ファンタシア8




暖かい太陽の光が、眼裏をやんわりと刺激する。
どうにも心地よいそれに抗う術を、シリアは知らなかった。
「良い天気」
目を閉じたままポツリとつぶやいた言葉は、 あどけない少女そのもので、シルア自身も思わず苦笑してしまう。
ひとつ息を吸ってから腹筋だけで起き上がる。
つい先ほどまで背にあたっていた 整えられた芝の心地よさと、しばしの別れをするかのように 二度三度と撫でさすり、 少女は傍においた竪琴を手に取った。
柔らかな草の色と、古びた白のそれは、陽光に照らされて 綺麗だ。
シリアは嬉しい発見に微笑んで、愛しそうにここ数年愛用したそれを撫でた。
と、少女の顔がすこし曇る。
華奢な指先が楽器の底辺をなでたまま、ピタリととまる。
「…やっぱり使わない方が良いのかな」
そもそもこの竪琴を自分が貰わなかった方が良かったのかもしれない。
そう考えてから、少女ははっとしてかぶりをふった。
(私ったら、何考えてるの!?貰わなかった方が良かっただなんて!そんなこと、そんなこと!)
絶対に、ありえない。
もっと強い意志を持たなければ。
少女は気を引き締めた表情で、竪琴をひざに乗せた。
しなやかな指先は、少女の性格と同じく、軽やかに、時にやんちゃに いくつもの琴線を飛び回る。
常々自分が奏でるそれとは違う、明るく弾むようなそれ。
まるで酒場にいる吟遊詩人にでもなったみたいだと、初めて この曲を"あの人"に聞いたとき、思ったものだ。
思わず緩んだ口もとを、シリアはそのままへの字にまげた。
「そんなところで、何してるの。シルア」
中庭を囲むようにできた神殿だ。
自然と人の目を引く場所にいるということは 重々承知してはいるが、まさか 彼がここにいるとは思ってもいなかった。
シルアはいま、仕事中のはず。
仕事の時間はきっちりと守るこの兄が、 石柱にもたれてこちらをみているのだ。
いぶかしがってもしかたがない。
シリアは探るような視線を彼にむけた。
が、それすら意に介した風もなく、シルアは肩をひとつすくめてこちらへと 歩を進めた。
(お、怒られる!)
「私、まだ仕事再開まであと十分ほどあるもの!」
いつもの行動パターンを考えれば、思わず彼女がそう口走ってしまったのも しかたがないことだろう。
シルアはといえば、驚いたように目をひとつしばたかせ、 クツクツと身を折って笑い始めた。
常に落ち着いた兄の珍しいその行動に、 自分のとんだ思い違いを感じ取り、シリアは顔を赤く染めた。
「そんなに笑わないでよ、シルアの馬鹿!」
憤慨してみせるシリアの前で、兄はまだ笑いを完全に鎮圧できないでいる。
「あぁ、さすが僕の半身だ!」
からかいが含んだその言葉に混じったその言葉。
次第に嫌悪感を増していった禁断のその言葉なのに、 シリアは驚いて彼をみることしかできなかった。
(え・・?)
