ファンタシア4




まっすぐに見えぬ奥へと貫くこの道は、 どこまで続いているのだろう。
それくらいここにいるのかもわからない、もはや 時間が動いているのか止まっているのかすら、疑問なところだ。
しかし扉の場所へもどろうだなんて、思いもしない。
むしろこちらのほうが彼の性にあっていた。
大小さまざまな形がくみこまされた 石畳は、セシルの目を楽しませてくる。
きらびやかなサロンで綺麗な貴婦人を探すよりも、 数倍こちらのほうが楽しいし飽きない。
ただただその道の上へと足を交互に滑らせる。
前はみない、ただ足の先だけを眺めればそれでいい。
石が放つ鈍い光が、不意に硬質なものにかわる。
あきらかに今までと違う足の踏み場に、セシルはようやっと顔をあげた。
目の前にそびえたつは、古びれた石塔。
まわりの樹林に囲まれ、ところどころにつたが媒体した状態は、 その建物自体が大きな樹木の幹のようで、セシルはヒュウと喉を鳴らした。
「これは、でかいな」
値踏みするかのように細められた目の向こう、 無言で真夜中の訪問者を待ち構えているそれは 確かに通常の石塔の数倍は大きくしっかりとしたものだった。
こんなに高くて巨大な塔の存在をセシルは知らない。
(大陸一のわが国と言えど、こんな規模のものは見た覚えがないな)
大きな岩石から綺麗に切り取られたのであろう。
完璧な長方形を描いた石灰石のレンガが月まで届くのではないかと。
思うほどに威圧感を与えて天へとその頂を伸ばしていた。
(ここまで強固な塔を作る理由って、なんなんだろうな)
国をかけて、まもるもの。
はたまた古代の遺跡であろうか。
勝手な想像を働かせて指先でつたをいじれば、 くるんと巻かれたそれについた深緑の新葉がつつましく揺れた。
唯一蔦が絡まっていない目の前の扉は、いかつく無言で セシルの存在を拒否しているように見える。
どちらにしろこんな夜中に一人、塔をじっと見上げる自分は さぞかし怪しく見えるであろう。
滑稽かとすら思えて、セシルはクツリと笑った。
「帰るか」
冒険は終わり。
少し名残惜しいのは事実だが、道の果てについたということは 彼の小さなたびの終わりを意味している。
あとは引き返して戻るまでだ。
来た道を戻ろうと振り返れば、 いまだ存在するあきらかに常世とは違う次元。
吸い込まれそうな一本道へとまた踏み込もうと塔に背を向けた。

そのとき。

「・・・!」
耳元をやさしくなぜて駆け抜けていったあまやかなメロディー。
まやかしかとも思えるほどの、頼りなくも存在する そのやさしい調べは、どこか懐かしくセシルの足をその場に縫い付けた。
(…竪琴‥か?)
目を閉じ、耳に神経を集中させる。
「…あそこ、だ・・」
再び向かい合った、塔。
見つめる先は塔の最上部。
「まいったな・・・」
そのまま視線をさらに上に上げてセシルは息を弱り声とともにはいた。
空に浮かび上がった月は、先ほどよりも幾刻か過ぎている。
もうすぐ夜の帳が世界を制覇する深夜だ。
「まいったね」
もう一度つぶやく。
今度は、心底楽しそうに。
瞳はキラキラと輝き、子供のそれとなんらかわりはないだろう。
今ここに、かの優秀は付き人エンド・ラマスクリスがいたならば、 頭が痛いと嘆いたことであろう。
だけど今ここにあるのは彼と、この塔のみ。
誰が彼を止めるというのだろう。
たった数歩足を動かせばすぐにたどり着いてしまう。
目の前に大きくたちはだかる扉。
無機質であるべきそれは、威圧感をもってセシルの前にあった。
それをあけようと飛ばした指先は、扉との微妙な距離を持って ピタリととまる。
気づいてしまったのだ。
(ドアノブが、ない・・・)
これでは扉の意味がない。
呆れた面持ちで顔を上げれば、先ほどまでなにも施されていなかったはずの 扉の表面に、真新しい印をみつける。
断言してもいい、先ほどまでそれはなかった。
木漏れ日の似合う、紋章。
キラマイアの庭先でみとめたそれをみて、 変わった紋章だと改めて思う。
後から考えれば、なぜそうしたのかわからない。
まるでその不可思議な紋章に引き寄せられるかのように セシルの指先は迷いもなくその紋章の枠にふれ、 さっとそれをなぞりつけた。
