ファンタシア5




塔の入り口に戻れば、あたりまえのようにそこに道があった。
シリアに言われたとおり、彼はゆっくりと道を戻り始める。
あれほどまで長く歩いた道のりが、帰りはあっけないほどに早く 道の片端に吸い込まれた。
まだ、数分もたっていないというのに目の前に突如色彩を持って現れた 青草は彼が確かに扉をあけたその場所に相違ない。
あやふやな感覚の中一歩足を踏み込めば、 硬い大地を靴越しに感じ、戻ってきたのだと 再度実感する。
耳の後ろで空気がはじけた気がして、セシルは振り返った。
水の中を漂う繊細な気泡のように、空気に触れて一瞬で酸化する 考古のものと同じ。
文字通り空気の中ではじけ踊って消えていった道と扉の跡地を、 セシルは呆然と見やった。
何度でもいおう。
自分は確かに肝が据わっているほうだと思う。
こうにも連続で訪れる人の域ではありえない現象 に、身を任せるということはいいのだろうかと 微かにあわ立った背肌をそこから守るように数歩後ずさった。
(それにしても…)
「…奇妙な」
神だとか、導かれるものだとか。
正直、自分はそんな神聖なものでなんでもない。
どちらかといえば、それの逆にいる立場の自分の前に 現れては消えていく軌跡は、セシルの好奇心を上手にたきつけてしまった 。
我知らず、楽しそうに呟いたその言葉が闇夜に揺れる。
「何だか知らないがご機嫌だな」
そんな自分に声をかける落ち着きが染み入ったその声。
聞き覚えがありすぎるそれに 静かに振り向くと、木にもたれかかってこちらを見ている人物が視界に入る。
「何で、ここにいるんだ。ルード」
「おまえこそ。今、どこから出てきた」
ゆったりとした言葉の中にある 鋭い誰何がわからないほど、勘の鈍い人間ではない。
苦笑ひとつもらして、セシルは肩をすくめた。
「ああ。いろいろあって。可愛い巫女殿にあったよ」
心待ち早く歩いてたどり着いた友のすぐ傍でそういってやれば、 ある種理解不能な戯れに、ルードは軽くため息をつく。
「俺もな。不吉な名を持つ美少年に不吉な予言された」
鬱陶しそうというよりは、面倒くさそうな口調からもれた やはり不可解なその言葉に、セシルは口をあんぐりとあけた。
「…はぁ?なんだよ、それ」
ふさげている言葉だが、内容が凄まじいと思う。
(よりにもよって、ルードに喧嘩うるあたりが命知らずだ)
本気でそう思って眉を寄せれば、先ほどとは少しだけ色の違う まじめな声が隣から響いた。
「しかも。そいつかなりの強者だ。ここの門番を素手で倒して進入してきた。伯爵には舞踏会を中止するようにと忠告をして、俺はおまえを捜しにでてきたというわけだ」
「…素手?…それを、はやく言えよ」
持ってきたカンテラで前方をさっと照らしあげる彼の横顔は、 よりいっそう小難しく警戒したそれにみえる。
友の険しい顔を見て、セシルも事態の深刻さを悟った。
「奴に関しての情報は?」
抜け目無くあたりに目を走らせながら、セシルは小さく言葉を投げかける 。
「特徴的なのは外見。それと名前。それだけだ」
「それだけあれば、充分だろ。本部に帰り次第手配かけるぞ」
「すでに王城には使いを走らせてある」
しっかりと返ってきたルードの機転に、さすがと微かに笑って セシルは道を急いだ。
草原のような無駄に広い貴族の庭は、隠れる場所が多すぎるという難点 があるが、まだ森に逃げられるよりはましだと思った。
カンテラと月の光がない交ぜになった数歩先の夜の世界に目をやれば 、目覚めた夜森の守り鳥がほうと大きく声を上げる。
「なあ、不吉な名って?」
ふいに彼のさっきの言葉が気になって、セシルは何気なしに言葉を連ねた。
つかの間よぎった静寂に首を傾げるも、それでもルードは走りながら 唇を開けた。
「イグルイース」
こぼれ出たその言葉に、セシルは思わず顔をしかめた。
知る人ぞ知る禁忌の神名に、コメントも一蹴そのものだ。
「ナンセンスだな」
呆れのともったその言葉に無言の肯定だけが帰るはずだった。

「そうでもないでしょ?」

