Dear Your Majesty



15.


目立たない路とは、はたしてどれだけあるのだろう。
クレーラと並んで歩きながら、エルファは驚きを隠せずにいた。
城に来て恐らく一ヶ月近くにはなるだろうが、いかんせんそのほとんどは一室に幽閉されていたに 等しい故に、城内の構造は皆目見当がつかない。
エルファの中にある城の知識は 初日にクレーラが簡単に教えてくれた場所と行き方のみで、そのどれ一つも今行く道筋と 該当しない。
ただいえることは、エルファが現在通っている廊下には、誰一人として通り行く人間がいないと いう事だけだ。
硬質な靴音が微かながらも木霊する廊下を歩きながら、エルファは困惑をあらわにした。確かに 案内してもらった場所ではないが、初めてきた場所という気がしないのだ。
奇妙な違和感に眉尻を下げて、エルファは視線をさまよわせた。部屋を出てまだ5分とたってはいない が、それでも随分と窓が少ないように思う。申し訳程度に備え付けられた窓からチラリと見えた景色 は、エルファが滞在している部屋同様で、街より空の青さの比率が多かった。 それほど高い位置にある部屋なのだろう。
(あの場所と同じくらい、遠いところまで見れるのよね)
抱き上げられて無理やり出させられたバルコニーからの景色の様相は違えど、俯瞰する高さは 恐らく変わらない。
「あ」
そういえば、あの時ライナスは階段を一度として使わなかった。そんな事を思い出したとたんに、 エルファはもう一つ重要な事実に気付いた。
「どうしたの」
どんな小さな言葉でも、誰もいない廊下では反響も手伝ってそれなりの音になる。すかさず尋ねてきた クレーラに、エルファは情けなくも赤くなった頬を隠せなかった。
「あ、の。私ここ、この場所通りました」
あの時、ライナスに強制的に抱き上げられて通った路。問題のバルコニーが備え付けられたあの 部屋へ行く際に通った路に違いなかった。
それなのに数分歩いてしか 気付けなかったのは、その日と今の自分の目線がだいぶ違うからであろう。なにせあの時は、自分の 脚で立ってはいなかったし、そんなことよりも連続のありえない事柄に気をとられて、悠長に 通る場所の確認なぞできるはずもなかったのだ。
あのときの状況を思い出すと、ますます頬の赤みが抜けない。始終抱き上げられたままだった自分は、 それこそ"身に余る光栄"とやらなのかもしれないが、とてもそんな風には思えなかった。
「バルコニーの部屋へいく道と似てます」
「あぁ、誓いの間ね」
そんな正式な名がある部屋だとは知らなかった。目を瞬き驚くエルファをちらと視界におさめ、 クレーラは少しだけ歩を緩めた。
「っていっても私ら使用人の間での通称なんだけどね」
(使用人の間だけで―?)
頭の中によぎった疑問を口にする前に、クレーラが動きを見せた。 この前と同じ、自分達以外誰もいない廊下の中央で唐突にとまったのだ。
「ほら、あそこでしょ」
静かな促しの言葉に前を見遣る。重厚な扉が廊下の際奥にどっしりと構え 、その行く先を飲み込んでいるかのようだった。
間違いなくあの時と同じ道筋で、あの扉を開ければバルコニー付きの通称"誓いの間"が 待ち構えている。
あの中で起こった事を思い出すとどうしても歩みが止まってしまうエルファを促すように、 その硬直した背にクレーラが手を添えた。
後ろから押されながらずるずると向かう先は、もうその扉以外に該当はない。おっかなびっくりな 様子で歩き続けてほんの数十秒もしないうちに、エルファは扉の前に立ち尽くしていた。 この前と事情が違うといえども、どうしても蘇る光景に頬は熱くなり背に汗が流れる。
自分でも説明をしがたい複雑な感情に懸命に首を振って、エルファは恐る恐るクレーラをみやった。
「え、あの。この部屋に何か…?」
