ファンタシア9




神殿の最奥。
常は誰も入ることが赦されぬ清められたその場所で、 シリアは深く頭をたれてうずくまっていた。
少女の目の前には、正確に書かれた神印に、件の本。
ピクリとも動かずひたすら聖なる気配を探り続ける少女は、 人形になってしまったのかと思うほど、体制を崩さない。
そんな少女を、部屋の隅でシルアが固唾を呑んで見守っていた。
妹の周りを取り巻く、痛いほど研ぎ澄まされた清らしいエナジーを、 シルアは体全身で感じていた。
普通の巫女なら、ここでもう力尽きて倒れているだろう。
それでもまだまだあふれ出る底なしの神に愛される力。
カリアナという身の上と女という性の上で成り立つ神官とは違った 特別なそれは、シルアの未知なる世界。
同じ命をわかちあった双子であるというのに、 シリアの希代なる巫女の能力には時に畏怖すら感じていた。
下手すればその力ゆえに矢面にたたされることもあったはずだが、 彼女の素直ほどに明るい性格がそれをさせずにいる。
(まだもつのか…、とうに二時間はたってるのに)
感心さえしていた彼の目が、少しだけ細くなる。
音も無く立ち上がると、シルアは少女の傍へと少しずつ近づいた。
「シリア…?」
そっと彼女の真横に片膝をつけば、数刻ぶりに体を動かした彼女と目があった。
「わかったよ…」
少しばかり掠れた声に終われるように少女の瞳を覗き込めば、 シリアはきらきらとした瞳でしっかりとシルアを見上げていた。
「で、どうだった?」
疲れてはいまいかといたわる兄にゆっくりともたれ、 シリアは目を閉じる。
「お話を、したの」
「話?」
目を微かに見開くシルアの反応に、優秀な巫女は薄く笑った。
「本当は探ってすぐに話に応じてくれてたの。 だけど説得してたら時間がかかっちゃって」
「説得?何の」
話がうまくつかめず、シルアは妹の体を小さくゆする。
そのねだるような行動がおかしくて、シリアはくすくすと肩を震わせた。
「私だけじゃ、解決できないと思ったから。シルアの前でも話してと」
そう お願いして、説得していたと小さく少女は呟いた。
「で、やっと了承してくれたのよ」
なかなか折れてくれなかったんだからと苦笑する彼女の頭に、 シルアは黙って手を置いた。
「上出来だよ、シリア」
意外な賞賛に、彼女がひどく驚くさまを、シルアはほろ苦い笑みで受け止めた。
無理も無い、ここ数年はそういったことすら口には出さなかったのだから。
「ほら、シリア。その方をはやく、僕の前に」
優しく促してやれば、シリアはようやっとわれを取り戻す。
慌てて頷いて、少女はそっと冊子の上にその小さな手を置いた。
床にペタンと足を投げ出し、目を閉じる。
意識を集中するのだと感じたシルアは、その妨げにならぬようすばやく彼女 の傍から離れた。
再び訪れたつかの間の沈黙を、彼女のかんさびた声が 突き破る。
「…偉大なる聖者、我が前に現れ姿成したまえ」
柔らかな、りんとした言葉達は、静かに 冊子の上へと降りていく。
じんわりとした声の余韻に呼応するように、 本がバタバタとページをめまぐるしく動かした。
(来る…!)
先ほどとは比べ物にならない、凄まじい聖気にシルアは歯を食いしばった。
外から内へと綺麗な深緑の言霊の光にみたされたそれは、 さぁぁんと光差す軽やかな音と共鳴してゆらゆらと揺れた。

"本当に、具現化するとは―"

「…っ!」
部屋に響いたその声は、あきらかに聖者の来訪を告げていた。
驚きで息を呑むシルアの前で、シリアがそっと頭を下げる。
「ですから、失敗はしないと申し上げましたでしょう?」
自信たっぷりに言い返す妹の姿を追い、シルアはもう一度息を吸った。
完全に開かれた本の数センチ上に見えた足先。
そこから静かに目線を上に上げていけば、 きつくひとつにまとめてもなお、腰までのびた 柔らかな銀の髪。
白く小さな男の顔は若く、 静かにひかる賢しい色を持つ瞳と 意志の強そうな引き締められた口元が彼の性格を物語る。
完璧に彼を召喚したシリアのなせる業だろう。
一度だけ、シリアに再度賞賛の目を向け、 シルアはゆっくりと妹の傍まで歩を進めた。
彼女の交渉により現れ出でた古代よりの聖者に言祝ぐ為に。
"おぬしが、この巫女と血をわかつものか"
疑問というよりは確認のためのそれに、シルアは小さくうなづいた。
「その通りです、聖なるお方。我らが時代に、ようこそお越しくださいました 」
丁寧すぎず、かつ失礼でもないその口調に聖者は目を細める。
"ふむ、おまえの血も清浄なようだ"
「カリアナがゆえに」
小さく返事を返せば、ようやっと男がふと微笑んだ。
"我に謙遜はいらぬ、血を分かち者"
流れる銀髪を揺らし、聖者はしっかりと前を見据える。
"我はツゥルス。人は我を聖賢者と呼んでいるみたいだが"
聖賢者。
この世の理を理解した、叡智の集大成。
ごくりと飲み込んだつばが、嫌な感触を持って嚥下する。
気味悪さと味気なさを感じ、シルアは彼の続きを待った。
"いくらそこの巫女が優秀であったとしても、時間に限界があろう。 手短に話すよう努力する"
聖者の気遣わしげな視線を感じたのだろう。
大丈夫だとばかりに胸を張って微笑む妹をみやり、シルアの心は和んだ。
"我の話を、聞くがいい。親愛なる我らの末裔よ"
高らかに言い放つ威厳のなか。
混在する感情の波の奥に憂いを隠し、聖者の話がはじまろうとしていた。


それは、誰も知らない。
カリアナにすら伝わることが無かった、悲劇の始まり。
古より対を成す、二つのグループは、それぞれまさしく陰と陽を担う。
均衡は、崩れてはならない。
例外はいらぬ。
認めた動作のみでよい。
されども、 "それ"が起こればどうなるか。
簡単なことだった。
"修正"すればいいのだから。
一から、作り直せば、いい。

人を成そう。
あるものがそういった。
中立の立場であって、我らの側の人間を。
それが、はじまり。
全ての、はじまり―


震える肩をどうすることもできず、シリアは呆然としていた。
"これは、真実。禁忌をおかしたおろかなる人間が巻き起こしたことにより、 明るみに出た真実なのだ"
静かにそういう、聖者の声も聞こえてはいるけれどうまく理解できなくて。
そんな彼女を包み込むように、兄がしっかりと抱き寄せた。
"…こくなことを話していると、理解している"
しかし、とツゥルスの続けた声に悲しみはなかった。
"前例は、私だ―。言いたいことは、わかるな?"
自分が、一番知っている。
なにがどうなって、最終的にどこへ流れたのか。
悟りをも含んだ告げる声音に、シリアはぼんやりと宙を見た。
(セ、シル…)
お願い、無事でいて。
少女は祈る。
それが神に届くものかどうかもわからずに。
だけれども、祈らずにはいられない。
重苦しい沈黙の後、聖者は再び本の中へと消えていった。




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