透き通った、夜の世界に似つかわしくないその声は、 まさしく彼らにとっては突然の侵入者だ。
「…!」
背後から感じる気配に、振り向く。
両者そろって、無駄の無い動きだった。
先ほどとったその道は、月に照らされ少しばかり白けて見えた。
少年が月に照らされて行儀よく立っていた。
月明かりのせいだろうか、夜にも珍しい水色の髪が テラテラと異様な光りを発していた。
「…何のようだ?」
奇妙の中においても美しいその少年と、慎重に距離を保ったこの位置で。
セシルの声は、鋭く響いた。
最年少だろうがなんだろうが、彼がこの国の軍事を束ねる実力者である ことに変わりない。
聞くものを心からおびえあがらせる容赦ないトーンだというのに、 目の前の少年はうっすらと微笑むだけである。
余裕すら伺えるそのしぐさに溶け込むように、耳元で仲間のひそやかな声が響いた。
「奴だ」
簡素すぎるその言葉だが、セシルにとっては充分なほどだ。
(こいつが、イグルイース・・・)
ビスクドールそのものの、どこか作り物めいた美しさ。
彼から感じる印象はそういったところだろうか。
観察されていることなど、百も承知なのだろう。
器用に片眉をひょいとあげてみせ、少年は息をはいた。
「‥不躾な視線は、嫌いです」
イグルは強い瞳でセシル達を見返した。
「単刀直入に聞きましょう。あなたがセシル殿?」
「‥ああ、そうだ」
用心深く答えるセシルを満足そうに見やると、イグルは軽く微笑んだ。
不自然に無邪気なそれに、騎士二人は微かに警戒の色を強くした。
「僕とそこまで距離を置かれなくても良いじゃないですか。冷たい方ですね」
「ちょうど君の武勇伝を聞いたばかりだからな。俺も、ここの門番みたいに素手で倒されるのだけはご勘弁ねがいたいだろ」
わざと、肩をすくめる大げさなジェスチャーをしてみせる。
卑下にしているととられてもいいくらい、のんびりとしたセシルの 動作に惑わされるほど、どうやら彼は馬鹿ではないようだった。
「あいつらが弱いだけですよ」
イグルはクスクスと笑う。
彼の綺麗な声は、そのまま冬の冷たい風のようにしんとした夜の庭に はりつめた空間を導き出した。
「あなたがたになら、負けてしまうかもしれません」
本心からではないだろう。
あからさまお世辞とともに毛先を払う彼の手の向こう、 何処までも白いイグルの耳たぶに奇妙な物を見つけ、眼を細めた。
(何だ、あれは‥?)
セシルは細心の注意を払って目を凝らしたが、 サイドだけ少し伸びた髪がそれを邪魔するかのように 、微風と戯れて揺れる。
(あれは、タトゥー…?)
確信がもてずに目を細めれば、透明な視線を感じた。
イグルが、見ている。
意識をすばやく切り替えて、セシルは彼に向き合った。
「アナタにぜひぜひお伝えしたい、一寸先の話があるんですよ」
張り付かせた笑みでもどうしたことだろうか、美しいと思えるのが イグルのそれだった。
常人ならば頬を染めてたじろいでしまうかもしれないが、 残念なことにこの場にいる男二人はそれにあてはまるわけもない。
セシルは職場の新人と話すかのように、わざと砕けた雰囲気で 首を振った。
「いらないな。なんせ俺。つい先程予言をしてもらったばかりだ」
遠慮しとくよといえば、少年の顔がぐっとゆがんだ。
人形のようとたとえるにふさわしい彼が、初めて見せた人らしい表情だった。
不愉快に染め抜かれた青の瞳は、しかしながらすぐに 好奇の物へと変わった。
生気を得たかのように静かに瞳を光らせて、 災いの名を持つ少年は、セシルにふっと微笑んだ。
「へぇ、それはそれは。僕の予言の方が当たるのに、残念です」
「…彼女いわく、『信憑性も何もない。私の予言は真実』なんだそうだ」
はじめの洗練された乙女のイメージは何処に消えた。
それくらい自信に満ち溢れた彼女の表情は、誇り高き女神を背後に構えた 巫女そのものだった。
思い出しただけで、口の端がゆるゆるとあがっていく。
そんな楽しそうなセシルの口調が気に障るのだろう。
「‥それは残念ですね」
