ファンタシア12




さぁ、見渡してみよう。
何が見える?
自分の心の中で今、誰かが誰かに問いかけた。
(そんなもの、決まってる)
辟易とする心の中、セシルは胸中で投げかけられたその問いに、 乱暴ながらも答えをくれてやった。
(書類。それ以外に何がある?)
顔を上げれば、書類の山。
目を横に向ければ、 机ほどの高さまでに積み込まれた膨大な書類の塔。
いくらなんでもこれはないだろうと、 セシルはようやっと声を上げた。
「なぁ、エンド」
「なんですか、セシル様」
机の脇で同じように書類を読み漁る彼からは、 すぐに返事が返ってきた。
それを耳に残しながらも、 セシルはうんざりした顔で書類を机に放り投げた 。
分厚い書類はただポンと置いただけの所作に、 ドサリという重苦しい音を響かせる。
その音にうめきそうになりながら、 セシルは何度も目をしばたかせ、机に倒れこんだ。
「確かに、俺達の中で 一番レールンを知っているのは、エンド、おまえだよ。 でもまず奴らの生息体系すら知らないから、 少しでも知ってるおまえに知識をわけてもらおうといったのも、 俺達だ。 だけどな、エンド君よ。」
一区切りついたところで、 セシルは扉の横に積まれた木箱に目をやった。
朝方から堂々とその存在を主張するそれらの中身など、 あまりにもわかりすぎたもので。
知らずともれるうめき声がでるのは、仕方が無いことだろう。
ただでさえ、デスクワークは好きじゃない。
「この調査書の山は、ないだろう?」
思い切りうらみつらみを混ぜてのその言葉に、 エンドは悠然と微笑んで見せた。
「セシル様」
「なんだ」
憮然と返した言葉に嫌な顔ひとつせず、エンドは 微笑んだその唇を、上手に動かした。
「知識というものは、生きているのですよ」
「…は?」
どうして話がそこにいく。
つっこむのも忘れて、ただエンドをみやれば、彼はすました調子で 後を続けた。
「自分でそれを取り込まないと、あとで大変なことになりますよ」
だからこその、この資料ですと。
そう結んだエンドをどう言い負かそうか、セシルはさっと頭の中で考えた。
普段の 優秀な補佐役のいうことには、あらかた間違いというものは無い。
だけど今回ばかりは、どんな理由を引っさげられようにも、 はいそうですかとひくわけにはいかなかった。
「だけどな、エンド。資料というものそのものが 、その人の書いた知識だよな?じゃあその時点でもう、純粋なそれじゃあ ないんじゃぁ」
ないだろうか。
そう続くはずだった単語がいえなかったのは、 別に自分の言い分に自信がなかったわけではない。
「議論する時間を、読むのに徹せ」
という、冷たいながらに静かに苛立ちをまとった友の声が 響いたからだ。
(そうだった、奴もいたんだ)
あまりの静けさに、ルードがずっとこの部屋にいることすら 忘れてしまっていた。
少し離れた接客用のソファにすわり、 彼はペラペラと書類をめくっている。
書類処理もなんなくこなす彼が、さすがの量に まいっているのがわかる。
ページをめくるそのしぐさが いつもより荒い。
「ルード、おまえ一度部屋に戻れ。通常の仕事 を終わらせてしまえよ」
「俺は、昼までにもうやってしまった。おまえこそ、どうなんだ」
いつもよりも鋭いその口調に反論することすら、もう どうでもいい。
「俺は…。今からするんだよ」
それでも ブスッとした物言いになることが情けないが、 それでも黙って従来の書類処理へと準備を整えた。
「俺、今日ほど執務が嬉しいことはないぜ」
ややこしい書類だって、日常茶飯事で舞いこんではくる。
が、それはきちんと終わりの予想がつく仕事だ。
膨大な資料の読み漁りなどより、はるかにましだった。
「良かったな。きっと今日か明日だけだ」
すかさず帰ってきたルードの皮肉をなんなく交わし、 セシルは書類にさっと目を通す。
サインをすべきその場所を定めながら、手は机をさまよって 羽ペンを探していた。
ルードもまた、書類の山の中へと意識をうずめていく。
そんな様子をじっと眺めていたのだろう。
エンドがすっと音もなく立ち上がった。
「私はちょっと用事があるので退室します。 責務、がんばってくださいませ。特にセシル様」
用事が終わり次第すぐに戻りますと、 笑みとともにエンドは扉を閉めた。
完全に閉じられたそれを眺め、セシルはやるせない気持ちでなげく。
「どうして、『特にセシル様』なんだ」
それはないだろうとぼやけば、ルードが微かに笑う 音が聞こえた。
「身に覚えが無いと言う気じゃないだろうな」
つまらなそうに書類をめくりながらセシルはため息をついた。
「別に、そう言うわけじゃないけどな。‥ん?」
「どうした」
「…今日に限って書類が数枚しかないってどういうわけだ」
うんざりしたセシルの声に、ルードがゆっくりと口の端をあげる。
「とするとなにか?俺はまたあの書類に没頭しないといけないのか?」
「口を動かしてる暇があればさっさと読んでさっさと帰宅したらどうだ」
いつもよりぶっきらぼうな返事が、耳に突き刺さるかのようだ。
心からのため息をひとつ落としてから、セシルは 読みかけの分厚い書類を手にとった。
パラリと何度かページをめくって全体内容を把握して、 はじめてセシルは楽しそうに息をはいた。
彼が偶然手にとったそれは、 レールンの伝統や儀式などが古めかしい絵とともに事細かに記されているもので、 萎えていた好奇心を起こすちょっとした起爆剤になった。
比較的砕けた調子の文も、正確に模写された装飾類の様子も、 すべてが彼の目を楽しませてくれる。
心持軽やかな調子でページを繰り出せば、 紙面上部に大きく現れた幾何学模様にいやがおうでも吸い寄せられた。
それはとても不思議なもので、何かに例えて表せるような形をしてはいなかったが、 なぜだろうか、セシルはそれをかつて見たことがあると思った。
(どこで、見た…?)
資料から視線を少し上に上げて、意識を過去へとめぐらせる。
どの程度の過去なのかもわからないが、絶対に見たことがあるという妙な確証が セシルにはあった。
あいにくとその勘が彼を裏切ることなどほぼありえない。
信じるより手はないとばかりに、セシルは様々な記憶の断片を思い浮かべては消していく。
と同時に、再び書類へと視線をおろし、模様の下に続けられた注釈文を追いかけた。
なにか手がかりがあるかもしれないと、思ったからだ。
注釈のはじめ、早々にでてきたある単語に、彼はピクリと動きを止めた。
"ビグザルツ"
かつては神殿のものが用いた神聖古語の意味合いをもつ響きに、 セシルは思わず眉を寄せる。
(定められし印…?どうしてそんな名を)
冷静さを装って次の文を読み、彼は全てを理解した。
"ビグザノンであるという証。その者の体のどこかに有する印のことを指す。"
そっけない分の集まりを撫でるように読み上げ、セシルは張り詰めた息を吐いた。
「どうした」
思わずもれたその物騒なため息に、何気ない声がかけられる。
書類から顔を上げている友と視線を合わせ、セシルは黙って書類を彼へと ほうってよこした。
難なくキャッチしたルードがめくられたままのページにある模様に目がいくのを 見届け、セシルは口をようやっと開いた。
「ルード。これ、この模様…。よく頭に叩き込んどけ」
「…それほど重要なものなんだろうな」
訝しげに歪められた端正な同僚の顔をしっかりと見つめて、セシルは小さくうなずいた。
「おそらくは」
「おそらく?」
あいまいな言い回しは、好きではない。
だけど、今回ばかりはそれを使わなければ補えない。
苦笑を交えたしぐさで、長年を共にした相手には伝わったようだ。
「勘、か…。たちがわるいのが、恐ろしいほどにあたる確立が高いということか」
忌々しいとでもいいたげなその口調に、セシルは思わず噴出した。
そんな場所ではなだろうとでもいいたげなルードには本当に悪いとは思うが、 あまりにも彼らしいその言い草だったから。
「お仕事、はかどっていらっしゃいますか」
ギィと鉄のすれた音で開放された扉から、エンドがひょっこりと顔を出した。
さぞかし、奇妙な光景なのだろうと奇妙な顔をしたエンドを見て思う。
それはそうだろう、膨大な書類に囲まれた男二人。
一人は気が触れたかのように抑えきれぬ笑いを体全体から滲ませて。
もう片方は、その存在を見ているはずなのに、完全に無視である。
あたりまえといえばあたりまえの彼ら二人の態度に、 呆れたように顔を歪めるエンドが見える。
そんな補佐官を前にしても、彼の笑いの波は引き際を知らないようだった。


