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トリッキーな君達へ 第四話
『そういえば、Mr. Alienはお元気?』 唐突過ぎるその言葉に、思わず受話器を落としそうになった。 『――――は?』 『あらミチル?ミーチ―ル?』 『や、聞こえてるけど』 それでもわが耳を疑ったのだと、口には出さずにただ唖然とした。 こっちは早めに仕事が終わった夜で、あっちは久々にもぎ取ったらしい麗しき休暇の朝。いつもとは逆の珍しい時間帯にかけているからだろうか。それとも私が仕事帰りで疲労していたからだろうか、そのどちらでも構いはしないが、よもや幻聴が聞こえるようになるとは露とも思いやしなかった。 いや、むしろ幻聴であっていてくれと切に願う私をよそに、我が親友殿は軽やかな声でさえずった。 『あぁ、Mr.Satanに訂正になったんだったっけ』 クスクスと笑いながら宇宙人から悪魔へとレベルアップした名に、戦慄するよりも脱力した。 (なんで、よりにもよってそれが第一声?) どっとした疲れに引きずられるようにずるずるとベッドに倒れこんで、私はこれでもかとばかりに恨めしげにうめき声をあげる。 ただでさえ遠い距離にいる二人なのだ。 互いに働いている身だから、チャットをするのも毎日というわけにもいかない。電話だってそんなに頻繁にできるわけじゃない。そんな中にできた久々に話しこめるこの時間に、何も開口一番それでなくてもいいではないか。 そんな私の様子を、見透かしているのだろう。受話器越しから響く友の笑い声は途絶える事が無い。 楽しそうな相手とは反対に、私は全然面白くない。 むっつりと黙り込んでしまった私の反応すら可笑しそうに、彼女はいまだ声を上げて笑っている。 『ね、聞かせてよ。今どんな調子なの?』 『調子もなにも、普通で』 『でもデートしたんでしょう?進展もあったでしょう』 (は?デート?) ものすごく聞き捨てならない言葉だが、とりあえず後半の台詞は置いておこう。問題はそれよりも 前半にあるように思えるのは私だけだろうか。 だってそうだろう。 いつ誰が誰とデートしたというのだ。 思わず眉をひそめた私の事などお見通しとばかりに、彼女は柔らかい声を出して注意をひきつけた。 『博物館。この前の土曜日に二人でいったってメールに書いてあったけど』 『…そう、だけど』 (確かに、行った。行ったけども) ほんの数日前の土曜の事だ。突然おしかけてきた茅ヶ崎と、朝方から夕方にかけて二人きりで過ごした。 食後の散歩という事で博物館へと連れて行かれたのも事実ではある。 (でもそれがなんでデートになる) 突然の話の飛躍に意味がわからず、私は口元をひきつらせた。 『書き忘れたっけ?あれは食後の散歩だっていって目的の場所すら教えられずに車で連行された場所が、たまたま博物館だったって』 『だからそれがデートっていってるんでしょうが』 何を今更とばかりに言われた言葉に、私は思わず絶句した。 『朝彼が家に”迎え”に来てくれて、そのままご飯一緒に食べてちょっと家でまったりして?それから昼ごはん食べにいった帰りにちょっとだけ遠出した場所が博物館で、それから帰りにまた晩御飯たべて別れたんでしょ。立派なデートじゃないの。それ以外に何なわけ?この内容』 いちいち並べ立てられるその言葉に愕然とする。重要な単語が綺麗に意味深なものへと変えられていた。 『いや、違う!違うぞ!?会社の仲間に奇襲をかけられ、それに仕方なくというか、流された可愛そうな先輩が私で…』 『だから、その会社の後輩とデートしたで正解でしょ』 必死の反論も、相手はなんのその。それどころか、私に言い返すその言葉は、どこかこちらへと諭すような響きすら持っている気がして、私はこのまま現実逃避に走れたらどれだけ幸せであろうかと真剣に考えた。 『それにあなた、楽しかったんでしょ?』 『う、それは…っ』 そう、確かに楽しかった。 食事の会話も楽しかったし、なにより連れて行かされた場所が場所だ。 はしゃいだ上に失態を犯したなどとは、口が裂けてもいえそうになかった。 だからといって素直に是と返すのも癪で、 私は友の自説を打破すべく立ち向かう道を選んだ。 