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Dear Your Majesty 21. 見られた。 顔を赤く染めて抱きしめられている瞬間を。あまつさえ自分は大人しくライナスの 腕の中にいたという事実を。 叔父やクレーラの前ではあまり湧き上がらなかった羞恥心が 一気にエルファを襲う。 それは久々に我を無くすほどのパニックの波にもまれた瞬間であったが、 さりげなく強められた抱きしめる腕の力に知らず平静を取り戻した。 「取り込み中なんだが。何の用だ、ヴァン」 何気ない口調の裏に、不機嫌さが見え隠れしている。それを察する事ができるほどには、エルファ はライナスという人物がわかるようにはなっていた。 それは彼の叔父であるエヴァンスにも容易に伝わっているようで、彼は気遣わしげに エルファを見遣っている。 「扉を閉めろ。それからさっさと用件を言え」 短いその言葉に心得たようにすばやく戸を閉めたエヴァンスは、敬礼をするルータス等に軽く 手を挙げてから興味深そうにこちらをのぞきこんできた。 「こんにちはエルファ」 「エヴァンス宰相」 ご無沙汰しておりますと慌てて頭を下げれば、エヴァンスが確かにねと苦笑する声が聞こえた。 「で、ライナス?仕事さぼって何してるかと思えば、 こんな素敵な事をしていたのかい?」 貴人の微笑みは柔和で気品に溢れている。それなのに、どうしてかその笑みが少女の叔父 ルータスのそれと大きくだぶる。 叔父という立ち位置にいるものならば、誰もがそんなふうに笑えるのだろうか いうほどに、彼等の笑みは同質だった。それ即ち、なにかしら裏があるということで。 そんな思いを抱くのはどうやらエルファ一人ではないらしい。警戒するような気配がライナスから 伝わってきた。 「僕に教えてくれてもいいじゃないか、水臭いね君も」 「お前に教える必要はないな。あまりからかうな、エルファが怯えるだろう」 素っ気無い言葉の端々にとげがあるそれが威厳ある声にのるとここまで強烈かと エルファなぞは思うのだが、エヴァンスにとってはそうではないらしい。 くすりと上品に笑ってから意味ありげにライナスとエルファを見た。 「おや?僕にというよりむしろ君に怯えているようだけど。ねえ、エルファちゃん?」 そんなところでいきなり話をこちらに降らないで欲しい。いまだライナスの腕の中に収まったまま 、エルファは人知れず冷や汗を流した。幸いなことにエルファがその質問に答えることは なかった。彼女が口を開くよりも先に、会話に参加してきた人物がいたからだ。彼女はいつだって エルファを安全な場所へと導き適度に護ってくれる。今回も例外になく、クレーラは見事な手腕で ライナスを少女から引き離してため息をついた。 「他所でやってくれませんかね。私等もう出て行きますから」 時間も時間ですし、というクレーラの言葉に反応を示したのはルータスだ。 彼はいつも日暮れが迫ると仕事場に戻っていく。警備隊の副長として、 夕刻の城内警備を抜けるわけにはいかないからだ。 「そうだな。ほらエル、部屋まで送ってくぞ」 「あ、はい―――あの」 既に扉の前にいる叔父の言葉に小さく頷いてエルファは慌てて王族の二人へと頭を下げた。 遠慮がちにかけられたエルファの細い声は、とめどない彼等の言葉遊びの終止符を打った。 そろって口を閉ざす。ライナスが苛立たしげにため息をおとす気配がして、それに後追い するように忍び笑いが漏れ聞こえる。察するに、今回はやり込められなかったのだろう。 壮絶に機嫌が悪そうな国王とは対照的に宰相殿の気分はすこぶるいい ことから、明白だ。クレーラといい、エヴァンスといい さすがとは思ったが、それを口に出す事をエルファはよしとしなかった。 なぜなら頭を下げながらのお伺いでも わかってしまうほどに、 ライナスの視線は確実にエルファを捕らえているのがわかるから。 幸か不幸か、ここ最近ライナスの気配に敏感になっている。同じ場所で時を過ごす事が増えた 故か、相手の思考パターンというものがおぼろげながらもエルファの中で輪郭が浮かび上がって いた。