いやみなくらいの意地悪や、ざらざらとしたあの棘が綺麗になぎ払われた 単語だったから。
黙り込んだ妹のすぐ傍まで歩み寄ったシルアは、 何も言えずにいる彼女に手を差し伸べてしっかりと立ち上がらせた。
「シリア、ちょっと来て」
見てほしいものがあるんだと小さく口にされたそれに、 シリアは微かに眉を寄せた。
どうやらなにかのやっかいごとのようだった。
それも、仲間にもまだ打ち明けるかどうか悩んでいるような。
「ん、わかった」
竪琴をしっかりと抱えなおす少女を確認し、彼は歩き出す。
ゆっくりと歩調を妹にあわせたそれに気づかないほど、 シリアも鈍くはない。
だまって彼の横に並びながら、シリアは首をかしげた。
(なんだか、いつもと雰囲気が違う)
今までの経過を考えれば、そろそろ大きな嫌味が降ってきてもおかしくはない。
だけど彼は何もしかけてはこない。
どころか、彼を包むオーラが昔のそれのように親し見やすい柔らかなものに 思えてしかたがないのだ。
「着いたよ」
「着いたよ、って…。ここ、シルアの部屋じゃないの」
シリアの問い詰めに、彼は何も答えない。
少女はしばし兄を見つめ、そのままおとなしく扉の奥へと身を運ぶ。
だって気づいてしまったから。
困ったように笑うシルアの瞳の奥は、ひとつも揺らいではいないことを。
「人払いの必要のない場所といえば、ここぐらいかと思って」
シルアのその言葉に相槌をうちながら、シリアはキョロキョロと彼の部屋 を見る。
ここ数年足を踏み入れていなかったその場所が、妙に 新鮮なものに思えた。
山と詰まれた文献を綺麗によこによけ、シルアは古びた椅子に身をおろす。
どこに座ろうか悩んだが、結局シリアは彼の寝台の縁に身を寄せた。
「深刻な話?」
あえてたずねる少女の意図を知ってから知らずか、 シルアは机の中央に置かれた擦り切れた冊子状のものを持ち上げた。
「その本、何よ?」
思わず、顔が怪訝なほどゆがんでしまう。
本を開けなくてもわかる、それ自体が放つありえないオーラ。
感受性も強いシリアだからこそ、余計にひしひしとそれを感じる。
(信じられない…!こんなに強い聖なる気が、どうして…)
どこからどうみても、それは本というよりはすりきれぼやけた紙束だ。
それと相反す、気高さ漂う聖なる気配。
思わずつばを飲み込んだ妹に、シルアはさすがと息を吐いた。
「僕は、本を手にとって開くまでわからなかったんだけど」
肩をすくめてみせ、素直に笑う兄の姿は懐かしい。
ぼんやりと思うよりも前に、すぐに優秀な神術師そのものの顔を して、シリアを巫女としてその視線に捉えた。
真面目な、カリアナとしての指令を下すのだろう。
アガルスの次を告ぐであろうといわれるシルアの命に、従わぬものは 誰もいない。
まだ二十歳もすぎてはいない、16,7の青年なのに、シルアのその表情は 大人びて、生まれ備わったかぐわしい気品と威厳に満ちていた。
(弱いのよね、私。この顔に)
シリアは、堂々とした兄のその態度が好きだった。
おごりたかぶりもせず、もくもくと皆を気遣い引っ張っていく。
その兄が今、自分に何かを求めようとしている。
気を引き締め、シリアはじっと兄と見詰め合った。
「これは父さんとも話し合ったことだけど」
そう前おいて、シルアはしっかりと口を開いた。
「この聖なる気配の根源はなんなのか、シリアに探ってほしい」
「それは…巫女の能力を使って?」
探る、ということは聖なる気に対して、こちらもそれなりの 清らかなる気と術で対応しなければならない。
それは並大抵なことではなく、巫女それぞれの能力によって大きく結果が かわってくることなど、神殿関係者なら誰でも知っていた。
慎重にたずねれば、力強い肯定の頷きがすぐに返ってきた。
「僕も父さんもシリアの巫女の能力を認めているし、時に畏怖すらしてる。 ほかの者には頼めない。シリアにしか、これはできないと思っている」
しっかりと心とプライドを刺激して、掴み取る。
そんな彼らしい言葉の中に、お世辞ではなく本気を感じた。
「わかったわ」
だから、こちらも本気で返さなければ。
「やってみる、今すぐに」
すっと背を伸ばして、彼女はそう言い放った。


窓をたっぷりと覆いつくすカーテンの黒が、 そこ知らぬ暗闇のようにちろちろと男の神経を刺激した。
光一筋もらさぬその小部屋の中央、ふかふかとしたソファに 座ったその男は、いらいらと足を小刻みに震わせながら 声を荒げた。
「いったい、どうなってる!」
切羽詰ったその視線は、まっすぐに目の前の男へと注がれる。
「計画はどうなった!奴はどうしてまだ生きてる!」
