Dear Your Majesty



1.
耳元から微かに聞こえる小鳥の囀りが、心地よい。
朝の知らせを告げる愛らしい声を聞きながら、エルファは微かに身じろいだ。
寝返りを打ちつつ、いまだ亡羊とした頭で今何時であろうかと考える。
彼女はどうしても、早く起きる必要があった。




エルファ・トノアは、今年で18になる。
王都で酒場を営む両親と少し歳の離れた弟を持つ 至って平凡な町娘である彼女は、昨日から王城の召使 として働き始めた。
城の警備隊に属する叔父のつてで始めた仕事であるが、エルファにしてみれば正直気の進まない 勤めだった。
もともと自ら志願したわけではないのだから、こればかりは仕方のないことだ。
今までどおり、父と母の仕事の手伝いがしたかった。
事実両親の切り盛りする店に上がらせてもらっては、小さい頃から仕事を手伝ってきた。
初めは恐々であった 酔っ払った客のあしらい方だって今のエルファにとっては造作もないことであったし、何より客との 掛け合いや異国から来た旅人の話を聞くことはとても楽しかったから、王城でしかも住み込みで働け と叔父から言われた時は純粋に驚いた。
叔父のルータスは警備隊の副隊長で名も知れているらしいが、 エルファにしてみれば唯の陽気な男である。
そんな彼が後生だからと頼み込んでまで城の召使を自分にさせたがるわけが、エルファにはさっぱり 検討もつかなかった。
「どうしても数人急遽いることになったらしくて。メイド長から誰か知らないかと聞かれて とっさに断れなかったんだよ」
だから頼むと拝み倒さんばかりのルータスの勢いにのまれてついつい承諾してしまった が、何も私でなくてもいいであろうとエルファは今では思っている。
あの叔父の事だ、きっと他所をあたるのが面倒くさかったのだろう。
住み込みだという事が頂けなかったが、それでも最後は叔父の言う事に折れてしまった 自分が悪いと腹を決めた。
それでも三ヶ月以内の短期という条件をのませることだけは、決して忘れなかったけれども。
ただ王城が求人をしていたのは間違いではなかったらしく、 初日の自己紹介のときに皆が暖かく自分を歓迎し、 メイド長は短期でも助かるとしきりにそういっていた。





いい加減起きないといけない。
エルファは体を横たえ目蓋も閉じたまま、昨日の記憶をゆったりと手繰った。
メイド長があてがってくれた自分に手ほどきをしてくれる手はずの先輩は、何時に起きるようにと いっていったっけ。
『基本的に朝6時、夜10時のサークルよ』
そう、確かそんな風にいっていたような。
(ちょっと待って、6時!?)
浮かび上がった単語の意味に、心地よい眠気もふっとんでしまった。
そうだ、さっき鳥が鳴いていた。
ということは、決して早い時間ではないはずだ。
(どうしよう、寝坊したかも)
寝坊なんて久々の事で、しかも初日にやらかすとは思わなかった。
情けなさと自責の念にかられながらも、 とにかく今からでも急いで持ち場へ行こうと思い立ったのは、彼女の生真面目さ故である。
エルファは実行に移さんと目を開けて、飛び込んできた景色に声にもならぬ悲鳴を上げた。
(なに、これ?)
寝起きの眼に移ったのは、上質でいて柔らかそうな白いシーツ。
人一人が寝るには大きすぎるようにも思えるそれは、明らかに昨日あてがわれた備え付け の寝台とは格が違う。
エルファが昨日ダイブしたあのベッドは、確かに寝心地はよかったが質素な一般向けのそれとなんら かわりなかったはずだからだ。
(え、え?)
パチリと開かれた薄茶の双眸に驚きと戸惑いを載せて、エルファは天井を仰ぎ見て固まった。
四柱に絡まる豪奢な赤い垂れ幕に、写実的に描かれた寝物語が彩られた天井。
これは世に言う天蓋という奴ではないだろうか。
「―っ!?」
文字通りはねるようにベッドから上半身を起こして、エルファはいよいよ泣きそうになった。
「お目覚めですか?」
「メ、イド長?」
一斉に頭を垂れる中一人、笑顔でこちらを見遣るのは昨日初めてあった職場のヘッドである。
叱られると身を硬くしながらも、それでもエルファは覚悟をきめてベッドから抜け出した。
採光を取るにちょうど良い大きさの窓から漏れ出す清清しい光が エルファを包み、彼女の姿を曝け出す。
何気なく視線を下にやってしまって から、彼女は今度こそか弱いながらも声を上げた。
(なんでぇ?)
衣服が、かわっていた。
家から持ってきたお気に入りの寝巻きをきていたはずなのに、肌触りの良いシルク地のそれに 変わっている。
(え、え、私なんで?)
混乱極まりない状況の中で、それでもとにかく少女は、目の前でいまだ笑みを保っているメイド長に 謝るのが先決であろうという判断を下した。
後ろに控える数名の先輩達の存在は気になるが、それでもまず先に寝坊してしまった事に対する 罪悪感のほうが大きかった。
「あ、あのっ。私、すみません!今すぐ用意いたします」
「そうですね。まずお召し物を変えなくては」
当たり前のように帰ってきたその返答は、エルファにとって充分に謎めいた答えだ。
何かがおかしいと、本格的に彼女の本能が騒ぎ始めた。
確かにここは王族の居城でもある由緒正しい場所ではあるが、入りたての召使に使う言葉では 無いだろう。
何のお咎めの言葉も落ちてこない事が、エルファを更に不安がらせた。
「メイド長…?」
頼りない少女の声に、壮年のメイド長は和やかな笑みを覗かせ恭しく頭を垂れる。
完璧な所作をもってして、彼女は嬉しそうに口を開いた。



「はい。何でしょう、妃殿下」



向けられた言葉に、少女の体は完全に動きを止めて彫像のように固まってしまった。


  

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