ファンタシア10
朝の吐息混じる、宵の口。
黒味を帯びた空が、あと数刻もすれば白々とした太陽に
照らされることだろう。
わりとしっかりとした足で寮の部屋へと戻ってきたころには、
そんな時刻になっていた。
「のみすぎたか」
ブラウスのボタンを大儀そうにいくつかほどけば、
それが合図のように投げやりにベッドへと転がる。
「つ…っかれたー」
シーツもかけぬまま寝転んで、セシルは苦渋の息を吐く。
「今度から、絶対エンドには酒を飲ませないでおこう」
エンドと酒を交わすのはあまり無い機会だった。
数年連れ添っているとは言えど、セシルのもとへきたばかりのころ
の彼はまだ酒を飲むという行為自体をしらなかった。
少年だったのだから、しかたがないだろう。
酒を飲めるようになったのはここ一年だ。
そうそう強くなれるわけが無く、また生まれ持っての彼の体質が
どうやらそこまで酒類を受け付けないようだった。
(だけど、あそこまでへべれけに酔っ払うとは)
目を閉じたまま、セシルはもう一度ため息をつく。
彼の飲める量は限られている。
それを超えさえしなければいいと理解していたのだろうが、
今回ばかりはいけなかった。
彼が間違えて飲み干したグラスには、酒に滅法強いルードの
愛酒。
あからさまにアルコード濃度の高いそれに、エンドが酔いつぶれたのは
説明するまでも無いだろう。
ぐったりしてくれるのならば、まだ介抱の仕方があったろう。
まさか日ごろ落ち着いた彼が、
泣くわ騒ぐわ暴れるわの大騒ぎを巻き起こすとは思ってもいなかったのだ
。
「疲れた…」
エンドを引きづるように寮へついたのが、つい先ほど。
彼を部屋においやっている間に、ルードはさっさと自室に戻ってしまった。
ただでさえ休みがない仕事で、睡眠は必要だというのに、このざまだ。
白け始めた空を疲れた目で確認し、セシルは荒々しく目を閉じた。
「寝坊しても、知らないからな」
愚痴をいいながらも、セシルは深い眠りの中に落ちていった。
セシル、セーシール!
まだおきないの?父さんと遠出の約束してたでしょ?
…もうちょっと、もうちょっと眠らせてよ
もう、あんたは!
そんなんだったら、いつまでたっても騎士団になんて入れないわよ!
「…っ!」
数刻ぶりに見た自分の部屋。
少し混乱した頭を整理する前に走らせた視線の推測では
、まだまだ早朝というにふさわしい景色だ。
いつもまだ数時間は寝ているであろう、そんな早めの朝だった。
太陽がでかかった山を眺めて、セシルは少し息をついた。
「うっそだろぉ、二時間くらいか?」
もっと寝ることだって出来る。
いつもなら迷わずベッドに再度もぐりこんだろう。
だけど、それをする勇気をあいにくと今のセシルには持ち合わせていなかった。
「顔、洗お」
ぽつりと声に出してから、セシルはベッドから背をそむける。
常よりも緩慢な動作で朝の支度を整えて、少し考えてからキッチンを目指した。
どうも今は、食堂へいく気分にはなれない。
住み着いて数年、少しも寄り付かないキッチンに立つのは何年振りであろうか
。無駄に広い部屋を見渡して、セシルは息をはいた。
団長専用にあてがわれたこの部屋の規模は、どうにもセシルにとっては
居心地が良いとはいえなかった。
まず、大きすぎるのだ。
ただでさえ独身身分の庶民出のセシルには、無用の長物としか思えない。
だけど今は感謝する。
適当においてあった酒のつまみのパンを見つけ、ミルクとともにダイニングに
運んだ。
少しばかり硬くなったそのパンをちぎり、ミルクにひたす。
そのままそれを口に含めば、まだまだ食べれるものへと変化した。
ものの数分で食べ終わり、そのままずっと座り続ける。
「…いくしかないな」
まだまだ本部は行くには早すぎる。
気持ちを整理するためにも、久しぶりに"あの場所"へ足を伸ばそうと思った
。
(そうと決まれば、さっさと支度するか)
常と同じはやさで立ち上がり、セシルは来たままだったブラウスを脱いだ。
さっさと着替え、腰の定位置に剣を装備すれば、それでもう
彼のしたくは終わっていた。
そのまま静かに、セシルは部屋を出て行った。