とにかく断言できる。今のライナスは恐ろしくむっつりとした顔で、頭を下げ続ける エルファの頭部を見下げているに違いないのだ。 「それでは失礼します」 「―ああ、エルファちゃん」 クレーラに背を押される形でお辞儀をとき歩き出したエルファは、柔らかな呼び止める声に 戸惑いがちに振り返った。 呼びかけた貴人はどこまでも上品な微笑みでエルファを向かえる。親しげな話口調でついぞ 忘れがちになるがこの人も本来なら雲の上の存在というものなのだと思うほど 、エヴァンスという人物は貴人然としていた。 改めておおきな戸惑いを覚えたエルファを察してか、エヴァンスはあたたかな笑みを称えて 口を開いた。 苦虫を噛み潰した顔をしていたはずのライナスは、厳しい目でその様を眺めていたが さすが親族というところか、甥の脅迫めいた視線などものともしていないいたって普通の語り口 だった。 「明後日の夜なんだけど、あいてる?」 「――――貴様、何がいいたい」 地を這うような低い声の正体など探るまでも無い。魅惑的という言葉すらも負けてしまうほどに エルファを惑わすその声も今は怒りからか重低音で禍々しかった。 あまりの怖さに全身を硬直させたエルファを他所に、ライナスは今にもエヴァンスに掴みかかろう かという具合だ。 主の感情が部屋全体の空気までもを変えていく。 そんな経緯をパニックにならずに観察しているのは、彼女にとってその独特の緊迫感は 肌に馴染んだそれだからだ。 両親の酒場の常連はたいがい気のいい 連中が多くエルファも大好きだが、品がいいとはお世辞にもいえない。酔った勢いの競り合いなど 日常茶飯事で、父がそれを時に微笑み時に咆哮をあげて止める様も幼い頃から 何度も見てきた。 ライナスの雰囲気は空恐ろしい。だけれども状況からいってただふんわりと笑みを保ち続ける エヴァンスのほうがエルファにとっては怖い。 申し訳ないが、この人も曲者だと感じてしまうほどには。 エルファは途方も無い思いで目を瞬いた。 彼等のやりとりを間近でみるのはこれが初めてではなく、前回のときも喧嘩じみたじゃれあいを していたことを良く覚えている。自分がパニックに陥っていたため詳細に自信はないが、 それでもここまでおかしな方向に空気が変わる事などなかった はずだ。 何が違うのかは、疑うまでも無い。ライナスだ。 どうにもいつもの余裕がない。 一体どうしたのだろうと、エルファは困惑した思いでライナスを見つめた。 「何がって?それはもちろん明後日の」 いつもの通りの雰囲気を崩さないエヴァンスは、その美しい顔を一瞬エルファのほうに意味ありげ に向ける。 あいかわらず事態がつかめず置いてけぼりのエルファの耳に、 ライナスの怒鳴り声が突き刺さった。 「いい加減にしろ、ヴァン。そいつには全く関係の無いことだ!」 関係の無いこと。鉛の言葉がもどかしい音をたててエルファの体に沈み込んでいく。 だがそれもエヴァンスが放った次の句に塵一つなく吹っ飛ばされた。 「関係?あるだろう。だって君の伴侶はエルファちゃんしかいないじゃないか」 「そんな当たり前の事はわかっている」 (あ、当たり前な事?) 確かに事実だけを見ればエルファとライナスは夫婦というものだが、ああまで真顔で言い切られて も困り者だ。現金なほどに頬が赤くなるのを抑えきれなかった。 「…ライナス。君はなんてからかいがいがないんだ」 「俺にそんなものを求めるお前がどうかしている」 毒気を抜かれた顔でエヴァンスは横柄な甥を凝視する様をぼんやりと眺めていたら、 視線を逸らしたエヴァンスとしっかり目が合ってしまった。 思わず驚いて目を大きく開いたエルファにエヴァンスがニッコリと微笑んだ。 曖昧に微笑み返したのがいけなかったのか。エルファの笑みを受け取った若き宰相殿は 、ライナスへ楽しげに向き直った。 「―とにかく、ライナス。明後日の夜は君が エルファちゃんをエスコートしないとはじまらない」 淀みなく言われたその言葉は、新たな災難の匂いがした。 |