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トリッキーな君達へ 第ニ話
『面白いわ』 『ぜっんぜん、面白くない』 クスクスという笑い声と共に聞こえる懐かしい友の声に、私は憮然と言い返した。 電話越しの声は、まだ笑いが滲んでどこか楽しそうだ。 私としては全然楽しくもなんともないが、彼女が笑ってるからいいかとも思う。 最近新しいプロジェクトを任され、そのうえ畑違いなプレゼンまで押し付けられたと 言っていたから疲れているのだろう。 いつも長々と書いてくれるメールや恒例のチャットもどこか元気がなかったから。 休めといってもどうせ彼女は聞きやしないことは大学時代で既に検証済みである。 だからこうして楽しそうに笑ってくれているなら今回は目を瞑ろう。 その話題の中心人物が、意味不明の茅ヶ崎だったとしても。 『本当に面白いわね、その男』 『あいつ、絶対人間じゃない。宇宙人なんだ』 また電話越しでは新たな笑い声が響いている。 若々しい笑い声をBGMに、私はため息をついた。 わりと真剣に言った言葉で笑われては、どうすればいい。 『でもね。あなたもあなたよ、ミチル』 すっと伸びたその言葉に、私は静かに首を傾げた。 『なにが』 問いながらチラリと時計を見た。そろそろ準備をしないといけない。 ハンドフリーボタンに切り替え、私は渋々化粧台に座る。 すっかり見慣れた自分の顔と何万回目かのご対面をした。 『そんな誘い、いつもなら上手に逃げるでしょう?』 紅をさす筆をとめて、私は考える。 確かにそうである。 親しいものとの会合は大好きだ。手放しに感情を出せるから。 だけど仕事上の仲間となると、やっぱり事情が違う。 まぁ、そこまで仲の良い同僚はめったにいやしないけれど。 乗り気になりないときには当たり障りない程度に断るか、顔を出してすぐに帰る。 『だけどそれが、その男になると全然断れなくなるんでしょ?』 弾むようなその口調に、嫌な予感がする。 引きつりながらも誤解だけはとこうと訂正をいれた。 『違う、私はいつも断ってる』 そう、これでもかってくらい行かないって言葉でも態度でも示してるのに。 いつも奴はどこからか切り崩して私を攻略してしまう。 もしかして私という名の篭城はそこまでに難易度が低いのだろうか。 『いつも丸め込まれてるんだって!なんであんなに強気でいられるのかがわからない』 だってそうだろう。 いくら遊びだったとしても、ここまで何度も断っている のだからそろそろ飽きてもいいはずなのに。 不満たらたらの声でそういえば、笑い声が恐ろしいほどにピタリとやんだ。 『…おーい?』 声をかけれても相手からの反応がない。 とりあえず声をかけながらも今のうちとばかりに適当に髪型をいじりなおした。 『ねぇ』 『ん、なに?』 やっと帰って来た言葉に返事をする。どこか気の抜けたよびかけが気になった。 『それ本気でいってるわけ?』 『何が?』 いわんとすることがわからず聞き返せば、間を作らずに『だからその遊びって奴』と 言ってくる友に思わずため息をついた。 『―私を構うのに、それ以外なにがある?』 …私は、彼の告白を本気とは受け取っていない。 世間の目というものは、恐ろしいほどに外見というものに口うるさい。 それに伴う偏見の目というものも、自分は痛いほどに知っていた。 だからこそ、奴のいう言葉にいまいち実感は持てない。 恐らく私の反応と、体型が面白いのだろう。 だからこそ、昔にはなかった『ちょっとだけ痩せたい』という気持ちがでてきた。 何で痩せたいと思ったかだなんていたって明瞭。 いわゆる世間が言うところの『普通』の体型にすらなれば、相手はもう興味と好奇心を失う と思ったからだ。 まぁ、自分に痩せるという選択肢を選ぶ気はほとんどないのだが。 『あのねぇ』 急に黙り込んでしまった私の思考回路は、恐らく相手には外すことなくわかっているのだろう。 ちょっとばかり怒気のはらんだ声が部屋中に響いた。 『男を疑ってかかる気持ちはわかるわ。はっきりしない態度よりそっちのほうが断然いいと思う。 だけど、ミチルのそれはちょっと違うでしょ?』 『そうかな、さして変わらないと思うけど』 ため息と共に言い切れば、電話口からもため息が贈られる。 『遊び、じゃないと思うけどな』 『遊びでしょ。賭けでもしてるんじゃないかな。