迫力ある男の顔に対して、相手をするほうは冷静だった。
それをしっていたが、それでも男は遅々と進まぬ計画に不満が有り余るほど 抱えていた。
「はやく、計画を実行しろ!何年計画を練り直せば気が済む!?」
「…落ち着け」
まだまだいい足りぬ勢いの男を、たしなめる静かな声。
低く、感情を感じさせないそれに、男は薄ら寒さを感じた。
男は目の前に優雅に座る相手をちらと見る。
何年もの間、こうして何度か顔をつき合わせているというのに、 毎度同じく暗い部屋の中、漆黒のローブを頭まで目深くかぶった 彼の顔を、男は一度もおがんだことはない。
ただわかることは、ローブから見える白く細長い手と 始終乱れがない低い声から、自分とはだいぶ年齢が離れているということくらい 。
それ以上の情報は、集めることすら不可能だ。
彼が知っている呼び名すら、彼本来のそれなのか。
いつもいぶかしく思うも、それを口に出すことを男は強く禁じていた。
我が身が可愛くて、何がわるいのだ。
「時がまだ、満ちていない。ただそれだけのこと。もうしばらく待て と。そうすれば万事うまくいくと・・私は以前も、そう言ったはずだが?」
「しかし…」
いつも会うたびに、それしか相手は言わない。
だからこその催促を、いつも男は相手のたしなめですごすごと帰っていく 結果となる。
いくらか自分よりも年の離れた男。
しかも年下であることは違いないはずなのに、 それにひけをとらない平坦な声と会話が男をいつも退散に追い込んでいくのだ 。
「もう一度言う。時を持て」
もうすでに勢いがしぼんできた男に、ローブの影で隠された口から 言葉が投げかけられた。
静かに威圧が含まれたそれに、男は長い息を吐いて立ち上がった。
有無すら言わせぬその迫力に、男が負けた証拠だった。
「また様子を見に来る」
「わかった」
そっけなく返ってきたその言葉に一度顔をゆがめ、 男はその場を後にする。
パタンと音を立てて閉じた扉をローブの男はじっと見ていた。
彼はソファに座ったまま、物憂げに言葉を吐いた。
深くかぶったローブに隠された両の目は、しっかりと前方の闇を 捉えていた。
「‥イグルイース。そんなところで何をしている?」
「おやまぁ、ばれちゃてるんだ」
クスクスと笑う音とともに、青い光が一度部屋をまぶしく照らしあげた。
光の中心にスマートに現れた少年は、 目の前の男のすぐ横に身を投げ下ろした。
「ねえ、どうしてあなたはあんな男の依頼なんて受けたの?」
水色の瞳に覗き込まれ、初めて男は声を出した。
「‥のぞき見は良くない。そんなふうに育てた覚えはないが?」
「あいにく、育てられた覚えもないけどね」
軽く肩をすくめるイグルを目に留め、彼は口だけで笑った。
「それだけ皮肉が言えるなら大丈夫か・・」
「大丈夫って何が」
首をかしげる少年は、聞かんとすることがわからないほど鈍くも おろかでもなかった。
それでも相手の期待に沿うように、男は声に出す。
「‥やつらの情報は手に入ったのかということだ」
にぃと口の端をあげ、イグルは笑った。
「みなさんなかなかの強者だね。ルード殿もセシル殿も。両方要注意」
辛口の彼から飛びでるいい評価に、初めて男は表情を顔に出す。
「ほう…」
片方の眉を器用にあげてみせた男を、イグルは楽しそうにみやった。
「だけど珍しいよね」
「何がだ」
少しばかり深くなった声の調子に 怖じけるわけでもなく、イグルはその長い指で青年を指さした。
「あなたが人一人殺すだけのことでそこまでまわりに気を使う・・ってことが。自分でもそう思うでしょ?リューロ」
男―リューロは無言を通した。
ただ黙って頭にかぶされたフードを肩へと下ろした。
床に着くであろう長い朱色の髪が、鮮やかにローブに散る。 あけっぴろげな感嘆の息とともに、イグルがうっとりとした視線を彼の 髪へと注ぐ。
「何度みても、リューロの髪は珍しい色だよね」
「おまえの髪こそ、珍しい」
リューロの素っ気ない言葉に舌を見せる。
「つれないなぁ。‥だけど」 
笑っていた顔を引き締め、 イグルは声を改めた。
「時が動き出した今、一刻の猶予もないよ」
「その通りだ。」
リューロは険しい顔で宙を見つめる。
はるかより対極を成す存在の奴らが動き出したということは、間違いなく そうなのだろう。
「‥ファンタシア」
神すらも知らぬ、人と神を結びつける新たなる物語。
それがつむがれ始めた今、自分達に何が出来るのか。
「させるものか」
ボソリと呟かれたそれに重なるように、イグルの甲高い笑いが 部屋を包んだ。




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