真面目に生きてて何が悪い!
奥まった場所におかれた簡易ベッドの直ぐ傍で突っ立ったまま、唯は三津谷と対峙した。
こちらに聞く気があることを察したのか、それともそんなものはどうでもいいのか。
先ほどよりも力強い視線で、三津谷は唯を見下ろしていた。
「まず、気付かなくて悪かったよ」
少しだけぶっきらぼうな口調で告げられたその言葉に、唯はかすかに眉尻をあげた。
そんな様子も真正面に立っているのだからわかっているはずだが、それでも三津谷は譲れないとばかり
に急くように再度口を開いた。
「でも俺だって、薙沢がそこまで追い詰められてるって知らなかった」
「なっ」
目の前が、音を立てて崩れていくような。そんな音が体の奥底で聞こえた気がした。
一気に気色ばんだ唯の顔を見ても、三津谷は視線を逸らさない。まさにかみつかんとばかりに
口を開いた唯よりも先に、三津谷が更に先手を打った。
「だって、薙沢だって俺に一度もそういう事言ってこなかっただろう?」
咎める響きは無かった。されどその眼差しは、唯をそのまままっすぐに貫いて
彼女が視線を逸らす事を許さない。
今までクラス委員として何度か彼の隣に立ったことがあるが、唯にしてみれば三津谷というのは
それだけの間柄だった。
クラスの人気者でたとえそれがクラス内のみならず学年や学校内という規模の
中においてもそこそこに知れた人物評なのだとしても、唯と彼の間に交友という二文字は
ついぞ存在したためしがない。
唯は唯で、自分の交友関係があるが、それが三津谷の交友関係と少しでも混じるという事が
無かったから、本当に覚え書きのような情報しか知らなかった。相手だってそう変わらないはずで
ある。
唐突にそんな事を思った唯の思いを掠め取るように、三津谷は小さく息を吐いて苦笑した。
「俺らってそんなに互いの事知らないわけだし。俺も俺で、薙沢ってそういうの率先してする
タイプなんだと思ってたから」
「―なにそれ」
思わず漏れだした声は、細く揺れていた。それもそうだろう、唯には三津谷の言い分のほとんど
が意味のわからないものだ。
「まあな、わからんでもない」
どう二の句をつなげていいのかもわからぬほどに困惑する唯とは別の声だった。
カーテンをしまい終え、しばしの沈黙を保っていたはずの上岡だ。大儀そうに両腕を組みなおした
保険医は、まっすぐに唯を見据えていた。
「ぱっとみ、もろ真面目な生徒だしな薙沢は。まあ中身も真面目すぎるくらい真面目だが。
そういうイメージを持たれるという事は簡単に想像が付くな」
冷静な上岡の言葉に、唯はただ呆然とした。それ以外に成す術が無かったというほうが
正しい。そんな彼女に追い討ちをかけるように上岡が呟いた。
「事実、お前は真面目だろうが」
今更何を言うとばかりの響きが、上岡の言葉にはあった。目を丸くした唯は、
ゆるゆると口を開く。しかし、何の言葉も出てこなかった。心の底の方でもやもやとした感情が
とぐろを巻いているはずなのに、触れようとすれば不恰好な形で飛散してしまう。
そして唯にはそれらを表現する術というものが見当たらなかったのだ。
「私は、真面目ってわけじゃ…」
結局は言い訳めいたそんな言葉しか出てこない。情けなさに唇をかみ締めた。
押し付けられた時点でただ、いやだといえないだけだ。そんな立派でご大層な意識なんてもってな
くて、大概は自分の中で鬱憤がたまってしまう。それだけ矮小な器なのだと思うことが、
どうしようもなく情けなくて苛立たしかったのかもしれない。
ようするに自分のエゴに振り回されているという問題全てを、三津谷のせいにしていた。
三津谷が一方的ないいぐさに怒るのは当然だ。理にかなってる。
そこまで考えて、唯はため息をついた。自虐的な響きを隠せなかったが、いまさらそんなことは
どうでもよかった。醜態など上岡にはいつも晒しているし、三津谷に至ってもわめき散らしておい
て今更である。
「三津谷君には申し訳なかったわね」
「…は?」
「確かにあなたは仕事という仕事全部私に押し付けて。その点はいまだに許せないけど。でも
私が至らなかったという事実もあったのに、全てあなたのせいにしようとしてたわね。
ごめんなさい」
唯の言葉に、三津谷は不器用に固まった。そんな一瞬の隙をつくかのような鋭い上岡の言葉が
場をつなぐ。
「勘違いするな、薙沢。おまえもおまえだが、こいつもたいがいどうしようもない」
生徒両者にとってなんのフォローにもならないその言葉に、三津谷は決まり悪そうに
上岡に視線を移した。
「だから先生。それは俺も悪かったって」
「馬鹿が。それを俺にいうな。――薙沢に言え」
強面の顔をしかめ面で更に恐ろしくさせて、上岡は静かに言い放った。
数拍の間をおいて飛び出してきた自分の名にドキリとする。教師のその言葉に釣られるように
再度こちらを見た三津谷に、緊張が高まる。
思わず身構えた唯を見てなにを思ったのか。三津谷の顔に一瞬緊張が走ったのを唯は
しっかりと見た。が、彼はすぐに覚悟を決めた顔をして唯を見つめる。
はじめてみる相手の真剣な表情は、唯を密かにたじろがせた。
「だから、俺も悪かった。薙沢なんもいわないからって、おまえに全部仕事させてたわけだし
。俺も自分の都合しか考えてなかった」
真摯な眼差しが唯を貫く。
上岡の手前ということもあるだろうが、それでも真面目に
言葉を連ねる三津谷の表情は様になっている。
確かにクラスの女子が騒ぐのも無理がないかもしれないと、ぼんやり別のことを考えた。
そうすることで、気持ちを落ち着かせたかったのかもしれない。
クラス替えの四月以降、長い事鬱積していた感情がいきなり相手に曝け出し、尚且つ
相手からもリアクションがありつつも沈静化に向かっているという現実に、拍子抜けしているの
も事実だった。
気持ちがおいてけぼりにされている感が拭えず、戸惑ったまま目の前の三津谷を見上げた。
ふがいない事に、やはりまだ三津谷と今までの事を思うと多少複雑だ。あいにくと
自分はそこまでできた人間ではないということは、唯自身が身をもってしっている。
だけど、と唯は救いを求めて視線をさまよわす。迷うことなく向けた視線の先、上岡がじっと
唯を見つめていた。静かに絡み合った視線は、あいかわらず厳しい教師の顔で、それでも相手が
自分を支えてくれているという事をわかるほどには、唯はこの保険医の事を知っていた。
(―うん)
三津谷も謝ったし、自分も謝った。もうそれでいいではないか。
気持ちを落ち着かせたところで、薙沢は微かに口の端をあげて笑った。
クラス委員から外れたのは昨日だったが、今このときにはじめて肩の荷がおりたような気すら
する。
唯はここ数ヶ月ぶりの穏やかな気持ちで、三津谷に笑いかけていた。
「もういいわよ。―――お互い様だったってことにしとかない?」
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(2006年9月26日)
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