それか唯単に普通の女の子では飽きたか』 自分で 言ってて腹立ってきた。 茅ヶ崎よ、君は私をなんだと思ってるんだ。 私をそう簡単に打ち負かせると思うなよ! 『こうなったらさっさと追い払ってしまう』 私としたことが、もうちょっと冷静にいればここまで延長した悪戯はなかったかもしれないというのに 。 『あのね、ミチル?………―まぁ、いいわ』 すっぱりはっきりいう彼女にしては、珍しく言い淀んだ口調。 どうしたことかと聞き返そうとした私の空気を察するように、強い言葉が返ってきた。 『いいわ、好きにしなさい。―そのかわり、後悔しても知らないから』 腕時計を巻きつけながらも、私は口の端だけをあげる。 後悔?なにを後悔することがある。 ちらとみた時計の針は冷静に出社を促している。 立ち上がって子機を持ち上げながら玄関へと急いだ。 『ごめん、そろそろ行かないと』 『あぁ、そっち朝だっけ?』 いまいち感覚がつかめないといった感じの言葉に、私は思わず笑う。 『うんそう。君ははやく寝て。遅刻しても知らないから』 『あー、平気。まだ夕方だから』 だるそうなその声を聞きながら靴を履く。 『いい一日をね、ミチル。愛してるわ』 絶妙なタイミングで彼女はそう言った。毎回の既におなじみになった科白に、私も用意された言葉 を愛しさとともに吐き出した。 『おやすみ、いい夢を。―私も愛してる』 切れた電話を置いて出社のために家を出る。 私はこのとき、彼女の忠告をいやというほど体感するだなんてそれこそ夢にも思っていなかったんだ けど。 本当にすまない。だけどもう、既に後悔している。 友よ、あなたは正しかった。 昼下がりの仕事場。 律儀な鍵管理以外は資料倉庫としての扱いをされていない 雑然とした小部屋で茅ヶ崎と二人きり。 ありえない展開に、私は心中穏やかじゃない。 冷や汗を流しながら、私はじりっと一歩下がろうとした。 私の背後に付き添うように壁が生えてることは重々承知の上だったが、それでも さがらずにはいられない。 壁と目の前のこの男を選べといわれたら、私は迷わず壁に嫁入りする。 それくらいの勢いで、私は既に参っていた。 茅ヶ崎よ。無表情でこちらを見遣るその顔、頼むからやめてくれ! 爽やかだろうがブラックだろうが、いつも笑っている彼のほうがまだましだ。 目の前の茅ヶ崎はブラックを通り越してもうサタンという勢いだ。 怒っている、これ以上ないというくらいに怒っているんだ。 薄ら寒い気持ちになりながらも、壁にピットリと張り付き、近づくんじゃないとばかりに にらみつけた。 おかしい、なんでこんなことになったんだ。 さっきまで、仕事でどうしても足りない資料をひたすら探していただけなのに。 そう、茅ヶ崎がいつものようにからかいに来るまでは。 とりあえずこの場から逃げなければとそのまま横ばいにそっと移動―できなかった。 直ぐ傍で響いたドンッという鈍い音に身が竦む。 「ぃ・・・っ!?」 そろそろと目を開ければ、恐ろしいくらい近くにある奴の顔と、視界の両端に移る奴の両腕が見えた。 「ち、ち、茅ヶ崎君・・・?」 凛とした態度はもう取れなかった。 さっきまでは冷静に彼とやりあえたというのに、なんだこの様は。 そもそも何がいけなかったのかと現実から逃げるように思案する。 だけどそれも奴の言葉に引き止められる。 「―わからない?」 聞いたこともないくらい低い声に、ぞくりと全身がさざなった。 いつもの敬語をすっかり取り去った奴の言葉。 脳をわしづかみにされると思った。グワグワと頭の中で茅ヶ崎の低い声が響き渡っている。 なんて声。 なんて顔で私を見るんだ。 暴れようとする私を突き破るかのような瞳は、しっかりと私を捉えて熱く絡みつく。 どこか粘りをも含んだ熱さに心が震えた。 「わ、からないって―」 出した自分の声をのろいたくなる。なんて間抜けに震えた声なんだ。 もっと毅然と言い返さないといけないのに。 それも出来ずに、同時に何をこんなに茅ヶ崎が怒っているのかがわからない。 だけどとりあえず私に何か非があったんだろう。 謝ってしまおうかと口を開いて、思いなおしてゆるゆると閉め直した。 意味が解からないのに謝罪というのは、どうにもこうにも失礼ではないだろうか。 ならどうすればいいというのだ。 冷や汗すら滲んでいる私に、サタンとなった茅ヶ崎は容赦という慈悲を与えるつもりはないらしい。 「何で、そう思うわけ」 唐突に投げられた言葉に補足説明なんて親切なものはないから、余計に私は 混乱する。 