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Dear Your Majesty 2. 「メイド長。この子固まっちゃってますよ」 もはや呆然とするしか術のなかったエルファの耳に届いた落ち着いた声に、 意識がようやっと浮上した。 普通の話し方に、自分に対する相応な態度。 エルファでも理解できる言語を解する人物の介入に、ようやく少女は四肢の力を抜く事ができた。 「あら、大丈夫ですか。妃殿下」 「ですから」 心配そうにこちらを見遣る上司の言葉はまだ理解の範疇を超えているが、それを制そうとしてくれる 人物の事はまだ理解できた。心強い事この上ない。 (それにこの声…) 明らかに聞いた事のある声である。声の主を探したくて、 視線をメイド長の後ろに走らせた。 「エルファをそう呼ぶのはまだ早いと思うんですが。かわいそうじゃないですか」 柔らかなメゾソプラノが奏でる言葉を頼りに音源を探る。 彼女はメイド長より数歩後ろで壁際に沿うようにしっかりと立っていた。 短く切りそろえた黒髪にエルファよりも頭一つ分高い背の女性は、確かに見覚えがあった。 数年前からずっと住み込みで働いているという先輩メイドで、 エルファは彼女の見習いとして今日から数日傍につく予定だった。 昨日エルファに一通りのルールと仕事内容を示したのも彼女であるから、なるほど聞いた事がある 声のはずだ。 わらにも縋る思いで、エルファはその女性の名を呼んだ。 「ク、クレーラさん」 「はいな」 当たり前に返ってくる、ごく普通の言葉。 最早それに泣きたくなるほど安堵を覚える事になろうとは、エルファの今までの人生では考えようも ない事だった。 「どうなってるんですか…っ?」 「あー、うん。気持ちはすごいよくわかるけど、とりあえず落ち着こうか」 時間も時間だしねと言うクレーラの言葉に、チラリと窓辺に視線をやってエルファは驚きの声 をあげた。 鳥の鳴き声が聞こえたから、日が昇った後であろうとは思ってはいた。だけどまさか、こんなにも 高い場所まで登ってきているとは思わなかったのだ。 (どうして?朝なら慣れてるはずなのに…) 夜遅くまで切り盛りをする母に代わって朝の仕事一切を引き受けていたエルファには、 早起きなど造作もない事であったのに。 (そんなに疲れていたのかしら) 自分の体力に自信を無くしながらも窓から視線を外せば、クレーラがメイド長となにやら話し合って いる。 「ですがね、クレーラ」 「メイド長、お話はもっともです。ですが彼女の状態についても考えてくださいませ」 「―」 「ここは私にお任せを」 物怖じせずに言い切ったクレーラに対して、メイド長はしばしため息をついた後エルファへと顔をむ けた。 「妃殿下、この者が本日からあなた様の下へつくものです」 「は…」 上につく、の間違いではないだろうか。 そう思いつつの掠れた返事にでも、メイド長には聞こえたようだった。 「では、後ほど。妃殿下のご用意が整いました時に」 その言葉と、何故か嬉しそうな笑み一つ浮かべて、メイド長達は部屋から出て行った。 「こっちおいで。メイド長が迎えに来る前にさっさと着替えちゃった方がいいわ」 掌でおいでおいでと促す先輩メイドに近づきながら、すでにエルファは仮説を組み立てていた。 「あ、あの。こういう事、新入りの方全員にされてるんですか?」 あれは仕事場ではなくて学校だったが、新入生達を楽しませるための様々なサプライズイベントが 用意されていた時があった。 まさかそれを、よりにもよって国王陛下の住むこの城で体験するなど思いもよらなかったが。 クローゼットと思われる豪奢で大きな家具を背にしたクレーナは、なぜか憐憫の眼差しで エルファを見つめていた。 「え?クレーラさん??」 何か悪い予感がする。 背筋を這い上がる本能の警告の凄まじさにたまりかねて相手に声をかけた。 「はいはい、落ち着いて。ちゃんと話すからさ。 とりあえず、それ脱いで。着替えながら話そう」 よしよしと頭を撫でられて、思わずコクリと頷いてしまった。 「ん、いい子だね。じゃあはじめようか」 軽い掛け声と共に開け放たれたクローゼットの中身に、エルファは微かに息をのんだ。 幼い頃寝物語にと聞かせられた姫君達が着るに相応しい、色とりどりのドレス。そのどれもが華やかで 、美しかった。 「すごい…」 「気に入った?」 「気に入ったも何も!これはどなたのなんですか?」 市井では見る事の叶わない上質の シルクをふんだんに使った数々の衣装は、尋ねずとも王室所有のものなのだとわかる。 それでもエルファが尋ねたのは、この国の今の状態を知っているからだ。 「確か現国王には女のお子様はいらっしゃらなかったですよね」 「結婚もまだしてないからね。子供がいたらそれはそれで、大騒ぎよ」 「じゃあ、前国王のお后さまのもの、でしょうか?」 数年前に亡くなった国王陛下が愛した唯一の女性。 智慧に溢れた聡明な女性だと、叔父が言っていたように思う。 「はい不正解」 ひんやりとした感覚と胸の辺りから聞こえた声に慌てて下を向けば、いつの間にか脱がされた寝間着が 床に所在無く落ちていた。 「う、え…っ!」 「あぁ、ごめん。勝手に脱がせちゃった。はーい、息とめて。一気にコルセットしめちゃうからね 」 「う、は、はいっ」 きついコルセットの締め付けに耐えながら、エルファはクレーラの支給服を恨めしげに見遣った。 自分だって昨日それをもらった。本来着るのは彼女と同じメイド服なのに、どうして自分は本来触れる 事すら許されぬようなドレスを身に纏おうとしているのだろうか。 「私なんかがこんなドレスきてもいいんですかっ?そ、れよりもメイド服は…お仕事は」 「なんかって言ってもね。これは全部あなたの為の特注なんだから、エルファ以外に誰も着れないわ」 特注? それもここにあるドレス全部が? いったいどういうことだろうとエルファは呆然とした。 新入りに対するゲームにしては、いささか長すぎるのではないだろうか。 冷や汗すら流れぬほどに、体は一気に緊張を取り戻していた。 「私っ、もう寝坊は絶対にしません!仕事だってはやく覚えて見せます。だからもう、そろそろ こんな冗談は…っ」 「ごめんね。そう思いたいのもわかるんだけどさ」 底知れぬ不安からたまりかねて飛び出した嘆願に対して、クレーラの陳謝のそれはあまりにも普通だ った。 ドレスを着せる手を一瞬だけ止めて、彼女はじっとこちらを見遣る。 真剣なその眼差しが、エルファにはとてつもなく怖かった。 「これは冗談なんかじゃないんだよ、エルファ」 哀れみが添えられたその言葉はあまりにも理不尽で。 理解すらできずに、エルファはただ身を硬くするしか術はなかった。 |