Dear Your Majesty



14.


「要するに、確かめたいんでしょう?」
そういったクレーラの表情は、非常に胡散臭かった。


「な、え、え、会いにいくって」
予想していなかった言葉に動揺を隠せない。大きく目を瞬いて、エルファは困惑顔でクレーラを見上げ た。
クレーラはといえばなんとも読めない表情で、エルファの警戒がはじめてクレーラに向かう。
驚きつつも眉を寄せたエルファの肩の力みを揉み解すかのように手を置いて、クレーラはだってさと 淡々と呟いた。別段ふざけているわけでもないらしいその動作が、さらにエルファを混乱の渦へと 追い込んだ。
「あの高慢ちきな陛下が倒れてないか心配なのよね?大げさにいうと」
「えっと…そういう事になるの、かな?」
高慢ちきとはよくもまあ雇い主であり国家の主権たる王にいえるものだと普段なら苦笑するところ だが、あいにくのところ今のエルファには微に入って考える余力はない。
クレーラいわくのパニックの袋小路に入り込みつつあった少女は、困ったように扉を見遣った。
いかにも重厚そうな観音開きの扉は、上品な黒の光沢を放つのみでとてもじゃないがエルファに 助言を与えてはくれない。
そして自分はもう十日以上も、あの扉をくぐってはいないのだ。生活するに充分な大きな部屋でも、 今まで常に動き回り父母の手伝いをしていたエルファにとっては、じっと留まるという事は何よりも 窮屈なことだった。働いていた時からそうだったのだから、何もせずクレーラの補助のみでただ ぼんやりと一日を過ごす時間はある種の拷問といってもいい。扉の向こうに出て、少しでも 歩き回りたいと思うが、出るための名目というのがエルファを怖気づけた。
ライナスに会いに行ったとしてどうなるというのか。確かに心配だが、直接あって尋ねるという事は 酷く躊躇われた。
思わずためいきをついて、エルファは視線を窓の方へと転じた。
大きな窓辺の傍に、立派なベッドが横たわっている。一昨日エルファが夕日を眺め、ライナスが 隣に座った場所だ。
『よく休め』といった彼の存外に優しい声を思い出して、エルファの頬に僅かに朱が載った。
「どうすれば」
「え?」
「あの方に会うためには、どうすればいいですか」
細い声が、存外に大きく部屋の中で響く。鏡越しながらもまっすぐクレーラの顔を見据えると、 一瞬瞳を丸くした彼女は直ぐに頼もしげに口の端をあげた。
「そうこなくちゃね」
やたらと楽しそうなクレーラも、もしかしたらずっと同じ部屋にいることに飽きていたのかもしれない 。最も彼女は、エルファの食事の運搬の他にも色々と外へでていたが、それでも基本的にエルファが 起きる前にこの部屋に入り、彼女が寝入る直前までずっと傍にいるのだ。仕事といえど、きっと 退屈だったろう。そんなことを思いながらも、エルファは小さく口を開いた。
「でも、あの。一目見るだけで、いいんです」
「はい?」
意味をわかりかねるといった表情でこちらを見下ろすクレーラにたいしてあいまいに微笑んだ。
「ただでさえ激務の最中でいらっしゃるみたいですし、人それぞれの仕事に対する時間と流れって 当然あると思いますから。遠目から少し顔を見るだけでいいんです」
もともと自分が勝手にやきもきしているだけなのだから、自己満足をするために相手の邪魔に なりたくなかった。勿論面と向かって会いづらいという消極的な感情も多分に反映されている が、それでも過度の執務で疲れているだろう相手を労わる気持ちのほうが強い。
「別にそこまで遠慮しなくてもいいんじゃない。一応王妃なんだしさ」
――王妃。
何気なしに使われたその言葉を聴いても正直なところエルファにとって実感は ない。故にその単語を聞いたとしても、重圧さえ感じなければ気鬱にもならない。
だけれども、ただただ相手は国王なのだという事はひしひしと感じられた。
理不尽な事をされた相手ではあるが、それでもライナスは風貌 そのものが王族然としている事は認めざるをえない。
そんな彼をこの前、ライオンみたいなどとと思ってしまった。
思い出した事実に一寸固まったエルファだが、相手がいないという安堵も手伝ってクスリと 笑みを漏らした。