何でそう思うって、何の話を言ってるんだ。 焦りながらも考えうることが一つだけ浮かんだ。 それは、さっきのやりとりのこと。 いつもどおりにからかいに来た奴に、私は事務的に言い捨てた。 『君もいいかげん私なんかで憂さ晴らすのやめときなよ』と。 黙りこんだ茅ヶ崎の表情は影になってよく見えなかったけど、そんなこと私には知ったことでは なかったのは確かだ。 とにかく私はこのまま言い切ってこの関係を終わらせてしまおうと思ってだった。 付け足した言葉も、今思えばNGだったのかもしれない。 『賭けだかなんだか知らないけどさ。いくら遊びでも、私なんかに絡んでたらいけないぞ、 茅ヶ崎君』 ―コレのこと、だろうか。 「その顔は、思い当たることを見つけたみたいだけど?」 心の中が読めるのか!と思うほど、すごいタイミングだった。 思わず目線を変えれば、させないとばかりに茅ヶ崎の視線が絡みつく。 冴え冴えとした黒曜石の瞳が、張り詰めた水面の下で何かがうごめいて、 静かに私を攻め立てていた。 「なんであんな事俺にいうの」 「それは、本当に―」 本当に、冗談だと思ってるから言ったのであって。 本気の人にそんな失礼なことはしない。 飲み込んだ言葉を意味を探るかのように、茅ヶ崎はじっと私を見下ろしてくる。 壁と茅ヶ崎の間にしか場所を確保することができない私は、目線をそらせるわけもなく ただ黙って奴を見返した。 「―わかった」 檻となっていた茅ヶ崎の腕が壁から離れていく。 やっと理解してくれた。 一安心とばかりに息をついて、緊張を解す。 あとから考えたら、これも反省点だった。 「まぁ」 「え―っ?」 開放と同時に俯いていた顔を照らす、唐突な光。 顎に感じる指先の意外に暖かい温度に気をとられた。 「ちょ、ちょっと茅ヶ崎く…っ」 ありえないくらいの距離にある顔に、心から怯えた。 い、嫌な予感がする、とてつもなく嫌な予感が―! 暴れようと私が腕を伸ばす前に、彼の動きのほうがすばやかった。 「――っ」 唇全体に感じる、柔らかな熱。 5秒ほどで離れていった、端から見たら可愛い遊びの延長のようなキスだけど。 自慢じゃないが経験なんて99%ないに等しい私の動きを止めるには、充分な 威力を発した。 いまだ近い位置にある奴の顔が、固まった私を見てニヤリと笑う。 爽やかでもブラックでも、震え上がるほど恐ろしい顔とも違う。 見慣れた奴の笑顔は、いやみなほどに不敵なんだけど。 心の奥が小さくざわつく。 なんでそんなに優しい、切なそう瞳で私を映す? いつもは乱暴に私の手首を握り締めるその指先が、優しく私の頬を撫でる。 たったそれだけのことなのに。 ものすごい勢いで、全身の血が沸騰した。 「茅ヶ崎君…?」 「あやまらないから」 いつもと同じ、落ち着いた口調。だけど、芯があってまだ少し怒りの色が見え隠れしている。 「あやまらないよ。少なくとも、羽丘さんが人の本気を、本気ととれないうちは」 怒ってるくせに、どこか呆れているその瞳には不穏に揺れるものはない。 本気。 低い彼の声が、はっきりと静かな資料室で響いた。 本気…なのだろうか。 それはそれで、お、恐ろしいだなんて口が裂けてもいえないわけで。 難しい顔で黙り込んでしまった私の注意を自分へと向けるみたいに、茅ヶ崎はまた距離を詰めて。 あ、あろうことかあいつは…! ぺロって!ぺロッて人の唇を、な、舐めていった…。 「もう遠慮なんてしてやらない。本気だって嫌ってくらいわからせて、絶対に振り向かせる」 こっ怖い、怖いって! 真っ赤になって固まる私に、茅ヶ崎が投げつけた爆弾は、見事に私の思考を低下させた。 「とりあえず、覚悟しといてくださいね、羽丘さん」 ニヤリと人が悪そうに笑う彼に、ちょっとばかし心がときめいたとか。 そんなものは錯覚だと思いたい。 『後悔するわよ』 朝方の友の忠告が大きな言霊となって私の体中を駆け巡ってる。 あぁ、友よ。 すごいな、君。いつも的確に判断する君だけど、まさか預言者並だなんて知らなかったよ。 知ってたら、忠告を守ってもっと様子をみていたのに。 それよりも、次の電話であなたに報告しないといけないよ。 茅ヶ崎隼はな、宇宙人じゃなかった。 平凡という名の愛すべき私の世界に降臨した、サタンだったよ。
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