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Dear Your Majesty 16. 扉の傍にある調度品 の前でピタリと足を止めたクレーラは、いまだ部屋の真ん中で固まっているエルファ を見つけて瞬いた。 そのどこか気の抜けた様子に、エルファの緊張は鳴りを潜めていったがそれでも困惑が消えたわけで はない。恐らく相手に筒抜けであろうその感情を口に出そうとしたエルファを制するように、クレーラ は小さく息を吐いた。 「ほら、こっち来ないと問題の人の顔が拝めないわよ」 ゆっくりと促されてようやくのろのろと動き出したエルファを一瞥して、クレーラは家具のほうへと 向き合う。 湾曲した脚で支えられた木製のそれは家具というよりは鑑賞品のようで、 美しい曲線を枠組みにされた小さなクローゼット状のものである。 こういった高級家具の知識に乏しいエルファだったが、それでも洗練されたその流麗なフォームに しばし魅せられた。だがそれも 二枚扉の中央につけられた取っ手をクレーラが躊躇無く掴んだことから、一気に我に帰った。 「ちょっ」 「静かにしてないとばれるわよ」 あわや叫びそうになったエルファは、淡々としながらも的確な忠告にそのままゆるゆると口を閉ざ すしかなく。 クレーラの直ぐ傍まで歩み寄ってから、先輩メイドの袖を引いた。 「いいんですか、勝手にそんな。触ったりして」 「今更よね、その質問。そんな事いったらこの部屋に入ったことまで気にしないといけないじゃないの 」 まさにその通りで、今まで複雑な感情を押し沈める事ばかりを考えていたからそんな事まで頭になか った。真っ青になったエルファに対して、クレーラは心底呆れた声を出した。 「大丈夫だから。王妃相手に誰も咎めないって」 あげくもっと胸張ってなさいとまで忠言され、エルファは小さくなって俯いた。 正直なところ、自分の意思で王妃という立場にいるわけじゃない。その上自分の性格は、そこまで 逆境に強くないのだ。開き直る事など、性格上当分無理かもしれなかった。 「まあま、深く考えなさんな」 ね、とわりと優しく言われたその言葉にエルファは子供のようにただただ頷くしかできなくて。 そんなエルファの気持ちを汲み取るようにクレーラはただ苦笑を浮かべただけだった。 「ん、よーし見つけた」 「え?」 「いいからいいから。ほら、ここ覗いてごらん?」 手招くクレーラの気安い態度に解されるかのように、エルファは戸惑いながらも開かれた家具の 中央に立った。丁寧に研磨されたであろう板張りの内部は、小さな本棚のような仕組みで 三段ほどの段でなされている。恐らく何か茶器のようなものをしまう場所だろうかと考えたが、 いくつか小物が整然と並べられた下段以外の二段には使われた形跡がさっぱりない。 「クレーラさん?」 エルファの目的とこの家具の内部を見ることがどう関連しているのかが本気で 理解できず、困惑してクレーラを見遣る。相手は腕組みのポーズで静かにエルファと家具とを 見つめて笑った。 「上段の仕切り。ガラス玉ついてるでしょう」 「え、ガラス玉、ですか?」 戸惑いながらも素直に上段を見直す。上段の右端にブックシェルのような仕切りがあって、 確かにその部分には可愛らしいガラス玉の装飾が施されていた。 「それ。そこから隣の部屋が見えるはず」 「え、ええ?」 驚いてまじまじとクレーラを見遣るが、相手の表情に一片のからかいの色もない。半信半疑ながらも 恐る恐るガラスを覗く。窓ガラスのように鮮明には見えないが、ぼかし絵のように浮かぶ景色がある 。豪勢な部屋のどの部分を見ているのかはよくわからないが、微かに蠢く人の影のようなものが それが絵ではなく隣の部屋の様子なのだと如実に伝えていた。 「―エルファがさ、一目見るだけでいいなんていじらしい事言うから」 そっと語らうような調子に導かれるように姿勢を正して首を向けると、困ったような顔をした クレーラと目が合った。 