高らかに笑え!
4."彼"の認識


"彼女"だと一目見て気付いて。
その笑顔に釘付けになった。


いつもは同行する相方の快は恋人の元に言ってしまったゆえ、克己は数人の芸人仲間を 誘って今夜もその居酒屋へと出向いていた。
今日の仕事の感想から日ごろの愚痴へと会話が流れる中、一人中座したのは 別に予感がしたわけでもなんでもない。
ただ手洗いに立っただけだ。それでも自分のテーブルに戻る途中、甲高い笑い声に 釣られて視線を彷徨わせ、通路の途中で一人呆然とたちつくした。
微かな仕切りから見えた笑い崩れた顔が、例の茶髪の女と気付くのに数秒。
食入るように彼女の表情が変わる様を眺め入った。
(まただいぶイメージがかわる…)
普段からどこか斜に構えたところがあるのかと思っていた。舞台を見下ろす 彼女の表情は冷め切っていたわけでもなかったので勝手にそう感じていたのだが、 ところが今の彼女といったらどうだろうか。どこにいてもいいような、普通の人間らしい表情で むしろ気前良く笑う。
克己は意外な驚きに酔いが徐々に冷めていった。
(えー、俺らそんなに不味いネタ出したっけ?)
酔いがきているからもあるのだろう、彼女はコロコロと表情を変える。基本的にそこまで表情は 崩れないが、それでも素直に自分の心内を曝け出す彼女は、見ていてとても気持ちよかった。が 、その反面どうしても舞台で笑っていなかった彼女の真情を考えてしまう。
克己とて、一応笑いで芸能界を成り上がってきた。事実今でも虎視眈々と上層部への食い込みを 狙っている。冷静に観察しても、先ほどの舞台はそこそこの出来で、最高とまでは行かないが それでも決して悪くなかった。会場の八割以上は素直に笑ってくれていた。
(―――何やってんだ、俺)
気がつけば数分立ち尽くしていた事に今更気付いて、そそくさとその場を立ち去ろうとした時だった。
「でも、知らん間にうまなってるコンビもあったよなあ」
「え、例えば?」
彼女の連れが放った言葉で、尚更その場に立ち止まる。
あげられた二コンビはどちらも顔見知りで、急なるに至っては事務所の後輩だ。
確かになと頷きながらも、やはり客は些細な事にも気付くのだと内心舌を巻く。ほおと感心していた 克己の耳に、届いた言葉に全身が緊張する。循環する血液が一瞬のうちに凍結したのかと すら思った。
「fラッシュ!あれも結構腕上げたんとちゃうか」
見知らぬ人の口から飛び出したのは 自分達の事で、しかも褒められている。同じ業界の先輩に褒められるのとはまた違う、 ファンでもない 客から飛び出したその何気ない一言こそが、克己には心の底から嬉しく思える。
(うっわぁ、すげえ嬉しい)
よし、今夜はもう一杯追加して、明日からまた頑張ろう!ホクホク顔で決定してから、克己は全身を 耳にして次の言葉を待った。褒めてくれた女の声ではなく、先ほどから自分が全神経で集中している 女の反応が知りたかった。
それなのに。
「――fラッシュ?」
(まーじかよ!)
彼女のその言葉の響きは、確実にモノ知らぬ状態での確認で。好き嫌いの次元どころか、完全な 位置づけすらされていない状況に、愕然とした。ショックに思うのは、先ほどから気にしている 彼女がよりにもよって全くこちらを意識してくれていないからか。そのときの意識の移行の説明は つけがたいが、とにかく克己が思ったことがこのままではイヤだということだった。
酔いなんてとうに彼女らの会話でさめているくせに、居酒屋という場所を利用するように 彼女らのブースへと近づいてできるだけひょうきんに顔を出してしまっていた。
「ほら、この顔この顔」
きょとんとした彼女の顔が徐々に警戒に染まる様を、克己はどこか挑戦的にみてとった。
(よし、これで俺の顔は忘れないだろ)
本末転倒な思いすら抱いて、克己はにこりと笑っていった。
「只今そちらの彼女によりご紹介に預かりました、fラッシュの篠田克己です」
にっこりと、そうまるで番組の収録で見せるように。否それよりも 華やかに笑え、彼女の記憶に残るように。
彼女の警戒にまみれた目が友の一言も手伝って瞬間驚きに大きく開かれるのを、どこか快感に 思いながらも克己は彼女と目を逸らさずにもう一度笑った。
「話が聞こえてきたものだから、つい。ごめんね?」
最後は申し訳なさそうに彼女の友人へとふる。自分達の成長を評価してくれていた彼女はどうやら ほろ酔いのようで、そのためか彼女はかなりの機嫌のよさで克己相手に首を振った。
「いえいえどうぞどうぞ!よかったらどうです?ここで一杯飲んでかはったら」
「ちょっ、和江」
いきなりの言葉に例の彼女が咎めるような声を出す。どうやら"芸能人"のレッテルは彼女にとっては 有効ではないらしいと踏んで、克己はあえて彼女の友達の言葉にのっかってみることにした。
「いいんですか。じゃあちょっと」
「はぁ?」
「よーし!芸人やったらそうこなぁ!」
「ちょお待ちって、和江」
こちらを気にしながらも、友達に待ったをかけるその様を遮るように、克己はふにゃりと 笑った。
「それだったら、お言葉に甘えて」
何考えてるんだお前はと顔全体で意識を表す彼女が楽しくてしようがない。正直彼女の言うとおりだ、 自分が何を考えているのかわからない。けれどまあとりあえず、いままだこの状況に流されていよう。 ようやく感情という色を載せた件の女を目の前にして、克己は今度こそ本気の笑みを浮かべた。



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 (2008年2月6日)

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