ファンタシア3




夜の涼やかな風が火照った身体を優しく包み込む。
風に揺られる花々を無感動な眼でしばらく見つめていた。
ただ何も考えず、ぼんやりとできるほど今の自分に余裕というものが無かった から。
時折ピュウピュウと音を立てて走り抜ける風は、容赦なく体温を奪い去って行く。
冷たい風のそしり声を聞きながら、セシルは立ち上がった。
遠くの方から華やかなダンスの音楽や、がやがやとした人の談笑が聞こえてくる。
その何もかもが鬱陶しくて、彼は逃げるように奥へと―建物とは逆のほうへと―道を急ぐ。

耳は無音を欲していた。

「全く、お貴族様の考えることはわからないな」
遠のいた音たちを振り返るようにそろそろと後方へ視線をやったまま、彼は息を吐く。
騎士道の世界に身を置いているセシルにとって、貴族達が催す舞踏会などには、到底理解しがたいものがあった。
もっとも彼の口調がとがるのはたったそれだけの理由ではないのだが。
「ルードのやつ。今日はやけに簡単に俺をはなしてくれたな」
仏頂面の黒髪の騎士は気まぐれに優しさをかいま見せる。
世にも珍しい恩赦に戸惑いながらも、彼に心から感謝した。
(にしても、ここはどこだ)
足に任せてきてみれば、建物一つ無いこの場所だ。
身の丈ほどの青草が覆い茂るところから見てあまり手入れが行き届いていない。どうやら庭の端の方まで来てしまったらしい。
全てを気持ち悪いくらいの豪奢で語りつくしたい館の主を考えれば、 どこかここだけそぐわない。
彼ならば見えない場所までもいらぬ金を つかうはずだから。
「やっかいな場所にでたな」
やれやれといった思いが篭るその言葉をどうやって出したのだろうか。
そう思うほど彼の瞳は静かに光る。
ひゅうともう一度吹いた風の悪戯に、セシルは軽く眉を寄せた。
無音という条件を満たすこの場所のどこからか、一筋の風が運んだ音。

宮廷音楽とはまた違う柔らかなその音色。

どこから聞いてもそれは、 竪琴の調べだった。

(・・・おかしい)
幸か不幸か、彼の勘はよくあたる。
研ぎ澄ました感覚を制御して、ついと視線を横へと走らせる。
吸い込まれるように視界の端に入った、荒れ草の一角に自然と足が向く。
焦点を身の丈ほどの青草に絞る。すいと細めた瞳は、その奥を見透かす が特に何も見えたものではない。
だけど勘が外れただなんて、思ってもいなかった。
指先は屈んだブーツの足先を一瞬撫でた。
おともせず転がり落ちた簡易ナイフを宙へ放って立ち上がる。
クルクルと四方八方にその刃先を見せながら落ちてくるそれを器用に片手で キャッチすれば、そのままその手で、青草を叩ききった。
「やっぱりな」

セシルはにやりと笑った。予感的中、いまだ彼の勘は衰えていないらしい。
地面に半分埋もれるかどうか、そこだけやけにくぼまった大地の中央に、 庭とはそぐわぬものがある。
繋ぎ合わされたダークアークに、ちぢに錆びれたかつては漆黒であったはずの赤茶けた鉄枠。
どこからどうみても、扉にしか見ない。
奇妙な夢の中にいるような、そんな感覚が拭えないまま、セシルは扉の表面へと視線を走らせた。

「紋章・・?」
視線に入りやすい上方にどうどうと刻まれたそれ。
なぜ元から目に入らなかったのか不思議なくらい、見るものを楽しませる細かい技巧を駆使したそれだ。
(こんな家柄、あったか・・?)
キラマイアの家は斧。
オランディニアル王家のそれは厳しい翼持つドラゴンだ。
双方、いや王国に隠れる程度に存在する国家のそれでも無いだろう。
どちらしにてもここまで柔らかな雰囲気の紋章を、どこもつかってはいない気がする。
鉄で打ち込まれたそれだというのに、木漏れ日が似合う、そんなさわやかな言葉がぴったりだ。
白樺の細々としたみずみずしい一本の木の根元に重ねるように置かれた盾と分厚い羊皮紙の本。
蔦のような木々の葉がそんな風景を閉じ込めるかのように、丸く枠をつくっていた。

