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Dear Your Majesty 11. 昼過ぎからお茶の時間までの間にルータスが訪ねてくるのが、習慣として 定着しつつあった十日目の昼のこと。 何気なくか悪気があってかは知らないが、豪胆な叔父の言葉がエルファを無慈悲にも貫いた。 「なぁ、エルファ。おまえ最近陛下にあってるか?」 「…………どうして?」 恐ろしく強張った姪の表情に気付いていないわけがないのに、そんなことに意を解してくれる 相手ではない。 ぞんざいな格好で傾けていた茶器を机に置きながら、不敵に笑っていった。 「なんでって。気になるだろうがよ。おまえを勧めたの俺だし」 「―気にするくらいなら、私にいい加減理由を教えてくれたっていいのに」 エルファにしてみては精一杯のなじりだが、ルータスにとっては赤子のぐずりよりも効果がない。 叔父はただ誤魔化すでもなく笑って見せた。 「それはさすがの俺でも言えねえな。―それに、お前が陛下に聞くのが一番いい」 「そんな、無茶だよ。私はここから出られないんだから」 事実この城に来て以来自由に動き回れたのは初日の職場挨拶のときのみだ。 よしんば好きに行動できたとしても、エルファ自身が彼のいる場所に行くかどうかは甚だ疑問では あるのだが。 そんな意味を含めて、ルータスは眉尻を下げて苦笑する。いつもの騒がしい笑い方とはまた違うそれ は、エルファの居心地を悪くする。 気まずげに目を伏せたエルファの頭をくしゃりと撫ぜた。 昔と変わらない無骨な掌の温かさが心地よかった。 「なあ、エル?」 誘われるように目蓋を閉じれば、耳元に叔父の声がこだまする。稀にしか聞けない穏やかなその声に エルファはゆっくりと叔父のほうへと顔を向けた。 「おまえが俺を恨む気持ちも良くわかるんだ。若いおまえに酷いことをしたと叔父としても 男としても後悔してないといっちゃあ、ちいと嘘になる」 ほら、これみてみろ。 叔父はそういって、口元を自分の親指でぬぐってみせた。唇の右端に微かだが切れた形跡がある。 それは数日前からあったもので、エルファが尋ねた時は訓練中の凡ミスなどと言っていたが。 「これな、ドーク兄に殴られた」 「えぇ!父さんに!?」 ドークことドークス・トノアは、エルファの父だ。城の軍事訓練で鍛えたルータスに劣らぬ 肉体を保持する人物で、体格でいうならドークのほうが弟よりもしっかりしている。 とはいっても、エルファの父はのんびりとした性格をしており馴染み客などは宝の持ち腐れだなどと 揶揄するほどに暴力沙汰とは無縁の人だ。 エルファは父が好んで拳を振るわない事を知っているだけに、驚きを隠せなかった。 「何おどろいてんだ、おまえのためだろうがよ」 呆れたとばかりに盛大にため息をついてから、ルータスは苦笑と共に彼女の頬を軽くつねった。 「可愛い娘が騙されたも同然でつれてかれたんだ。しかも助けようにも自分らではなかなか手が 出せない場所にだ。親なら誰だって怒るさ」 「―父さん」 思い出す父は、大概がカウンターの中にいた。呑んだくれの親父にもホットミルクをすする 旅の一座の少女にも、彼は慕われる存在で。エルファはそんな父が、大好きだった。 感極まって何も言えずにいたエルファをわれに返したのは、どこか冷めた声をしたクレーラの言葉 だった。 「その連れ去りに手を貸して、あげく殴られた人がいう言葉にしては大きすぎやしませんかね」 「きっつい言葉をありがと、クレーラちゃん」 怯んでしまいそうなほどに尖ったメイドの言葉に軽口を返すも、彼はすぐにその表情を改めた。 「なあ、エル。それでも俺はどうしてもおまえにここに来て欲しかった」 エルファは困惑のていで叔父を見遣った。 彼女とルータスの関係は深く長い。