「ほんとは執務室の正面からお披露目もかねて入ってもらおうなんて思ってたけど、あんたのペース にあわそうと思って。裏技を行使しちゃったわ」 「裏技?」 この家具の仕掛けの事だろうと直ぐに見当がついた。なるほど確かにこれなら相手に気づかれる事無く 一目で様子を確認できるし、まさに裏技というに相応しい方法である。 それにしてもどうしてこんな 王以外は知りようもなさそうな仕掛けをクレーラが知っているのかが最たる疑問だが、その思いを 胸にしまう。せっかくの彼女の好意を無碍にしたくなかった。 「ありがとうございます」 「ん、それ覗いて確認したら帰りましょ」 「はい」 促すクレーラの言葉に素直にしたがって、エルファは腰を屈めて再度ガラス玉に顔を近づけた。 執務室というからにはさぞや豪勢なのかと考えていたがどうやらそれほど華美ではないらしい。 もっとも鮮明な視界ではないから、ただの憶測の一つなのだが。 「どう?いた?」 「―というより、自分が部屋のどの位置を見ているのかがいまいちわからないんです」 エルファは隣の部屋のつくりもものの配置もしらないのだからそれは当然ではある。だが 先ほど覗いた時もそうだったが、少なくともガラス玉の狭い視界の中でライナスらしき人物は 見当たらなかった。 視線をクレーラへと戻せば、頼りになる先輩は仁王立ちに腕組のまましばし考え込むように 眉を寄せた。 「ぎりっぎり右端のほうになんか机みたいなのみえない?」 そこに座っているはずなんだけどという言葉に後押しされるように懸命に右端に目を凝らす。 なるほど確かに茶色の立派な机が見えた。 「あ、あれ?」 「ん、大丈夫?かわろうか」 二歩ほど近づいてきたクレーラに場所を譲る前に、エルファはもう一度ガラス玉を覗き込む。 眼球がくっつくのではなかというほど近づいてみても、机に座る人物を見ることができない。 大きく椅子を引かれたような形になっているし、何より机の上には色々と書類が並んでいる事から きっとあの机で実務をこなしているのは確かなのだろう。だが肝心のライナスがどこにもあたらなか った。 (というよりこれは、…ご不在…?) 「机には向かっていらっしゃらないようなんですけど」 「この時間にそれはないと思うんだけど、なんかあったかね。まあいいや、ちょっとかわってごらん ?」 「あ、はい」 クレーラの言葉にしたがってそのまま大きく一歩下がった。ガラス玉ばかりに目を凝らした結果か、 眼球の奥が妙に痛い。少しでも治癒されるように、反射的に目を閉じた。 「どこいっちゃったんだろうね、あなたの陛下は」 クレーラの気配が目の前まで近寄ってくる。歩きながらのからかう様なその言葉の内容に 相手の思惑通りに思い切り反応して、動揺した。 「もぉ、クレーラさん!」 咎める口調で目を開いたエルファは、そのまま不意の驚きに声も出さずに固まった。 それも心臓が凍り付いてしまったかと思うほどに、それは圧倒的な衝撃で。 「え、ちょ、エルファ?」 どうしたのと驚きを表すクレーラの斜め後ろの例の扉が、いつの間にか開いていて。 あまつさえ、二人が立つ絨毯の間を縫うように徐々に見慣れつつあるシルエットがくっきりと 浮かんでいる。 落とした視線の先に見つけたその影に蒼白になったエルファの意図を問うように、クレーラの視線が 落ちて、それから「あらまあ」と小さな声があたりに響いた。 なんとものんびりとしたその言葉どころではないエルファは、いつものようにパニックに陥りつつ あったが、まるでそれを制するようにその影の持ち主はゆっくりと口を開く。 あいかわらずの魅惑的なバリトンが、エルファの体の意志をあっさりと取り上げ彼女を からめとっていった。 「―さて、何をしているお前達」 どこか楽しそうなライナスの漆黒の瞳が、エルファをしっかりと映している。 瞳を逸らせないエルファをいいことに、ゆっくりとまるで 追い詰めるかのような動きで近づいてくるライナスはまさに王者そのものという雰囲気で。 この場で気を失ってしまえたらいいのにと、エルファは半ば本気で考えた。 |