Dear Your Majesty



20.


前途多難と感じているのは恐らくエルファ一人だけであったろう。戦々恐々としたその思いも、 クレーラと仕事について数分で吹っ飛んだ。
先輩メイドとしてのスキルを遺憾なく発揮するクレーラは、 容赦なくエルファの詰めの甘さを指摘して鍛えなおす。
大事に備えて一日ほんの数十分しか許されなかった授業だが、エルファには充分にためになり尚且つ 楽しいものだった。
エルファとて手伝いのての字も知らぬ娘ではない。小さい頃から人が常に流れては溜まる酒場で 手伝っていた経験も伊達ではない。その点をクレーラは素直に認め、そこから更に上のレベルを教えて くれるのだ。城に膠着状態はそろそろ一ヶ月を超えるところだが、ここ数日が今まで一番楽しかった。
が、やはり物事というものには往々にして長所があれば短所がある。短所というのは 言わずもがな、施しを受ける場所にあった。


「よーぉエルファ、迎えにきたぞ」
喜色満面な顔をした叔父を前に、エルファは半泣きでルータスにしがみついた。
「叔父さん」
「おいおいどうした。またなんかされたのか?」
迷子がようやく母親を見つけたかのような必死のしがみつきように、ルータスが首を傾げる。
ルータスが何があったかと尋ねる前に、その"答え"がエルファを容赦なくルータスから引き離した。
「―ルータス、人の部屋に入り込んでおいて挨拶もなしか」
「これは陛下。申し訳ありません」
で、と真面目な顔を早々に引っ込めてルータスはまじまじと国王陛下を見遣っている。 その視線には当然ライナスに抱きしめられたままの姪の姿も映っているというのに、叔父の顔は どこか晴れ晴れとしている。否、にやついているといったほうが一番的確な表現かもしれなかった。
「ですがね、陛下。毎度毎度うちの姪誑かすのやめて頂けませんか」
「たっ…」
あまりの言葉に思わず絶句してしまったエルファを、男二人がちらりと視線をよこしたが それもたったの数秒で外される。何事もなかったかのように飄々と口を開いたのは ライナスだった。
「おかしなことをいう。誑かしたも何も、それは俺の伴侶だ。妻との親睦を深める事は 何も間違いではないはずだが?」
それ、とはもしかしなくても自分のことなのだろう。安全圏であったはずのルータスを 未練がましく見上げながら、エルファは漠然と思った。
それにしても親睦というのは、こうも一方的なものであったろうか。 思わずため息をついてしまいそうになったが、慌てて口元を引き締めた。
相手の腕の中にいるのだ、ため息をつこうものなら何をされるかわからなかった。
「またか!ほんっと素直じゃないな陛下」
にやつき相好を崩したままのルータスは、エルファの緊張を他所にからからと笑った。
「この調子じゃあエルも苦労するわ。なあそう思わない?クレーラちゃん」
当たり前のように部屋の隅にいたクレーラは、ルータスの呼びかけに振り返るまでもないとばか りにふと笑った。
「そんなの愚問じゃないですかね」
「おぉ、あいかわらず言うねえ」
いいよいいよ、もっといったれクレーラちゃん!
一刀両断という言葉がまさに相応しいクレーラの言葉に、ルータスは我が意を得たりとわばかり に豪快に笑う。実家の酒場でよくよく見かける酔っ払いのような言動にエルファは思わず 苦笑した。
どうやらどこで何をしていても、叔父は叔父らしい。
幼い頃からの見慣れたルータスの姿に油断して、自分が誰の傍にいるのかを すっかり忘れ去りそうになっていた。
「っ」
「―いいたいこと言ってくれるな。ルータス、クレーラ」
いつのまにか肩に回されていたライナスの手が、力強くエルファを押さえつけた。
文字通り羽交い絞めのその体制に、エルファは抵抗する気力も無い。どうも最近毎日のように こうして触れられる事が増えたからか。心臓が破裂するほどの鼓動は感じなくなっている。 逆に言えばそれだけライナスに"慣らされている"という事なのかもしれないが、 だんだんと囲いに入れられているような錯覚にエルファは内心首を傾げた。
(それに、なんと言うか…)
この頃、抱きしめられる事が多くなった。元々人を許可無く抱き上げるし、挙句の果てに 勝手に婚儀まで終わらせてしまう傍若無人ぶりであったライナスだが、 エルファの中で少しずつ印象が変わり はじめている。まず第一に、丁寧に接してくれるようになった、ような気がするのだ。
勿論、全てがエルファの気のせいかもしれない。だけれどもそう言い切るには違和感があり すぎる。
護衛と称してルータスが迎えに来るのは最近の日課だが、そのそもそもの原因はエルファにで はなくライナスにある。仕事で多忙なはずの国王陛下がそうそう自室にいるわけがないのに、 いつも掃除が終わる頃にはエルファの背後を取りなにかとかまわれる。
まるで自分を愛玩動物か何かと勘違いしているのではないかと思うほどの構いっぷりは 徐々にエスカレートした。ライナス曰く"正式な夫婦なのだからなんの問題もない"という 根本的に間違った理由でちょっかいをかけてくるのだ。 両親のもとでを酒場を手伝っていた頃は、エルファは自身のことを酔っ払いのあしらいが 上手いと思っていた。少なくとも母親を見て育っている分、酒場独特な陽気な軽いスキンシップを 笑って流せてなおかつ防げるほどには、そこらのお嬢さん方よりは場慣れしているはずなのに。
ライナスを前にすると、てんで相手にならなかった。硬直したり頬を忙しなく赤く染めたりと 、体は心の意に沿わぬ反応ばかりを真っ先に示す。ライナスもどこかそれをわかって接近 している素振りがあるから尚更にたまらなかった。
そんなエルファに対し、クレーラはどこまでも頼りになる存在で。毎度の掃除あがりに ルータスが王妃の護衛という名目で迎えに来てくれるように手配してくれたのだ。
事情を知ったルータスは、何故か上機嫌で毎日部屋に訪れてはライナスを遠ざけてくれる。
実際は彼の登場は今現在の状況のようにより事態を悪化させているのだが、それでも視界に入る ほど近くに見知った叔父がいるという事実はエルファにとって心強い。抱きしめ られても前より混乱することはなくなった。
「エルファ」
「え、はい」
頭の上から降ってきた呼びかけに、エルファはすと顔を上げた。普段では ありえないほどの近い距離も、今はもうそれほど珍しくはない。あいかわらず心臓は大きく 跳ね体温は上がるが、それでも我を忘れるほど取り乱すことはほとんど無くなった。
そんな彼女に対して、ライナスは少し意外そうな表情をしてそれからふと笑う。純粋に 悪意のないその笑みに、エルファの目は釘付けになったが、あわてて視線を逸らす。
顔中が沸騰しているかのように赤くなっている自覚があった。
「だーから、俺の姪を誑かすのやめてくれませんかね」
「な、叔父さんっ」
囃し立てる気満々のルータスを睨みつけても、そんなものはあの叔父相手になんの牽制にもなら ない。
最近日常と化しているそのやり取りに、場の雰囲気はどこか柔らかかったのだが。
「―ライナス、入るよ」
外から軽いノックと同時に開かれた扉を前にして、硬直した。
「え、あれ?エルファちゃん?」
エヴァンスが、その貴族然とした美しい顔に精一杯の驚きを示して立ち尽くしていた。




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