(これは…なんだ…?)
輪郭をなぞるように指先を冷たい鉄のそれをなぞれば、そこがすでに熱を伴うように 光っていく。
「は・・!?」
ありえない事態に驚いて手を離すが、紋章は未だ青白い光を放つ。
ギギギギギ・・・ときしんだ音と共にただの扉が意思を持って開くさまを セシルは呆然と眺めた。
そして現れた新しい次元に、息を呑む。
扉の向こうには細長い石畳の道が奥へと続いていた。
あわててセシルは扉の反対側へと回る。 どこか威圧すら感じる扉の背しか、みえなかった。
「はぁ・・!?」
なにがどうなってるんだ、今これは夢の中か、そうか夢の中だな。
自己完結に久しいそれを自動的に導くも、悲しいかなかれの本能は・・・。
(現実だって、騒ぐんだよな…。どうしろっていうんだよ)
細長い指が刀の柄を握ったまま、髪の毛を所在無く弄る。
非現実的なこの状況においても、まだ彼の知性は損なわれてはいない。 冷静な視線でじっと足元から続く石畳をしばらく眺め、セシルはニッと笑った。
冒険好きな少年そのもののそれを浮かべたまま、ゆっくりと足を踏み入れるべく すらりとした足を石畳へと振り下ろした。


「ルード殿」

ざわざわと人の声にまぎれずに届いたその声は、ルードの耳にすぐに入る。
知らない声音に眉を寄せながらも、 ゆっくりと振り向けば、 全く面識の無いない少年がきちんと足をそろえて立っていた。
その風貌にかすかに驚き、彼の瞳は少しばかり拡張する。
綺麗な水色の髪に、印象的な青の瞳。
珍しいその色の配置は、透き通る少年の白い肌にそれはよくはえていた。
「こんなところにいらっしゃったのですか」
探したんですからねと付け足す声はいたって柔らか。
ふんわりと優雅に微笑む様は、なんとも美しい。
「…失礼だが、どこかでお会いしたか?」
平坦でいて淡白なそれは 全然失礼とも思っていない口調だが、少年は気にしない。
未だ整った笑顔を崩さないまま、軽く首を横に振った。
「いいえ。会うのは、今日が初めてですね」
幼さが抜けきらないその声に、敵意は見えない。
しかしそれに反するように、青年の色の無いその顔が徐々にいぶかしげに眉をよせていく。
「私に何のようだ」
バッサリと鋭利なナイフできりつけるようなそのいいざまに、 少年の目つきが瞬時に鋭くなる。
冷たい炎を宿した瞳はルードを捉えて話さない。
瞳の輝き一つでこんなにもかわるのだろうか、さきほどの柔和な笑みは どうみても冷たいそれにしか見えない。
「もうすぐ、この国、この首都で新たな戦争の火蓋が切られるんですよ」
すっと放たれたそれは、挑むようなそれとは、少し違う。
「たくさんの犠牲者はでませんが、少なくともあなたの周りは違いますよ、称えられし騎士団長様。 失いたくないものは、手放さないことですね」
形の良い唇から漏れる奇妙な言葉にルードは自然と眉を寄せる。
「どういうことだ」
「ご自分にお聞きしたらどうです。ご自分のことなのだから」
「それもそうだな」
別段驚いた表情も見せず冷静にうなずく黒髪の騎士に、少年は驚きを隠せず、まじまじとルードを見た。
「何を驚いている?」
口の端すらうっすらとあげてみせて、ルードは余裕の顔で聞き返す。 その顔を悔しそうに見つめながら少年は囁くようにいった。
「あなたはよほどの気丈な方か、それとも図太い神経の持ち主の方ですね」
「そうだろうか?あいにく、俺は予言とかそういうのを簡単に信じられる心は持っていないのでな」
「…また、あなたとはお会いすることになるでしょう。勇敢な騎士殿」
「待て」
ゆっくりと、少年が踵を返そうとしたところを呼び止めた。
「何です?」
そつない動きで振り返る彼をしっかりと見据えて、ルードは口を開く。
「名前は?」
少年は盲点だといわんばかりに目を丸くして、それからクスリと笑った。
「イグルイース。イグルと呼んでいただけたら光栄ですね」
言い残してイグルは人の山の中へと消えていった。
めだつ青の存在が雑踏にまぎれていく。
イグルの姿が完全に見えなくなったとき、ルードの顔から先程の余裕が消える。 真剣な顔で唐突な登場をした少年を思い出す。
(あの少年。イグルイース‥。不吉な…)