まるで光る塗料を塗りつける筆のように、 彼の指が通った後に、蒼と白が混じった光がエンブレムを光らせる。
やがて細長い人差し指が一筆書きの要領で紋章を一回りしたころ、 くすぶっていた光は一度に奔流し、軽い風を呼び起こした。
思わず顔を背けて、クリアな視界を求めると同時、 微かに鉄の寂れた音がした気がしてセシルはそろそろと扉と向き直った。
「は・・・」
そして息を呑む。
ノブすらなかったその扉が、 ようやっと本来の仕事をしおわり セシルへ向けて入り口を開放している。
セシルはゆっくりと拳を解いた。
知らずと力をこめてしまっていた。
「お邪魔するとしますか」
軽く嘯いて入り口の際で中を覗き込む。
はいってすぐ、上へ上へと続く石灰の 螺旋階段がセシルを無言で迎え入れていた。
先程の石畳の道と同じく、それは上へ上へと石段がつまれている。
それを確認して、セシルはもう一度数歩下がって上を見上げた。
竪琴の音はいまだセシルの耳を刺激し、柔らかなそれは 彼の心の琴線をそっとふれては離れていく。
「・・・・」
いくか。
心でつぶやいて、セシルは音もなく螺旋状の階段を 駆け上がっていった。


延々と続くと思われた石段は、 意外なほどあっけなかった。
ものの見事数分で駆け上がったセシルの肩はいつもどおり通常のまま。
息もあがらず、汗すらかいてはいなかった。
すぐ傍に聳え立つものは、またも扉。
目の前のそれは、大きく無愛想な蝶番が 彼の訪問を静かに見ていた。
竪琴の音はこの扉の向こうからきこえている。
美しく心をかき乱す音色が、すぐそこに聞こえる。
ドアノブのかわりに、蝶番。
疑問はあるけれども、中にあるものは決して自分を傷つけない。
そんな気までするのだから、自分というものはほとほと 都合のよい生き物だと思う。
しかし、彼の直感は外れたことがない。
逡巡もなく蝶番に手をやれば、 カツンと小さな音がして、自由を得た扉はすっと解放者にその道を 譲った。
隔たりがなくなった今、内部がありありとよく見えた。
だだっ広い真円の部屋には、天蓋付のベッドがひとつ。
それ以外は特に特筆すべきものはない。
セシルの立ち位置からちょうど真正面にすえられた大きな窓辺。
視線をさまよわせた最終地点が、彼にとって"あたり"だった。
両手をひろげてもその両端には届かないであろう 大きな窓から、柔らかな月光がこの部屋全体に差し込んでいる。
その中央、大きく真ん丸い月を背後に納め、少女が一人 窓の縁にもたれかかるように座っていた。
まるで月の光に守られているかのようだった。
その縁に腰掛けた少女の手元に納まった琴で、かの琴の奏者が彼女だと わかった。
体をかすかにかしぎながら柔らかな白い指先は透明な弦の間を軽やかにはねる 。
音色とともに揺れる極上の金髪は、 月明かりを鮮やかに跳ね返した。
夢の狭間にいるようなその 光景から、目を離すなんてセシルにはできなかった。
耳に、心に心地よい空間に彼はただのめりこむすかすべはなかったのだ。
彼がようやく自我を取り戻したとき、部屋はしんとした空気にとらわれていた。
竪琴の音がやんでいる。
セシルははっとして、窓辺へ視線をやった。
うつむいていた少女が警戒するかのようにセシルを見ていた。
背筋が収縮するような感覚を紛らわすかのように、 セシルは息を吐いた。
ここがどこかはわからない。
だけど間違いなく言えることは、自分は不法侵入の立場だということ。
猫のように大きな少女の瞳に無言で見つめられると 、たまらないほど居心地が悪くなったことはここに認めようと思う。
「俺はセシル。…君は?」
だからといって何を素直に本名を名乗り、かつ場違いなほど軟派な挨拶を 口に出したのだろうか。
あせれども、口に出したものはもう元には戻せない。
固まった少女の表情がいぶかしいそれにかわるのを理解のうちに とどめながら、慌てて彼は口を開いた。
「その、勝手に君の部屋に入ったのは謝ろう。挨拶しようと思ったんだけど、君の竪琴を弾く姿から目がはなせなくて。それに竪琴の音色もとても美しかったから・・」
(何をいってるんだ。俺は・・!!)