『迎えにきたんじゃなくて、奇襲されたんだ!博物館へは拉致されたも同然だったし』 『うん、でも自分が楽しんだ時点でそれを主張するのはちょっとおこがましいんじゃないの?』 さらりとそんな事をいわれて、私ははやくも言葉をつまらせてしまった。 唯でさえ彼女の話し方は人を納得させうる力を備えているというのに、先ほどと違う静かな調子で言われると、なんだかこちらがわがままを言っているような気すらしてくる。 それでなくても、彼女のその言葉に反論できないでいる自分がいるのだから。 (だって、博物館だったんだ) 幼い頃から、大好きな場所で。更にいうなら楽しかった理由がそれだけじゃないと自分でもわかっているのに、そんな子供のような言い訳しかできないでいる。 茅ヶ崎と一緒にいると、確かに居心地のよい食事ができる。会話に耳を傾けてゆっくり舌鼓をうてるという幸せな環境をあっさりと作るのがあいつなのだ。 だけどそれは、食事の時だけだと思ったら違ったのだ。私はぼんやりとほんの数日前である土曜の事を思い出す。 いくら社外だったとはいえ、あそこまで素をあっさりと晒すということは、私にしてみては珍しいのに、彼はあっさりと私の素を暴いてしまった。 (それとも、私のせいなのか?自分から気を許したのだろうか) 自分の心がここまで不明瞭なのも私にしては珍しい。だからこそ急に自分のみのおき場所に不安になった。 何もいえないでいる私をこの友はよくよく理解しているのだろう。 呆然とした私を少しだけ気遣うように、だけれども芯を残したままの強さを秘めた声が私の名前を呼ぶ。 それにのろのろと大丈夫だと返せば、相手は意味深に笑った。 『あなたも覚悟をきめなさい。その時期がきたんじゃないの?』 とにかく、と彼女は一拍の間を置いて真剣だった声の調子を元に戻す。 『Mr.茅ヶ崎によろしくね』 鮮やかな声で、笑ってそういう彼女に対し、私は小さく了承する事だけで精一杯だった。 「私にどうしろというんだ」 勢い良くベンチに腰掛けて周りに知り合いが一人もいないことを確認してかrあ、私は耐え切れずにおおげさにうめいた。 昨夜の友の会話が頭の中をグルグルと回っていて、仕事の最中にもちらついてあやうくミスをしそうになった。 正直自分らしくないこの状況に、一番私がついていけないでいる。 これではいけない。午前中はなんとかもたせたが、午後だって仕事があるのだ。 仕事を定時にあがりたいのならば、いまこの昼休みの間に気もそぞろの自分に喝を入れるしかない。 (とりあえず、一時忘れるなり何かしら落ち着こう) 膝の上に広げたコンビニ弁当を眺めて、私は一人ため息をついた。 いつもは社内の食堂や外食ですませてしまう食事だが、 そのどれも気が進まずに近場のコンビニに立ち寄った足をそのまま 近隣の公園まで伸ばしていた。 いくつもの会社が乱立したこの場所はどこか機械的で余所余所しく、 私としてはあまり好む場所は無い。 だけどこの界隈の会社員憩いの場といっても過言ではない、 大きな公園じみた広場だけは別格だった。 緑に誘われるまま足を進めて なるべく人がいなさそうな場所を選んで腰掛けたが、場所がいけなかったのか 心落ち着かせる予定が妙に一人だという思いが先走って寂しくなる。 これもいつもの自分らしくなくて、なんだかやるせなかった。 確かに食事は一人より複数で食べるのが好きだ。 だけれども、仕事の間のそれとプライベートのそれでは、私の間では明らかに線分けされていたし、 何よりいつもは静かに人気のいない場所で気を抜いてご飯を食べる事が自分なりのリラックスだった というのに。 大口を空けて唐揚げをほうばりながら、ため息をついた。 (茅ヶ崎との食事、結構楽しかったんだよな) ポツリとそんなことを考えて、無意識に出してしまった彼の名に苦笑した。 確かに奴との食事はとても有意義で。話もわりと進むし、隣にいても居心地がいい。 それもきっと彼の人柄ゆえなのだろうと納得する程度であったはず。 (なにもこんなときに思い出さんでもいいでしょうに) 私にだって友と呼べる存在がいて、友人達との食事だって充分楽しいし何より彼女達の顔を見るだけで癒される。 それなのに何故にまっさきに茅ヶ崎との時間を思い出さねばならないのだろう。 