真面目に生きてて何が悪い!
目が覚めたら不思議と疲れが取れたような心地がする。
うっすらと開いた視界を一瞬で埋め尽くす柔らかい光りの白さに一瞬顔をゆがめて、唯はそろそろと
起き上がった。
間仕切りのカーテンの隙間を縫いように這う日光の明るさから、もしかしたら数時間ほど眠り続けて
いたのかもしれない。
自分で額に手を当ててみるが、熱はもう無いようにも思う。次の時間から授業に出ようかと、少し
前向きな考えをしっくりと受け止められるほどには、唯は確かに回復を果たした。
ゆっくりとベットから脚を抜き出して、唯は静かに立ち上がった。
とにかく時間が知りたい。ぼんやりとそんな事を考えて、間仕切りカーテンを
半分取り払った。
「先生?」
そこから顔を覗かせて上岡がいるであろう間仕切りの方向に首を巡らせて。
(あ…れ…?)
いまだ寝ぼけた状態のまま、しばし考え込んでしまった。
デスクにはいつもどおり上岡が座り、こちらの様子を珍しくも興味深そうに見遣っている。
が、問題なのはその直ぐ横だ。上岡と対面に座る患者は、どこかで見た覚えがある。
上岡と同じくこちらを振り返った生徒の顔をみて、唯の目は一気に覚めた。
「れ、薙沢?」
「〜〜〜っ」
三津谷!と心の中で何度も叫んでいるのに、声にはでずに唯はただ口をぱくつかせ、挙句の果てには
力任せに間仕切りカーテンを再度きっちりと閉めた。
(う、あれ?!なに!?)
「おい、薙沢!?ナンだよ、それ!」
椅子から勢いよく立ち上がる音が聞こえて、唯は思わずカーテンを握り締める手に殊更力をいれた。
そんなこといわれたって、自分でも何をしているのかわからない。
制御不能の行動に唯自身が一番パニックを起こしそうで、訳もわからず
その場にへたりこんでしまった。
(だいたいなんでここにいるの!)
4月からずっと唯は保健室に定期通いをしているが、クラスメイトに会うことはほとんどといってな
かった。三津谷など例外中の例外である。
正直、三津谷は来ないという思いもあって、唯は上岡にあっさりと胸のうちを吐露していた。
いわばクラス委員時代のエスケープゾーンであった場所に三津谷がいることが、必要以上に
唯の精神を動揺させた。
「―薙沢、あけるぞ」
「だ、だめっ!だめよ!」
だから白いカーテン越しにうつった人影がカーテンの隙間に指を差し入れた時、唯は力強く
駄々をこねた。
「はあ?なんでだよ。つうか開けろって!」
三津谷の声がカーテン一枚を隔てて聞こえ、それとともに差し込まれたままの指がわずかな隙間
を作った。眩しい光りがそこから一直線へと唯がへたり込む床めがけて降り注ぐのを感じ、
唯は目を閉じてかぶりをふった。
「い、や…っっ。駄目っていってるじゃないのよ!」
唯にとって学校で声を荒げるという事は極めて珍しい。感情の整理が追いつくからなのだが、
今はそんな状態ではなく。どちらかといえばなりふりなど構っていられる状況では
ない。
必死の唯の叫びが伝わったのかどうか。真偽は不明だが、三津谷の指がそれ以上の隙間を
作るのをやめた。
「薙沢…?」
変わりに訝しげな、否どこかこちらを心配するような声音の呼びかけが遠慮がちに降ってくる。
それが尚更、唯の心の微かにあった余裕を崩しきってしまった。
「なんでここにいるの」
「おい」
「あっち行って、お願いだから…」
感情の波が収まらないまま口走った自分の言葉に、唯は一気に我をとりもどした。自分がどれだけ
の意味の言葉を吐いたのかは、隙間から微かに見える三津谷の曇った表情をみればあきらかだ。
「薙沢」
唯の体の中で暴れ狂う混乱を一掃して凪ぐような上岡の声が、保健室を制した。
いつの間にか三津谷の隣に立っていたらしいこの保険医にして唯一の大人は、まず三津谷があけた
カーテンのスペースより更に上を軽く指でつまみ、そのままあっさりとカーテンを取り払う。
気まずい状態でご対面となってしまったかつてのクラス委員同士の二人は、一様に固まった。
「薙沢、そんなところで座ってないでたて」
まるで何事もなかったかのような口調で、上岡は唯を一瞥した。状況把握についていけない唯を
見て何を思ったのか、そのまま上岡の視線は三津谷を射った。
「三津谷もなにつったってる。手ぐらい貸してやれ」
「えっ」
一瞬戸惑うような声を上げた三津谷だが、行動はすばやかった。唯の前になんのてらいもなく
伸ばされた掌を、唯はただまじまじと眺めることしかできなくて。
なかなか手を掴まない彼女に焦れたように、すっと伸びてきたもう一本の手がひょいと唯の腕をとって
いった。
「ほら、薙沢」
「あ…」
唯がそろりと口を開くよりも前に、彼女の体は三津谷によって引き上げられていた。あっという間の
その動作に思わずまじまじと眺めてしまう。そんな唯に気付いて、三津谷は少し照れくさそうに笑った
。釣られるように、唯の口から謝辞の言葉が漏れていた。
「あ、ありがとう」
「いや、―えっとさ、薙沢」
「あのっ」
一拍あけた三津谷の言葉を遮るような形になってしまったが、そんなことを気遣う余裕は唯にはなか
った。
覚悟を決めて相手を見上げれば、知り合ってから見たことが無いような複雑な表情の三津谷がいて。
それに違和感を覚えながらも、唯はそのまま思い切りよく頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……はぁ?」
三津谷の大分間の抜けたその声すら、今の唯には耳が痛い。ともすれば
また暴走しそうになる気持ちを抑えこみ、唯はすっと息を吐くように上岡を視線で探した。
我関せずとばかりの態度で間仕切りカーテンを片付けている保健医が、実は細心の注意を払って
くれていることはわかっている。視界の端に彼をいれて一息つかせてから、唯は改めて
三津谷を見据えた。
「今朝は言い過ぎたから。それに、さっきも。―酷い事いってごめんなさい」
「薙沢」
「でもっ!私はもうクラス委員を辞めたの。移行の手続き云々はともかくその他の事は
もう私は触れないわ。だから総会のこととかも、新しい委員の子に頼んでちょうだい」
なるべく冷静に、けんか腰にならないようにと注意しながらの会話で、それでも伝えたいことは
はっきりといった。
矢継ぎ早に言ってしまえば、話すことは無くなる。自然口を閉じたまま相手を見据えるのみという
奇妙な状態が数十秒続いた。
「薙沢が言いたい事ってそれだけ?」
思案しながらの探るような言葉に、唯は身を硬くする。いまだ視線があったままの三津谷の表情は
どこか怒っているようにも見えた。
「じゃあ、今度は俺の番な」
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(2006年9月26日)
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