これでは本当に、町のどこにでもいる戯れが好きな男ではないか。
弁解にしろ、もっと気のきいた言葉はなかったのかと頭を抱えたくなった 時、ふっと息の抜ける音が聞こえた。
可愛らしい笑い声がきこえた気がして、セシルはふと口を閉じる。 竪琴を抱えながらも、クスクスとおかしそうに笑う少女 は、文句なしに愛らしかった。
「あなた、…セシルって、おもしろいのね」
妖精の羽がこすれあえば、こんな音がでるのだろうかと 思うほど、どこか神秘的な声だった。
かわいらしいというよりは、すがすがしく凛とするそれに 心がすっと焦りをなぎ払った気すらする。
「そうかな」
心のそこからそう思った言葉を返しただけなのに、少女はもう一度 体を丸めてクスリと笑った。
「まあ、いいわ。私はシリアっていうのよ」
シリアと名乗った少女は、もう一度柔らかく笑った。
あどけなさとともに混じった気高さに、目を奪われそうになる。
不思議な高揚感を覚えながらも、セシルはしっかりと 口を開いた。
「君はここに独りで住んでるの?」
その問いは、いわば禁句だったのかもしれない。
軽々しく口に出してから、後悔した。
ようやっとほころんだ顔が、みるまに堅さを取り戻していく。
「ええそうね、ここには一人だわ。だけど、私の家はここじゃないから」
「ここではない?」
セシルは無意識に眉を潜める。 遠まわしな言い回しにもひっかかったが、何より少女の表情に混じる 苛立ちと寂しさが気になった。
「ええ。ちょっとわけありでね」
シリアはぎこちなく言ってから、そっと下を向く。
俯いた動作で、綺麗な髪がさらりと肩口を撫でて垂れ下がる。
髪で隠れた向こうから、小さな呟きが鈍く響いた。
「ちょっとわけありで、…監禁されてるの」
「監禁!?誰が、そんなこと・・!」
突拍子も無いその単語に、思わず声を荒げた。
こちらをちらりとみたシリアは、苦笑ともあきらめともいえる顔を見せた。
「父‥上に」
「父上って、君の?」
「ええ」
セシルの呆然とした表情を見てシリアは思わずふっと息を吐いた。
「監禁なんて言葉は、すぎるかもしれないわね。食事だって何不自由ない ものなんだから」
でも、自由を奪ってるんだもの。
力ない少女のその言葉に、セシルは一度困ったように少女をみた。
確かに少女はきちんとした生活を送っているのだろう。
荒れたことすらないのではないかと思うほど、透き通った肌は 健康的で身体に特に不自由は見られない。
「父親に怒られるようことをした覚えは?」
「無いわ。思い当たることがないもの」
「…」
何かしら、理由があるのだろうと思う。
だけど、この少女は傷ついているではないか。
いてもたってもいられなくて、彼は そっと少女の傍に近寄る。
少女のすぐその前で脚を止めると、床にひざをつけてたての距離を 縮めた。
少女が話しやすいように。
「シリア」
少女の名前を呼びながら、優しくシリアの手を自らのそれで覆った。
シリアはゆっくりと顔を上げた。
間近でみる少女の瞳は、涙で潤んできらきらと光っていた。
「落ち着いて。ほら、しっかりと考えてみよう?」
じっとこちらを見つめてくる彼女を安心させるよう再度微笑んで、 セシルはぎゅっと掌に力を込めた。
「理由無く閉じ込めることなんて、ないんだから」
「・・・」
大きな瞳を再度しばたかせて、シリアは小さく口を開いた。
「いつもはね、お祈りをさぼったとか、お勤め中に居眠りしてたとか。 そういったときに一日・二日ここに閉じ込められるのよね」
外見に反した彼女の行動に、セシルは思わずぷっと笑った。
「な、何よぉ!笑ったでしょ!」
それに赤くなって抗議する少女をなだめるように片手で彼女の頭を ぽんと触れた。
「いや、俺もよくそういったことで怒られたなぁと思って」
クッと笑いを飲み込んで、それで?と視線で先を促した。
少女は導かれるままに思いのたけをはずしていく。
「だけど今回は本当に私、何もしてないの。私、もうここに二週間も いるのよ」
シリアはいきまいて口調を早めた。
「そうね、いつもと違うことといえばシルアがごはんを持ってきてくれる ことくらいかしら。いつもはそんなことしてくれないのに」
「シルア?」
セシルの呟きにシリアは自嘲めいた声で答える。
「私の兄よ。そして、彼いわく『私の半身』。…私達、双子なの」