更に落ち着かない気持ちになって、私は投げやりにため息をついた。 「あぁ、もう!」 割り箸を必要以上に握り締めて、私は唸った。 考えれば考えるほど、自分の心の奥底にフィルターがかかっていくかのようだった。 考えるな、今はとりあえず忘れよう。 そんな単語だけが頭の中で燦然と輝きを放って浮かんでいる。 (忘れろ。気持ちを切り替えろ、今は仕事中仕事中) 呪文のように唱えて、私は視線をお弁当から周りへと移す。 憎らしいくらいの晴れ空に、点々と浮かぶ雲の白さに目を細めた。 じっとみやっていれば、ゆっくりと風にふかれて雲が移動していく様がよくわかる。 今日はいつもより少しばかり早い雲の動きに、無意識に微笑んで。 「あぁ―やっぱり羽丘さんだ」 耳に届いた声に気付いて、その表情のまま見事に固まった。 相手の顔など確認しなくてもわかる、聞きなれた声。 耳慣れてしまったいうのも悔しい話だが、毎日聞いているのだから仕方がない。 ため息をついて視線を空から少しだけさげれば、 随分と近い場所で茅ヶ崎がこちらを見下ろしていた。 「隣、いいですよね」 「―いいけど。普通は“いいですか”って聞くのが一応の礼儀じゃないか?」 ため息をついてそう言うのが精一杯な私というのは、どうした事だろうか。 そんな私の内面の葛藤など当然だが知らない茅ヶ崎は、 フワリと笑って見逃してくださいと暢気に笑って私の直ぐ傍に腰を下ろした。 私はといえば、無関心を装ってお弁当のコロッケを口に運ぶ事だけに集中する振りをした。 しかしそれもうまくいかない。短く諦観の息を吐いて、気持ちを無理やり切り替えた。 「茅ヶ崎…君、ご飯は?」 「ああ、俺は今からです。コンビニで調達した帰りに羽丘さん見つけれてラッキーでした」 「へー、いつもそうなの?」 「いつもって、コンビニですか?そうですね、朝に作るのってどうにも面倒くさくて」 (ということは、料理も普通にできるのか) 「なんか意外だな。茅ヶ崎君がコンビニ通いか」 考えとは裏腹に口にした言葉は全くの別物だったが、それもまた真意だった。 そんな私の感想に、茅ヶ崎は目を丸くしてそれから小さく苦笑した。 「それ、土曜日にもいってましたね。俺って羽丘さんの中でどんな風に移ってるんですか」 笑顔が三段階あるサタン降臨を可能にした人間と、即座に浮かんだがそれを口に出すべきか否かが わかるくらいには、今の私も正常らしい。 苦笑いでごまかした私に何かを感じ取ったのか、彼の顔が通常から見慣れた似非爽やかな笑みに変わった。 「そのうち、絶対に吐かせますんで」 「……っ」 物騒なその言葉でご飯を喉に危うく詰まらせそうになったが、こちらとしても絶対に口を割りたくない 真相だから、やはりお茶を精一杯のむことで奴の攻撃をやりすごした。 「それにしても珍しいですね、こんなところで食事だなんて」 確かいつも外食か食堂じゃなかったですか? やおらそう尋ねられて、私は驚いて顔を上げた。 何を隠そうそれが事実だったが、まさか茅ヶ崎が私の行動範囲を知っているとは思わなかった。 (どこまで把握されているんだ) 給湯室の事といい、そこまで私はあからさまだろうかと考える 私の横で、茅ヶ崎はクスリと柔らかく笑ってみせた。 「それくらい知ってますよ。羽丘さんのことだから」 「は?」 にわかに周りの空気が引き締まったような気がして、私は居心地悪くたじろいだ。 茅ヶ崎は少しだけ意地悪な表情でこちらを見下ろしていて、それでもどこか優しさとあまやかさを覚える視線に囚われ、私はただ小さく唸った。 逃げろと本能が叫んでいる。だけれども、お約束とばかりに体が微動だにしなかった。 そんな茅ヶ崎は、いつもと同じ様に心底楽しそうな笑みを浮かべてゆっくりと口を開く。 「当然ですよ。だって俺はあなたのことが好きだから」 この数ヶ月、何度も何度もいわれたその言葉。 到底現実味のわかないその単語と所構わず言われるそれに、 嫌気すら覚えていたはずなのに。 「−っ」 動揺した。 全身の血液が熱く滾り、一瞬で頬が赤くなるくらいに。 初めて、その言葉を受けて反応してしまったのだ。 (ちょっと待って、なんだこれはぁ!?) 自分でも驚くその態度に、一番ダメージを受けたのは茅ヶ崎のほうだった。 「え…?」 