都の門を超えて、ほんの数分走らせた場所。
旅人が通る道をそれた林の中に、心地よい野原があった。
「…ここだ」
愛馬の手綱を強く引けば、主人の命に従いスモークブラックの鬣を
揺らして、雄馬はとまる。
「よーし、いい子だ」
馬から軽やかに飛び降りて、セシルは大きく深呼吸をする。
ひんやりとした朝の空気がなんとも新鮮で心地よかった。
「今日は良い天気になりそうだな」
仰いだ先の綺麗な空に目を奪われて、セシルはふと笑んだ。
―かすかに、自嘲的に。
背を思い切りしならせて伸びをひとつ、
それからそのまま青草の上へ、綺麗に倒れ込んだ。
一面に広がる青のスクリーンに、セシルはそっと手を伸ばす。
「空に吸い込まれていきそうだ。…そういえば」
あの日も、こんなに空は澄んでいたっけ。
そう、確かにこんな日だった。
あれは、もう何年前のことだろう。
「日が経つのは‥早いな」
寂しげに呟く。
そんな主人を心配してか、静かに愛馬が顔を近づけてきていた。
少し驚いて、それから苦笑する。
思い切り馬の頭を撫でてやった。
「問題ないよ、アカルザイン」
じゃれるように首を動かす、そのしぐさに目を細めセシルは呟いた。
「そうだな、俺一人じゃなかったよな」
あの時は、なんとも騒がしい一団の中にいた。
ここにこうして、わいわいと騒ぎながら、家族みんなで寝転んだものだ。
家族は5人。
頼もしい父親に、優しい母親。
しっかり者の姉と、おっちょこちょいの弟。
懐かしい自分の家族。
もう、何年会っていないだろうか。
(よく言うぜ…)
会っていない?
あえなくしたのは、
あの居心地の良い空間を壊してしまったのは、
紛れも無く自分だろうに。
セシルはくっきりと自嘲の笑みをその顔にのせた。
誰も、
誰も自分を責めやしなかった。
みんな、こうなるとわかっていたのだろうか?
俺だけ、俺だけがわからずに。
こうして、今も―。
なま暖かい感触にセシルは我に返った。
見ると、アカルザインがぺろぺろと頬をなめている。
あまりのくすぐったさに笑いながら、セシルはぎゅっとその馬の顔を包みこんだ。
「なんだ、心配してくれてるのか?」
よしよしともう一度頭を強く撫でてやると、愛馬は嬉しそうに目を細めて
足を鳴らした。
未だに心の奥に残っているわだかまりがとける日は、誓ってもないだろう。
こればかりは、どうしようもできやしない。
(だけど、いつまでも立ち止まってはいけないから)
それこそ、また馬鹿にされる。
だからいつも、ここにきては自分の気持ちを律する。
過去の居場所を、振り切るために。
「…いくか」
気合の入った静かなその声とともに、さっと起き上がる。
流れる動作でアカルザインをまたぐと、そのままセシルは本部へと
駆けた。
後ろは、絶対に振り返らない。
…振り返れ、ない。
「いつもより、お早いお着きですね」
定刻より少し早めに着いた本部の入り口。
信じられないという意味を含んだ挨拶が、セシルを迎えた。
意外そうに目を大きくするエンドのわざとらしい動作に、
エンドは苦笑する。
が、すぐに目をいたずらにほそめてみせた。
「おまえこそ。後遺症はないみたいで、よかったな」
ささやかな皮肉を口にしてみる。
なにせ、昨日のあれたエンドはひどいものだった。
自分はある意味、被害者といってもいいだろうとセシルは思っている。
が、きょとんとした変わらぬトーンが、彼の気勢を一気にそいだ。
「は?何のことです?」
「…は?」
驚きで硬直するセシルをよそに、エンドはあぁと呟き頭をさげた。
「昨日は、ご馳走になりました。おいしかったです」
丁寧に下げられた彼の頭を見下ろし、セシルは嫌な汗がひとつ、背を伝っていくのを
感じた。
(もしかして、こいつ…)
ありえない、だけどエンドならばありえるかもしれない事実を
想像し、セシルは恐る恐る口を開く。
事実を認めたくは無かったが、それでも聞いてしまうのがセシルだった。
「エンド、おまえ‥。もしかして、覚えてないのか?」
「だからなにをです?」
戸惑いやあせりなど一瞬もみせず、
エンドは怪訝そうに目をほそめた。
(こ、いつ…。忘れてやがる!)