「いんや。あるとしたら”その先”かな」
「はい…?」
戸惑うエルファを他所に、クレーラは一歩踏み出して扉を開ける。見た目より重そうな扉は 、予想に反してクレーラの細腕一本であっさりと開いた。
「さ、入って」
「う…」
エルファがこうしてドレスを纏い、場違いな城に滞在せざるを得なくなった 決定的な行為が行われた忌まわしい場所。
入ることを拒否しようとしたエルファは、まっすぐにこちらを見遣るクレーラの含みある視線に 気付いて唾を飲み込む。
あの人の様子を確かめたかったんじゃなかったの?
目だけでそう告げてくるクレーラから視線を逸らす事ができない。確かにその通りだからこそ、余計 だった。
(それに、今ここから逃げても、城から出れるわけじゃないし)
状況など何一つ変わらない。それなら今更入るのを躊躇ってもしょうがないとなるべく冷静に見切り をつけ、エルファは大層な覚悟を持ってクレーラより先に部屋に入る。
ベランダのために壁一面が広めの入り口がある"誓いの間"は、 窓が極端に少ない廊下とは対照的にひどく明るかった。
その眩しさに目を細めたエルファは、どこか感慨深い思い出周りを見渡す。
十数日前の出来事が鮮明に蘇る。狼狽からはじまり、悲しみ怒りとあらゆる感情がたったの数分で 過ぎ去った場所だった事を思い出すといまだ複雑だが、無理やり感情にふたをした。
今更恨み言を言ったところで、いつもどおりのエルファの日常は完璧に戻ってこないのだから。
(そういえば)
廊下でも、この部屋の中でもバルコニーでも、しつこく言われた言葉があった。
"心配しなくてもいい。おまえには俺がいる。おまえは、覚悟だけ決めればいい"
"後は俺が、全身全霊でおまえを護る"
"覚悟さえ決めればいい。後は俺が、お前を必ず護るから"
「―――っ」
あの時は混乱の波に飲まれてただただ聞き流していたが、なんと大胆な言葉だろう。
その言葉にいかほどの真摯さがあるのかは図りがたいが、それでも軽薄に聞こえなかったと思う のは、一昨日の数分間の交流があったからか。
顔中を赤く染めて、エルファはふるふると首を横に振った。
「エルファ?大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
にやにやとした先輩メイドの声さえ振り払うように力強く肯定して、エルファはまっすぐにクレーラ へと視線を向けた。
「この部屋の先って…?」
「あぁ、そこに扉あるでしょう」
(扉?)
そんなものがあったろうかと眉をひそめてエルファは注意深くあたりを見渡す。
クレーラの言いようからすると部屋の入り口をさすものとはまた別のものなのだろうが、 いかんせんこの前は部屋の内部を中止する気力も余裕も無かったから、エルファには心覚えが全く ない。
入り口から左手の壁の、ややベランダよりの中央に確かにもう一つ扉がある。 応接用の家具のすぐ傍にあるゆえ入り口からは死角になるものの、別段隠されている様子もない 。それなのに気付けなかったという事が、当時自分がどれだけ追い込まれていたかを表している かのようで、エルファは思わず低く呻いた。
「この扉は―?」
それでも気を取り直して尋ねたエルファに、クレーラは何の感慨もなく言い放った。
「うん?王の執務室。多分奴さんがいるはずだけど、扉は開けちゃだめよ」
いきなりの目的地到着に緊張するよりも前に、 エルファが日常を過ごしてきた環境では到底ありえない単語にめまいを覚える。
ただ一応王たるものが一日の大半を過ごすであろう場所の入り口にしては、質素すぎるし 警備兵一人もいないのはいくらなんでも無防備すぎやしないのか。
そんな事を考えていたエルファは、クレーラが音も無く件の扉へと数歩近づいていくのを戸惑いがち に眺めることしかできなかった。




戻る書庫へ目次へ