貴重ともいえる間の抜けた茅ヶ崎の声を皮切りに、私は赤くなった顔を慌てて背け、食べかけのお弁当をしまうのももどかしいとばかりに片手にもってその場を逃げ出そうとした。 我ながら珍しくも機敏な動きだった。 茅ヶ崎のことだから嬉々としてからかってくるか逆手にとってくるかに違いないと思ったからだ。 悲しい事にそれを乗り切れるほど、あいにくと私は賢くはないのだ。三十六計逃げるに然り。それだけが私に残された戦法だったというのに。 「待って!」 珍しく大きな声をあげた茅ヶ崎に、あっという間に手首を押さえ込まれて立ち上がる事も不可能になってしまった。 そのくせ肉付きのよい顎を例のごとく細い指先に持ち上げられて、私の表情は文字通り白日の元に晒されている。 振り払いたくてもいつの間にか目の前に移動した茅ヶ崎によって左手は封じられ、右手には割り箸が添えられた食べかけのお弁当だ。この状態でどうやって奴の手を振り払う事なんてできただろうか。 (というか、どうしたんだ私は) とうに聞きなれたフレーズだったではないか。そのたびにいつもだんまりを決め込むか、苦い顔を相手へ向けるだけで、実に単調な反応しか示さなかったのに。 (そういえば) 資料室でのサタン降臨のあたりから、久しくいわれてなかった気がする。 つまりそれまでは、相手が本気などと知らなかったし疑っていたから聞き流していた。 だけど今回は以前とは少し事情が違う。 (まだ完全に信用はしてないけど) そうだ、私はいまだに少し彼を疑っている。 外見的にも内面的にも自分が人に思ってもらえるようなものをもっているとは思えないし、 その根底にある私の劣等感にも等しい醜いものを打ち消すことは至難の業だからだ。 それでもあのときの茅ヶ崎の剣幕は、本物だったから。 時折見せてくれる優しい眼差しを、 見ている側が赤面してしまいそうな笑顔を知ってしまったからだろうか。 (上手く、かわせなくなってる) 呆然とそれだけを思いながら、私は静かに葛藤した。確実に奴の存在が私のテリトリーに入ってきている気がしてならなかった。 (これは、ちょっと…) 「―…ヤバイ」 (そう、まさにそれだ!) 低い声に乗せられて届いた私の心を読み取ったかのような正確な言葉に納得して、驚愕に目を見開いた。突然目の前の視界が狭まったら、誰だって驚くだろう。私だって例外じゃないが、問題はそれだけじゃなかった。 「ち、茅ヶ崎…?」 本当は、いつものようにどなりつけないといけないというのに、私は間抜けにも奴に抱き寄せられたまま固まりうろたえてしまった。 だってさすがに驚くだろう!茅ヶ崎の頬がうっすらとではあるが確実に赤くなっているのだから。 「羽丘さんが、あまりにも可愛すぎて」 「…は、はぁ?」 「ていうか、ヤバイ。めちゃくちゃ嬉しい」 耳元でそんな事を囁かれた私はどうしたらいいのだろうか。むしろ君のほうが反則だと私は声を大にして主張したいが、悲しい話そんな余裕など無いに等しかった。 「な、なんでもいいから離せ!離しなさい、茅ヶ崎君!」 いくら人気が少ない場所を選んだからといってもここは公共の場所という奴で、いつ誰がとおるかもわからないというのに。 「嫌だ」 即効で返って来た彼の声が常よりも低く、あまりにも真剣そのものだったから、私は思わず抵抗の意思を弱めてしまった。 「もうしばらく。もうちょっとだけ、このままで」 いさせてくださいと、私を抱きしめる腕の力を強めて。 チラリと見上げた先にある奴の笑顔が、いつもの数倍柔らかくてくすぐったくなるような眼差しで私をみるから。 どうしていいかわからずに、私はただ奴の腕の中で途方にくれた。 (どうしたんだ私。…どうなるんだ、私は) 「その反応、俺少しは期待してもいいんですよね」 「ちがさ…」 「俺は、いつも言ってるけどあなたを諦める気はありませんから」 それだけは覚えていて下さいという茅ヶ崎の表情は、とても真摯でなぜか上手に視線をあわせられなくて。 『覚悟を決めなさい』 俯いた私の頭の中で、高らかに友の声が茅ヶ崎のそれと混じって響き渡った。 私が午後の仕事も気がそぞろだったのは、いうまでもない。
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