不吉な、名前。

イグルイース。
それは古より語り継がされてきた、神の名。
古神書によれば、 イグルイースとは禁忌の神。
最高神・チュリアヌの事実上最後の落とし子である。
人々はその名を口にするのを疎んじた。真名を口にすれば、それだけで 恐ろしい事が起こると本当に信じているからだ。
それでも神である以上あがめなければならない。
なので人々は彼を"イグル"と呼ぶ。

そのような不吉な神名を自分の名に持つ少年が、この世にいるという。
何気ない仕草や表情の優雅さは、どうみても庶民のそれではない。
(しかし、貴族が好きこのんで我が子にそのような名を付けるか…?)
答えはノーだ。
(奴の…。イグルの目的は何なのだろうか?)
さっぱり検討もつかない。
ただわかることといえば、あの手の奴らは一筋縄ではいかないということ。
それから、

(敵であると、いうことぐらいか)

同僚のセシルの勘は恐ろしいほどよくあたる。
自分はそこまで勘はよくないが、長年培った経験が、全てを持って奴を敵だといっていた。

「ル、ルード殿!セシル殿と一緒ではないのか!?」
すこししわがれたその声に思想は一瞬にして飛散される。
視線をさまよわせれば、主催者のキラマイアがたどたどしい様子でこちらへと 早足でむかってくるのがすぐ見えた。
(こんなときに…)
ルードは少し迷惑そうに眉をあげたが、それでもきちんと抑揚のない声で答えた。
「セシルは、庭の散策へ行ったようです。もう少し経ったら戻って来るかと」
「ああ、そうか。‥ところでルード殿」
焦ったようにしきりにあたりをきにして、 伯爵の口調が深みをました。
「水色の髪に青の瞳の少年を見なかったか?」
「水色の・・?」
とっさに思い出すのは、冷たく燃えるあの瞳。
人形のようなカタチある笑顔。
水色の髪と青い瞳の少年なんてそう何人もいないだろう。
「その少年が何か?」
頭の中の思いなど微塵も外に出さず、ルードはゆっくりとキラマイアに言葉を返す。
待ってましたとばかりに、伯爵はそっとルードと最後の距離を狭めて 声を潜ませた。
「その少年が、門番を気絶させて勝手に入場したんだ!」
苛立ちを抑えた伯爵の言葉に、ルードはかすかに眉を上げる。
曲がりなりにも今力を強めてきている伯爵の館だ。
そこそこ腕が立つ雇い門番が警備しているはずなのに。
「門番を?・・・武器は何です」
「それが・・」
とたんに口をにごらせて目を伏せた伯爵は、意を決したようにそっと言葉を零す。
完結な単語の羅列に、ルードは耳を疑った。
疑問はそのままうめく吐息へとかわる。
「・・素手・・?」

「ああ、だが私の雇った用兵がやられるなんてことは…!」
大勢の客の手前大げさにわめくこともできず、キラマイアはグッと歯に力をこめて憤りを抑えた。
そんな横でルードは、先ほどの光景を思い出す。
優雅な身のこなし、しなやかに動く彼の手と残酷なまでに柔和なあの少年。
「不吉…か」
彼の名前も名前なら、存在自体も不吉の象徴か。
ルードは目頭に手をおいて、息をはいた。
深い、深いおもぐるしいため息を一つ。
またふたつとあげると、それから 顔を上げ、ゆっくりと歩き始める。
「‥…セシルを、呼び戻してきます」
すでに伯爵の言葉など期待もしていない。
彼はひらと一度手を仰いで、思いついたように言葉を付け加えた。
「今日の宴はもうやめにしたほうがよろしいのでは。客のために。…ひいては貴方のために」
スタスタと庭へと姿を消した騎士のその一言は、キラマイアにとって気付け薬そのものだった。
かすかに血の気の引いた顔はふらりとさまようようにとある方向を見詰めて、 体中を震わす怖気を振り払った。
「誰か、ここに!」
威圧的なその声は常と代わらない。
ただいつもの指示と違うのは、早急に舞踏会を中止するというそれだった。




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