あれだけ暴れたのに。
あれだけ据わった目のエンドをなだめたというのに。
忘れてるなんて…!
「なんでもない」
すべてがどうでもよくなって、セシルは一言うめくにとどめた。
まだ朝だというのに、まったく今日は調子が狂う。
どっとくる疲れに言い知れぬ不安を覚えれば、
後ろから控えめな笑い声が聞こえた。
「朝からご苦労なことだな」
普段と変わらぬ顔、ととのったいでたちでこちらを見据える男は、
昨夜飲むだけ飲んで全てをセシルにおごらせた当事者だ。
「ルード」
肩先ほどの髪を、後ろできゅっとひとつに紐でゆあえ、
まぶしそうに目を細め空を見上げるその様は、絵に描いたように
さわやかだ。
昨夜
浴びるように飲んでいたというに、微塵も引きずってはいない
その様子に、セシルの口は思わずひきつった。
「おまえのせいだろうが?この酒豪が」
「なんのことかな、間違えてのんだのはそこの奴だ」
平然と言い返す憎らしさに言い返す気力をも、惜しい。
瞬間訪れた静けさをさらうように、エンドが怪訝な顔で首をかしげた。
「お二人とも、話が見えないんですが」
「聞きたいか」
「いいえ、結構です」
からかったルードの誘いを
あっさりと跳ね返し、エンドはプライベートをその表情から追い出した。
「お二人とも、今日は大変ハードなスケジュールですから、よく聞いて下さい」
「ハード?」
真面目な彼の声に、セシルは頭を巡らせた。
が、それを悟られぬよう、嫌そうな声を出す。
「はい、今すぐ王城へ向かってください。
陛下の命です」
陛下。
その単語が、セシルとルードを素にさせた。
「…陛下が?」
「前触れがないとは、急な命だな」
先ほどのふざけた雰囲気は、とうの昔に一掃された。
張り詰めた空気を体に纏っていく彼らをみて、エンドがひとつ苦笑した。
忘れてはいけない、ここは本部の入り口なのだ。
「…おそらく、"例の少年"の話かと。私も今回出向くようにと
いうことですから」
心得た表情になった二人を見据え、エンドははっきりと二人に言い放った。
「私はここで待っていますから。お二人とも取り急ぎ支度なさって
ください。数分でおねがいします」
片手をあげてわかったと示してから、二人は合図もなく走り出した。
城へ出向くならば、出向くなりの格好がある。
さすがに今のようなラフなものではいけなかった。
「そういや、残りの騎士団長も呼ばれたんだろうか」
「いや。二人とも今"任務"であけている」
「ああ、そうか」
四人常駐していたとしても、王はそろって四人を呼ばないだろう。
それは、無意味に民や部下を不安に陥れるだけだということを
賢しい陛下は気づいている。
執務室の扉を乱暴につかんで押し開けて、
セシルはルードへ声をかけた。
「ルード、お互い5分後に本部入り口に集合な」
「わかった、おくれるなよ」
「おまえこそ」
無駄の無い会話とはいえないが、それでも互いの気遣いと
気安さがまじったその言葉。
扉を閉めながら、セシルはひとつ、わらった。
自嘲的なそれではなく、楽しそうなそれ。
(そう、忘れるな。今の俺の居場所は、"ここ")
ガチャンと派手な音を立てて、扉がしまる。
音にまぎれて、セシルの考えも遠くかなたへと吹き飛んでいった。
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