「調子はどうだ」
「調子って、なんのこと?」
嫣然と笑って振り返る少年は、月光に照らされて なんとも神秘的である。
青白い光に照らされて浮かび上がる黒々とした影が、 彼の白い肌を上手をさらに近づきがたいものへとかえていく。
「とぼけるな。一刻の猶予もないといったのは、おまえだ」
冷たい声があたりに一筋の道をつくって、消えた。
イグルは困った様子もなく、軽く喉を鳴らして 大きなソファへと足を向ける。
肩膝を軽々と肘掛にかけて相手の反応を待つ少年を、 対照的に動かぬ表情でリューロが薄い唇を開いた。
「‥まさか、イグルイースともあろう者が不備でもあるのではあるまいな」
「まさか」
すぐに返ってきた声には、並外れた自分への信頼と誇りがあふれている。
鼻持ちならないそれは、どうしてだろうか、イグルだからという理由で簡単に 消化され、もうリューロにとってはどうでもいいことのひとつに成り下がる。
「心配性だね、リューロ。僕はやるときはやるんだよ」
手はずはこの上もなく順調さと付け加えられる彼の声を 聞きながら、長は軽く息を吐いた。
「おまえはわけもなく目立った行動に出るからな」
呆れているのか、たしなめているのかすらもわからない、 言葉の響きが不安定な リューロの言葉に、 イグルが初めて無邪気に笑んだ。
「生まれながらの性分っていうんだよ、こういうのを」
「その性分がおまえにとっての命取りだ」
イグルは自信に満ちた表情でリューロを見やった。
「大丈夫。僕を誰だと思ってるのさ、族長様?」
「……そうだな」
浅く笑んだリューロに、イグルも目を閉じて微笑む。
「まぁいい」
「ならば、僕そろそろ行くよ。お仕事しないと。僕だって暇じゃないんだから」
あてつけるかのようなお茶らけた口調の裏に潜む、研ぎ澄まされた殺気。
咎めもせずに、逆にリューロは彼へとふっとゆがんだ口元から声を出した。
「計画に、障害はいらない。阻むものがあれば、取り壊せ。人とて同じこと。 おまえの好きなように殺せばいいが、能力だけは無駄に垂れ流すな。 もったいない」
「うっわ、相変わらず」
呆れたその声に、リューロはクッと低く笑いをかみ殺した。
「これも"性分"でね。おまえにとっても好都合だろう?」
先ほどの相手の言葉をなぞるようなそれに、イグルはニコリと笑う。
「そのとおりなんだけどね」
陰鬱な月夜は、翳りなどしらない。




Back Next

戻る書庫へ ファンタシア部屋へ