エルファはライオンというものを間近で見たことはない。
この国グミナより遥か遠くの地域に生息するというその動物は、エルファの中ではライナス とイメージが酷似している。
動物絵譜にのっていた博物画でしか知識を得た事はなかったが、あの颯爽とした立ち姿はまさに どの動物よりも風格があり、図説の百獣の王というくだりにも大いに納得してしまう力があった。
(百獣の王と、一国の王)
野性味溢れた出で立ちとそぐわぬ聡明なライオンの瞳は、そのままあの漆黒の眼差しとよくよく 似ている。
(やだ、考えれば考えるだけ似てる)
「なぁに?そんなに会えるのが楽しみなの?」
楽しくなってきたエルファは、クレーラの揶揄の篭った声に我にかえった。
エルファの思惟を完全に勘違いしたそれだったが、それを口にするのは恥かしさゆえ憚られる。 軽く首を横に振ってから、エルファは目の前の鏡に映る自分を眺めた。
城に着てからというもの、初日を除いて一度として自分が持参した服に袖を通していない。 いや、袖を通す事を許されなかったというべきか。朝目覚めたその場所には、何故だか豪奢な クローゼットからドレス一式がエルファ専用と称して用意されていて、今も彼女は 相手方から与えられていたドレスを纏っている。
庶民出だからという言い訳はなるべく使いたくないが、活発に動く事を全く考えられてない ドレスはあまり好ましいものではない。酒場の切り盛りをドレスでしている事を考えるだけで うんざりとしてしまう。
エルファとしてみては簡素なものだといって着せられている今の室内着だって、 充分に外に出て行ける質である。実際その考えは、"一応国の長たる者の妻だからね"と苦笑した クレーラの反応を見るに決してエルファ だけの考えではないと思う。
(加えて、歩きづらいし)
元々フラットな靴を吐いていたエルファにとって、高さのあるヒールすら問題である。 不恰好にならない程度には歩けるが、ライナスを探すほどに長い時間歩けるかどうかは怪しいところだ 。
鏡に映るドレスを着た自分にため息をついてから、視線を鏡にすえたまま上へと向ける。
椅子に座らせられたエルファの真後ろにたつクレーラの召使用の支給服が目に入る。
街の外へは到底来ていけそうにないが、それでもやはりドレスと比べるとその動きやすさは比では ない。加えて彼女がはいてる靴だって、ヒールこそあるがそれでもかぎりなくフラットに近い ものだ。
(私もそっちの方がいいな―)
確か初日に支給服を貰ったはずだが、はじめにあてがわれたほうの部屋に置いてけぼりだ。
羨ましげに見ていることに気付いたのだろう。鏡越しに目があったクレーラが、気の毒そうに笑っ ていた。
「靴くらいならとってきてあげるけどね。服は止めときなさい」
「―でも」
この服を着ていけば目だってしまう。目立つのはイヤだった。ライナス達には当分不可能だと言われた が、ほとぼりが冷めたら市井に帰ろうと思っているのだから、顔を覚えられるのは避けたいのだ。
だがそれも、この姿で顔を出せば覚えられてしまう可能性もある。
大いに困惑するエルファの考えは、もしかしたら顔全体に現れているのかもしれない。 躊躇するエルファの耳に聞こえたのは、呆れきったクレーラの声だった。
「今更よ、エルファ。少なくとも私と一緒にいたらすぐにばれるわ」
誰しもが、私が王妃付きになったって知ってるんだから。平然とそういわれて、エルファは今更 ながらの事実に唖然とした。あまりにも自分のことばかりで、そんな事すら考えていなかったのだ。
固まったままのエルファの肩に手を置いて、クレーラはいつかの時のようないたわる口調で囁いた。
「なるべく目立たない路選ぶからさ。―ま、覚悟きめなさいな」
ここまで来て決めたくないなんていうのは、意気地なしだからだろうか。それとももう後戻りできない ような気がするからか。
エルファは結局靴だけ変えてライナスの元へ向かうことになった。




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