半身という言葉に激しい拒絶の色がしっかりと浮かんでいた。
あまりにあからさまな憎悪に、セシルは思わず息を呑んだ。
が、それも一瞬のことで、少女はまた寂しそうにひとつ笑った。
「私とシルアね。髪の色も、眼の色も、顔の作りも、何から何まで同じなの。外見はね。‥でも内面は正反対なのよ」
「そうなの?」
セシルが優しく相づちをうてば、少女はコクリとかわいらしくうなずいた。
「うん。あの人はとても要領がいい。私はすぐ口応えしちゃうけど、シルアは違うわ。柔らかく聞いて、そのくせ意見を最後まで通すのよね」
「へぇー」
(あぁ、エンドみたいだな)
思わず自分の補佐官の顔を思い出して、セシルは苦笑した。
「私にすごく意地悪なのよ。いたずらをしかけるとか、そんなことではないけれど、ただいじわるなの。 嫌味とか毎度顔を合わせば言われるんだから!…ほんと、昔はすごく優しくてそれこそ"半身"みたいに大好き だったのにな」
少女は気紛れに竪琴の弦を指先ではじく。音ではない音が部屋に鳴り響いた。
「とにかく、私。今回は本当に悪いことしてないって胸を張って言えるわ」
だから、意味がわからない。
父の行動も、双子の兄の行動も、全て。
シリアは無意識に竪琴をぎゅっと抱きしめた。
「その竪琴、大切な物なんだね」
「え?」
唐突に変わった話題に、シリアはきょとんとした表情で真夜中の訪問者を見た。
「大事に使っているのが分かるよ」
その言葉がうれしくて、シリアはふわっと微笑んだ。
「…ええ。これは私の宝物だから」
瞬時に戻った彼女の柔らかな表情に、内心安堵してセシルは話を聞いた。
闇夜に現れた女神のような、慈母に満ちたしぐさで、シリアは優しく竪琴をなでた。
「私の‥、尊敬している人がくれたの」
「そう、ならそれはシリアのお守りだな」
そいつがもうすぐ、シリアを外に出してくれるよ。
そういうと、シリアは再度驚いたように琴とセシルを交互に見やった。
「ふふ、そうかもね」
シリアは慎重な手つきで竪琴をそっと横に置いた。
それから、まっすぐなまなざしでセシルを見据えてくる。
「セシル。あなたはどうやってここへ来たの?この塔の入り口は、特殊で空かないはずなんだけど」
特殊、という言葉にノブすらない扉をすぐに思い出した。
確かに特殊だと一人笑いながら、セシルは口を開く。
「俺、キラマイア伯爵の邸の庭からきたんだ。奴の庭に扉があってね、なんだろうと思ってあけて、道をたどっていけばここに着いたんだよ。 ところでさ、キラマイアの庭の隅にある扉や、この塔の扉にある紋章は何?あれ、紋章だよな?‥シリア?」
セシルは不可解な表情をしたシリアをとまどいがちに見た。
(なんか、一瞬だけどすごい嫌悪感が混じった目で見られたような‥)
間違いだろうかとセシルが不安に思うほど、瞬間だったが。
すると、少女は微かに戸惑うように言葉を吐き出した。
「あなた…キラマイアの家のものなの?」
「は?まさか!」
とんだ濡れ衣だとばかりに叫んだせいだろう。
めんくらったシリアに慌てて説明を付け足した。
「今夜はあいつの家で舞踏会があってね。招待されたんだ。あいつのところなんて いきたくなかったけど、迎えにこられては逃げられなかった」
忌々しさを思わず口に出してから、セシルはきまずそうに少女を見た。
「大人気ないとは思うが、俺はあいつが嫌いなんだ」
「そう…なの」
「そう」
ここにエンドやルードがいたのなら、その場で口を封じられてしまっていただろう 。
仮にも自分は騎士団長なのだ、この一言が争いごとの火種になることだってある。
そんなことは自分とて重々承知だが、なぜだかこの少女の前では自分はありえないほど 無防備だった。
「ちょっと、待って!…あなた、オランディニアル人なの?」
はっとして、声を荒げる少女を、セシルは不思議な面持ちで見やった。
「え、ああ」
なにをとつぜん言い出すのかと首をかしげたせいだろうか。
シリアはあっけにとられた顔でセシルを凝視して、深くため息をついた。
「あのね、セシル」
かすれた声で、シリアは言葉を付け足した。
「ここはオランディニアルではないわよ」
「…は?」
思いもよらない、あまりにも突飛な発言。 冗談かと笑い飛ばそうかとすれば、あまりにも真剣な少女の瞳とかちあった。
本能が告げる。
現実問題なのだと。
(・・・まじ、かよ・・・!?)