それこそ乳飲み子の頃から叔父と接してきた。 だからこそ、この叔父がここまで真剣であるという事が解せない事実を遠ざけてまでエルファを 動揺させてしまう。 ルータスは少しだけ笑みを見せて、立ち上がった。 「陛下とお会いしろ。二人きりで一度話してみればいい」 もう少しで彼が退席する時間である。それでもいつもより大分早い退室の準備に首を傾げた。 いや、ひしひしと嫌な予感がしていた。 「まったく、あなたって人は…」 クレーラの呆れたようなその一言が、エルファをさらに追いやっていく。 いつの間に調子を取り戻したのか、ニタリと笑う叔父を呆然と見上げた。 「っつーわけで、呼んどいた。あともうちょっとで来るだろうから、俺はここで退室するわ」 誰が、などと聞くほど野暮じゃない。だけども、早急すぎる展開に目の前が真っ白になった。 ”あともうちょっと”と言ったわりには、ライナスは中々姿を現さなかった。 腰掛けたベッドの傍から すっかり茜色に染まった空をみながら、エルファはため息をつく。 まるでその腕に抱え込んだ爆弾がいつ爆発するやもしれないという緊張感に似ているだろう。 突然こられても困るがあらかじめ来るといわれても困りものだと、エルファはやるせなさに 任せてもう一度ため息をつく。 せめて家にいた頃のようになめまぐるしさに身を置いてたのなら、こんなにも体を緊張で震わせる ことはなかっただろうに。 (ああ、今頃店が混みあってる頃だわ) 夕飯を求めるものもいれば、仕事終わりの一杯によるものもいる。夕暮れから夜にかけての 酒場は、まさに猫の手でも借りたいほどの忙しさだ。 あの喧騒が、恋しくてならない。エルファのあてがわれたこの部屋は、街の娘なら一度は憧れそう な所謂気品と上質な一室だが、そこには喧騒というものが全くといっていいほどなかった。 静やかな場所は、確かに身を癒してはくれるが。この部屋はあまりにも音が少なすぎる。 自分が発する音と、それからクレーラが作る音。ここにあるのはたったのそれだけだ。 陽気な叔父がきてくれるようになってからは大分 気にしなくなったが、それでも彼が四六時中この場に留まるわけではない。 今はただでさえ、クレーラが部屋の外に出ている状態だ。 無音の空間はエルファをさらに気鬱にさせるが、突然響く音というのもこの場合体にいいものでは なかった。 「なんだ、出迎えもなしとは困った妻だな」 「ひゃ…っ!?」 耳元に直接落とされたテノールの声は、ただでさえ不思議な力を持っている というのに、静けさに慣れかけていた今ではそれはあまりにも強烈で。 肩を竦めて横を見上げれば、数日振りの顔がそこにあった。 「へ、陛下!一体どこからっ」 「もちろん扉からだ」 「で、でも、ノックの音が聞こえませんでした」 慌てながらもエルファは、それだけは自身があった。いくら物思いにふけっていても、この静かな部屋 でノック音が響き渡らないわけがないのだ。 彼女の何が楽しいのかは知らないが、ライナスはどこか面白そうに彼女を見遣ってふと笑った。 「ノックなんてする必要があるのか、知らなかったな」 「必要―だと思いますけど」 クレーラならば、きっともっときっぱりといえただろう。事実エルファだって数日前のあの時に 何度か敬語抜きではっきりと怒りを表していたのだから今更だが、間が開いた数日がエルファの中で の彼との関係図式を完全に元の王と国民に戻していた。 極力控えめの発言を心がけようとするそんなエルファの心を、彼は確実に波立たせた。 「おまえは俺の妻だろう?妻たるものの部屋に入る事に夫で ある俺が遠慮することは必要だったか」 「なっ!」 正当な理由のように聞こえるが、一般的に見てもそれは不遜極まりない。 (そうだ、こんな人だったわ…) 呆気にとられつつも、エルファは数日前の時のように彼を敬う気持ちがまたも吹き飛びつつあった。 |