに身構えた湊に対し、克己のほうは特に何も言うでもなく浅く頭を下げる。
どうにも居酒屋という場所に相応しくないような日本人らしい挨拶に、完全に不意をつかれた 。そんな湊の僅かな隙ができた時間に、克己は口を開く。失礼でないほどの親しげ な口調は、少しだけ湊の警戒心を和らげた。
「すみません、勝手にお邪魔しちゃって」
スマートな詫びの言葉に、拍子抜けしたのは一瞬で。一気に我を取り戻した 湊は酔いに乗ったふりをして笑った。
「ほんとうにな。いくら芸人やからって、あんまりなれなれしい事しとったらあかんのちゃう?」
いやみったらしい言葉に対して相手がどう返すのか。眉根を寄せてやり過ごすのだろうかと考え つつも、もしそこで本当に怒り狂ったらそれはそれでおもしろいなと湊は思わずほくそえむ。
そんな湊の反応とはよそに、男は一寸の瞬きののちに柔らかく笑った。
「―なによ」
どこか居心地の悪いその笑い方に逆らうように、湊は声を荒げた。相手はまだクスクスと笑っている 。上品とも違うが、湊のまわりにいる人間とはあきらかに違うその笑い方に面くらう。
眉根を寄せてしまったのは自分のほうで、思わずため息が漏れた。
「いや、関西弁って仕事上聞きなれてるはずなんだけどさ」
「なん?おかしいってか?」
喧嘩うってんのかい、こら!
いつでも臨戦態勢に突入する気満タンで話を聞いているのだから仕方が無い。 やぁだ湊、おっさんみたい〜などとのたまう酔っ払いの言葉など綺麗に無視して、湊は喧嘩腰で 目の前の芸人をにらみつけた。
酒の席でも充分失礼な態度だが、少なくとも目の前の相手にそんな気遣いをもとうとは皆目 思えなかった。
「いや、すっげえかわいいなって」
「―――――――は?」
今、とてつもなく聞き覚えの無い言葉が飛び出した気がする。驚きに固まった湊に対し、相手はただ一度小さく笑う。そして何事もなかったかのように、和江の話に戻っていった。
ショックから立ち直った時には、ケラケラと笑う友人と胡散臭い東京の芸人が計二人。すっかり意気投合した様子の和江等と対照的に、湊は一人置いてけぼりに近い。ため息をついて、生ぬるくなったチューハイを飲んだ。
(なんやこいつ、ホンマのアホかただのナンパしぃか)
どうにも判別がつけがたい。掴みにくい奴だという審判を下して、湊はもういちどため息をついた。花の休日に飲む気が失せるとは、なんとも虚しいではないか。完全に気が削がれた湊は、ちらりと視線を下へ流した。机の下で腕時計にさっと目を通せば、通常のお開きの時間にはまだ程遠かった。
「湊〜、どないしたんよ。話混じりぃや」
和江の声に顔をあげる。その顔はどこまでも赤く、マスカラで彩られた目は据わってきている。完全に出来上がりつつある友人を見て、自分の考えなどすっ飛んでしまった。あの赤らんだ顔つきは明らかに彼女のリミットすれすれの状態だ。慌てた思いから、中腰になっていた。
「和江、ちょっと自分どんだけ飲んだんよ!」
「えー?ほんのちょびーっとやでぇ?」
ちょびーっと、とご丁寧に左手の二指でジェスチャーを加えつつも、和江は右手のグラスを手放そうとしない。とろんとした目つきで新たなチューハイを飲み干していた。
「しょうもない嘘付いとらんと。ほら!もう帰るで!!」
そう言い放てば、とたんに和江の顔が抗議に曇った。私はそれを無視して立ち上がらせようとする。
「自分の家がわりと厳しいということを忘れたんかい、実家住まい」
「うぅく、もうちょい遊びたい、飲みたいー」
苦々しくそういえば、子供のような我が儘が飛び出た。参ったなとも思う。正直友人に過保護になりつつあるのは湊の長所でもあり短所だが、和江の家は本当に親が厳しい。こんな泥酔一歩手前で帰宅させようものなら、これから夜は和江と遊べないかもしれない。ただでさえ会社員の二人だ、飲んだり食べたりは夕方以降が定石なのに。だからこその忠告で、それを相手もわかっているから和江はきちんと聞きとめてくれる。いつもなら、の話だが。
僅かにむっとした気持ちを、私は和江ではなく第三者に向けた。いわずもがな、それは篠田とかいう芸人なのだが。私が文句を言おうとしたよりも早く、相手の行動が早かった。
「並木ちゃん、飲みすぎだよ。悪い事いわないから今日はもう帰ろうな」
湊は少なからず驚いて篠田を見やった。子供をあやすようなその声音が、以外に似合っていてびっくりしたのだ。改めてしっかりと見やった相手は、いまは管を巻く友人和江に向けられている。不必要に彼女の体を触れるでもなく、煽るわけでもなく。実にゆったりとした口調で言葉を続けた。
「今度また日を改めてゆっくり飲もう」
「ほんとに?」
「ああ、湊さんも入れて三人で」
(勝手に私を入れるな!)
そういいたいところを、湊はかろうじて堪えた。事態は今、胡散臭い男によって丸く収まろうとしている。約束くらい後々都合が悪いとキャンセルをいれればなんとかなるのだから。
それにしても意外と面倒見はいいんだなと少しだけ見直した矢先に。
「送ってくよ。湊さんも一緒に」
そう言い出した相手に、どうしたものかと懸命に頭を働かせる。これ以上信用の置けない相手に世話になるのはいけない。だけど和江は、もう一人で立てたものではない。どころか、思い切り篠田の手の内だ。ついていかないわけにはいかなさそうで。
(どうにも胡散臭い奴やな)
結局のところ振り出しに戻った感想を胸にしまって、湊は一緒に席を立った。


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 (2008年2月6日)

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