「ここは、ラケスル・カナル。東の小国よ」
「ラケスル・カナル!ここが・・・?」
セシルは驚いて窓の外をみやった。
月明かりで照らされた森の風景は、確かにオランディニアルとは少々 雰囲気が違う。
神秘的な深緑は、神霊高さで知られる東の小国のものに違いなかった。
(すごいところにきちまったな)
セシルは息を吐いた。
ラケスル・カナル。
栄えあるオランディニアルに比べれば猫の額のような小国だが、 立派な同盟国として彼の国とは対等の立場であると 認められている。
大きな国土を占めるセシルの国の数多い境界線の一部を共有する 隣国で、ラケスル・カナルの強みといえば「神」そのものだった。
この大陸に人が生れ落ちてからずっと、時代の背景にこの国があったのだ。
神に守られた国。
神に愛された人がひっそりと祈りをささげる国なのだ。
「信じられない話だけれど…あなた、ファンタシアに導かれてここまで来たのね」
感じいったその口調よりも、単語のほうが気にかかった。
「ファンタシア…?」
言葉にすれば、急にそれが重いものに感じる。
セシルの思いを汲み取るように、シリアは苦笑してうなずいた。
「ファンタシアはまさに選ばれたものだけがお目にかかれる聖器のことよ。最高神チュアリヌが作り上げたこの世で一番美しいもの。見る人それぞれファンタシアは違う形をしているというわ。その人に一番にあった物を与えてくださるのだそうよ」
「‥はじめてきいた」
セシルはそういうことだけが精一杯だった。シリアが何を言おうとしているのかよく分からなかったのだ。
突然の神話介入は、あまりにも現実とは離れすぎている。
それでも真剣にさせるなにかが、セシルの心を動かしていた。
シリアもまじめな表情をみせて、ゆっくりと目を閉じた。
「ファンタシアについては、その全てを伏せられているからね。神話にも載っていないわ。これは、我が一族にのみ、語り継がれているの」
(一族…?まさか・・!)
あいにくと、勘はいいほうだ。
頭脳にひらめいた確信を顔には出さず、彼は目の前の少女に 言葉を投げかけた。
「君の一族って?」
瞬間、彼の体に緊張が走る。
シリアはぴんと背筋を伸ばし、すっと閉じていた瞼を押し上げた。
気高いしぐさだった。
「私の一族は代々神官なの。そのむかし、始祖がチュリアヌに、この世界の秩序を司るよういいわたされたのだそうよ」
(やっぱり・・!)
