Dear Your Majesty



12.
「なにをおかしなことを。私はあなたの…っ、ん〜っ、んー!」
妻なんかじゃない!
そう叫ぶはずだったエルファの言葉は、無情にも大きな掌によって遮られた。
彼女自身のそれとはまったくサイズの違うその手は、ともすれば彼女の鼻先まで覆ってしまいそうで 。 恐怖も手伝って彼女はすぐに大人しくなった。
そんなエルファの耳に、ちいさなため息がおとされる。ついで囁くその声は、小さいながらも はっきりと彼女の体を貫いた。
「―滅多なことを口にするものじゃない」
(だって本当のことじゃないですか)
いまだ覆われた口の代りに、きっと目がありありとそう反論していたのだろう。
ライナスが、不穏な空気をまとってニヤリと笑う。
いい加減慣れてきた本能がエルファに警鐘を鳴らすよりも先に、その不安は ライナスの発言と行動という形で的中した。
「照れているのか、我が妻よ」
我が妻、という単語に力が入っていた事は絶対に気のせいじゃない。もう一つ付け加えるならば、 部屋の外に聞こえるか聞こえないかぎりぎりの音声で話したのも。
呆気に取られるエルファの腰元をあっさりと攫いつつ、ライナスは彼女の隣へと腰掛けた。
夕日に照らされて床の上で織り成す影 は、寝台の上で寄り添う二人の”新婚”の姿を作り出す。
「それとも、俺が長らく訪れなかったから拗ねてるのか」
それは問いかけではなくはっきりとした断定だった。彼女のこめかみにからかう様に唇を寄せた ライナスは、エルファの顔をゆっくりと覗き込んだ。予想していた相手の反応を、確かめる ように。
硬直していたエルファは真っ赤に顔を染めて、唇の枷となった手を退かそうと試みたが悔しい事に ピクリとも動かない。
そんな少女の行動に、ライナスは機嫌良くクツクツと笑った。
耳元に入るその声に抗議したくとも、エルファはいまだ話すことを許されない。
睨めば睨むほどに拘束が強くなったような気がして、エルファはがっくりと項垂れる。
完全に力の抜けた彼女に気をよくして、気まぐれな王は彼女の肩を抱き寄せたまま離さない。
半ば強制的に彼の胸に体を預ける状況になったエルファは慌てて顔を上げ、そのまま驚いて目を 丸くした。
(この人……顔色が悪い)
茜色の光をたっぷりと吸い込む窓に正面を向けて座っているゆえ、こうして真下から覗き込むまで 気付かなかったが、改めて観察すると確かにライナスの顔色は悪い。
うっすらと青白いようだし、なにより目元に残る隈が疲労の色を強く覗かせている。
そういえば、少し頬がこけたかもしれない。
記憶に残るライナスの顔と今の顔を比べれば、やつれたようにもみえた。
「―どうした?」
ピタリと行動の一切をやめた少女が、まじまじと自分を観察し始めた事に居心地の悪さでも覚えた のか。ライナスの低く静かな声がするりとエルファの耳を撫でるように落とされる。
何事かと問うている若き王の瞳だけは、初めてあったときと変わらぬ威厳ある魅力的な力を秘めている 。そんな彼の眼差しに導かれるかのように、無意識に手が伸びていた。
白く柔らかな丸みを帯びたエルファの指先が、ライナスの頬の輪郭を微かになぞるように なで上げる。 そのまま前髪を掻き分けて、額へと手を寄せた。
「ん―、熱はないみたいですね」
「何の話だ」
本気でその意図を測りかねているのだろう。微かながらも眉根を寄せてこちらを見下ろしている ライナスに構う事なく、エルファは彼としっかりと視線を合わせた。その際、額に押しやったままの 掌は放さなかった。
「顔色が悪いです」
ポツリとつぶやいたその言葉で、ようやくエルファの行動を理解したのだろう。 ライナスは小さくああとだけ呟いた。
いつもならすぐに事象と関連付けているはずなのに、そこでようやく合点のいったらしい彼を 見ていたら、エルファは本気で心配になってきた。
「今日はもう仕事は…?」
「終えてきた」
静かに問えば、ライナスはそれに倣う様に穏やかに返す。表情にもからかいの色はなかった から、彼女はさらに言葉を続けた。
「ならばもうお休みになったほうがいいですよ」