イグルは眉を弓なりにしならせ、彼なりの皮肉なのか肩を大げさにすくめてみせた。
「それはそうと、イグルイース」
おとなしく成り行きを見守っていたルードの声に、少年は意識をそちらへとやる。
黒髪の騎士団長は、顔色一つ変えぬまま、―その瞳ひとつで鋭く威嚇する。
見慣れたそれではあるが、普段よりも数倍冷ややかな光を放つそれを セシルは少しこわばってみていた。
ルードが怖かったわけではない。
彼が、何を言おうとしているのか手にとるほどわかるからに、相違ない。
「おまえ。今どこに身を潜んでいた?」
そう。それが、二人の頭脳に会話をしながらもひっかかっていた ことだった。
イグルはというと、済ました微笑で優雅に腕を組んで小首をかしげた。
「どこにって?あそこの木の側のあたりですよ」
「嘘をつくな」
ルードはぴしゃりと言い返す。情けひとつかけぬという気迫に、 さらに少年の笑みが深くなったのは気のせいでもなんでもない。事実なのだろう
セシルは大きくため息をついた。
「あのな。俺達これでも戦を職業にしてるんだぜ?人の気配はすぐに分かる。おまえ、あんな所にいなかったよな」
「…‥」
確認の調子というよりは、断定のそれ。
(地で気配を感じるようなものは、なかった。)
走りながら、話しながらだったとはいえ、それくらいの気配を読むことなぞ 朝飯前でならなければならない世界に生きているのだ。
ただでさえ独特の気を放つ、この少年の存在などすぐにわかったことだろう。
無言の重圧に、セシルはただ黙って静かに相手二人を眺めていた。
それからややあって意地悪な笑みをひとつ、こぎれいな顔に浮かべた。
「あなたもだてに騎士団長を任されていないということか。‥でも僕、あの木の近くにいましたよ?」
水色の髪がふわりと逆立つ。それに反応するかのように青の瞳が一層輝きを増し青に深みがましたような気がした。
「ただ、地上に足がついていなかっただけです」
「…!!!」
ゆっくりとであるが確実にイグルの足は地面と別れを告げていた。
はかない銀の月を背後に従え、イグルはまさしく浮いていた。
思わぬ事態に騎士達の顔が険しくなる。そんな二人の顔を楽しそうにひとしきり眺めて、イグルは笑った。
「では、セシル殿、ルード殿。また会う日まで、ごきげんよう」
イグルが空中で優雅にお辞儀をする。それからイグルの回りを青白い光りが取り囲んだ。光りが一層強い輝きを増し、発裂した。あまりにも強烈な光りに一瞬で視界を奪われる。
「く‥っ」
ようやく眼をこらして見ると、すでにイグルの姿はなかった。
「な‥!何だよ、今のあれは…。浮いてたぜ」
「ああ、浮いてたな」
ほうけたようなセシルのつぶやきに、冷静に応じるルードのその目はいまだに 厳しいものだ。
それにならうように、彼もまたあたりの気配を探る。
が、それもすぐにやめてしまった。
地を探ったところで、この広い空へと飛んだ彼を見つけることは あまりにも検討違いだと気づいたから。
(やっかいな相手と、であっちまったな)
小さく息をはいて、上を見上げる。
月はまだ、冴え冴えとした輝きをもって中央へと駆け上がっていく ところだった。
「一度、戻ろう」
セシルのその言葉とともに、二人は動き出す。
早足で地面をけりながら、ぽそりとつぶやいた。
「あいつ、人間なのか?」
魔法なんて、腐るほど知ってる。
素質というもの自体、自分は持っていやしないが、職業柄という奴だ。
セシルは文字通り目が腐るほど目の前で魔術と携わってきた。
だけど、そんな自分とて、もちろん同じ立場のルードだって、 宙に浮かぶという類のものは見たことが無かった。
「姿形は人間だな」
セシルの戯れ言にもルードはまめに答える。
「とりあえず、早くキラマイア伯爵のところへ行こう」
「ああ」
渋々歩きながらも、セシルには多くの疑惑が頭に残されたのであった。
そんなセシル達を見つめる視線があることに、セシル達は気づくことがなかった。




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