ごくりとつばを飲み込んで、セシルは目の前の少女を改めて見据えた。
「…カリアナ…!」
その単語に、シリアは力強くうなずいた。
カリアナとは、最高神チュリアヌの寵愛を受けた一族のことを総じて呼ぶもので、ムレジオタスクにはこのようなカリアナが存在しており、彼らはひっそりと人目を忍ぶように、一族で住んでいる。そのせいか、カリアナに出会うことなど滅多にないのだ。もちろんセシルも、カリアナにあったには今回が初めてだった。
「ねえ、セシル。あなたが見た紋章って。どんな模様?」
「樹木のそばに王冠と剣、あと…は本があったかな」
鮮明に思い出すのは、それがすばらしくできたものであるあるということ。
繊細でいて美しいそれは見事なまでに芸術だった。
「そう…、あなたの"印"はそうなのね」
シリアのその言葉の意図を探るように目を細めれば、 彼女はしっかりと視線をあわせる。
「あなたを導くその印は、ファンタシアのどこかに絶対ついてるマークなのよ。そのマークのことを『ラ・ファレル』と言う。その印自体も、人それぞれによって違うらしいわ。…あなたは文字通り、神に選ばれたのよ。セシル」
「神に…?」
「ええ」
訝しげに尋ねたセシルに、囁くように、けれど真剣な口調でシリアが話を続ける。
「あなたが通ってきた扉にラ・ファレルがついていたのよね。それはきっと次元回廊よ。セシル、すごいわ…」
恐れ入ったという彼女の口調が、なぜか歯がゆい。
別に自分はただ、扉を開けただけなのだ。
そこまですごいことをしたという気分は、今更持てなかった。
そんなセシルをよそに、シリアはすっと立ち上がった。
それを見守るように顔を上げれば、彼女が透き通った表情で セシルを見下ろしていた。
「ねえ、セシル。あなたは神に選ばれた者。これからきっとあなたの上に困難が降り注ぐわ。だけど決して逃げ出さないで。困難に立ち向かっていって。そうすればあなた、きっと必要な何かに気づくわ」
自信に満ちたその口調は、人を安心させる。
シリアのそれに耳を傾けながらも、セシルはふと笑った。
「…その信憑性は?」
セシルの言葉に、シリアは勝ち気な瞳を輝かせる。
「あら、私はカリアナ。そして、このムレジオタスク一の能力を持つカケスル・カナルの巫女なのよ?その私の予言に信憑性も何もないわよ、セシル。私の予言はね、真実なの」
堂々と言ってのけるその姿。
美しき唯一の女神、セラリムのような気高さ に、思わず笑みがこぼれた。
気高く自信に満ちたそのしぐさは、彼の友人である男と似通ったものが あったからだ。
(そういえば、ルード達心配しているだろうか?)
帰ることができるのならば、今帰ったほうがいい。
決断と撤退は早いほうがいいのだ、…それがどんなにも魅惑的な場所にいたとしても。
「‥シリア。俺、オランディニアルに帰るにはどうやったら帰れるかな?」
「え?」
彼の問いかけに、彼女は一瞬寂しそうな顔を見せた。
が、 すぐにそれを心の奥底に押しやって、 シリアは記憶を探るようにつむじをコンコンと叩きうめいた。
「たしか‥。そう!あなたはさっきと同じようにファンタシアを逆にたどっていけばいいのよ。でも…帰っちゃうんだ、セシル」
「シリア‥?」
シリアは一瞬憂いだ瞳を閉じ、すぐに元の元気いっぱいの笑顔に戻った。
「きっとあなたと私が出会ったのも神の意志よ。だから、また会えるって信じてるわ!」
「‥ああ」
セシルは無言で扉を開け、それから振り返った。
「シリア。俺、キラマイアの庭にいたとき、君の竪琴の調べがきこえてきたんだ。だから、もしかしたら君と俺との出会いをつくってくれたのはその竪琴かもな」
「…え?」
シリアがかすかに硬い声を出した気がしたが、セシルは特に気にはならなかった。
そのかわりに、扉を閉めようとした手をとめ、そのまま扉を完全に開ききる。
「シリア、ここはあけとくから。君がおかしいと思うのなら、出て行って 親に聞いてみればいい」
一緒に下におりる?とたずねれば、「ありがとう、でもあとにするわ」と 少女がフワリと笑った。
「じゃあ、またね」
そういって、彼は階段を駆け下りた。
背を向けた部屋からはもう、竪琴の音は聞こえない。
だけどかわりに降り注ぐ温かな笑顔と眼差しが、今の彼の追い風だった。


彼が石段を駆け下りる音が聞こえてくる。
(セシル、いっちゃったな)
だいぶ下のほうへ言ったのだろう、微かな音しか拾えなくなった時点で シリアは震える手で竪琴を持ち上げた。
ちょっと触っていなかっただけなのに、竪琴の表面がことさら冷たく感じる。
抱え込むように抱きしめて、彼女は目を閉じた。
「やっぱりこの竪琴には‥」
シリアの心許ないつぶやきが闇の中にむなしく消えていった。




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