「大丈夫だ、大事ない」
「そんな戯言は聞きません」
予想通りの反応を示したライナスにたいして、エルファはぴしゃりといいかえした。
「熟睡できなかったとしても、横臥するだけで疲れは幾分癒されますから。 あまり疲れを持続させると体によくないです」
弱った体には、病が住み着く。
疲れは早期のうちにとっておくに越した事はないのだとエルファは身をもって知っていた。
「結婚してからというもの、いろいろと立て込んでた」
だから長らくお前にあえにこれなかった、すまなかったな。
ひっそりと付け加えられたその言葉に、エルファは驚きを隠せなかった。 ライナスが自分に会いに来ようと考えていた事自体が、彼女の想像を超えていたから。
反応に困ったエルファは額においたままだった手を今更ながらに思い出した。慌てて放そうと したが、思いとどまってもう一度彼の額に手を押し付ける。
「私のことは構いません。―また、体調が万全な時にいらしてくだされば」
「だが、お前は俺と話をしたかったのだろう。おまえの叔父が伝えに来たぞ」
「それは―」
自分が決めた事ではなく、叔父であるルータスが勝手に取り付けたことだ。 それなのに、何故かそういう事を躊躇った。
高慢にいわれるでもなく、揶揄の色もない優しい口調がエルファを戸惑わせる。 とっさにエルファは首を横へと振っていた。
「私のことなら、いつでも結構です。とにかく今日は早く横にになられてください」
宥める口調で説きながら 微かになで上げるように前髪を指の腹で押し上げる。こそばゆい心地 なのか、ライナスは気持ちよさそうに 目を細めた。まるでライオンのようなその仕草に、エルファは思わず吹き出してそれから 固まった。自分がしでかした事の重大さに気付いてしまったのだ。
「―――何が可笑しい?」
あいかわらず静かな調子の声だが、響く意味合いが全く違う。
完全にからかいの混じったそれに、エルファは慌てて額から手を離し距離をとった。 が、すぐに引き戻され、宙に浮いたままだった手はライナスの手の中におちた。
「ふん、まあいい。ここ連日の激務にさすがの俺も疲れている。お前の言うとおり 今日はもう寝るとするか」
口調や声の出し方まで完全にいつもの調子に戻ってしまったライナス相手に、エルファは勝てる 術を持たない。
ただコクコクと首を縦に振って賛同すれば、ライナスは彼女の耳元に唇を寄せてきた。
「それとも、ここで寝ればいいか?―夫婦だからな。なんら問題はあるまい?」
「〜〜〜〜〜〜っっっ!?」
「はは!冗談だ、―今のところはな」
赤くなったエルファの頭を乱暴に撫でてから、ライナスは立ち上がった。その際に聞こえた 言葉をなんとか聞かなかった事にして、エルファは 恨めしげにライナスをにらみつけた。もうすでに彼女に背をむけていた彼は、戸口の前で立ち止まって ゆっくりとこちらを向いた。
次なる攻撃かと咄嗟に身構えたエルファに降りかかったのは、意外なことに素っ気無い一言だった。
「おまえもよく休めよ」
「―え?あっ」
エルファがその言葉に反応するよりも前に、扉はしっかりと閉じられてしまった。
中途半端にベッドから身を乗り出している自分の姿勢に気付き、エルファはしばし考えたあと そのまま背をシーツの上に預ける。ライナスの傍にいると、どうにも自分のペースを守れない。
豪奢な天蓋を眺めながら、エルファはゆっくりとため息をついた。
(―あの人は)
あの人は、ただたんに意地の悪い横柄な人ではないのかもしれない。
疲れていたゆえなのかはわからぬが、先ほどのライナスはあきらかにエルファに対して優しかった。
『陛下とお会いしろ。二人きりで一度話してみればいい』
真面目な顔で放たれたルータスの言葉が耳に付く。何一つ核心には繋がらなかったが、 それでもエルファの中での彼の印象が少しだけ変わろうとしている。
(少なくとも、いやな人ではないのかもしれない)
エルファの煩悶はクレーラが返ってくるまで延々と続いたのだった。




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