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Dear Your Majesty 22. 「いいかエル。わるいこたいわねえから明々後日まではここから出るな」 いいなと念押しに聞くルータスの表情は、真剣そのもので。 その声は、恐ろしいほどに静やかだった。 常に無いルータスの形相は、冷ややかで無表情だ。姪であるエルファは、それほど叔父が 怒り心頭に発しているということを理解していたが、その知識を持ってしても余りあるほどに 今の彼は恐ろしいの一言につきる。 「エルファ、返事は」 有無を言わせぬその口調に、エルファは自分の意思で頷けずにいた。 エルファとて、エヴァンスの突然の発言に驚いたが、それよりもその話題がどこから起因している のかすらわからっていない。が、それはどうやらあの場でエルファただ一人のようだった。 ライナスはもちろんの事、クレーラは黙って眉を顰めたし、ルータスにいたっては唐突に 怒りはじめる始末だ。 『話が違うだろうが、おい!』 阿鼻叫喚という最悪の事態は免れたが、ライナスの事をいきいきとからかっていたはずの叔父の 突然の豹変ともいえる態度の変化にエルファはおおいに戸惑った。 王族に身を置き文字通り国を動かす二人に向かって睨みつけ怒鳴りあげたのだ。言葉遣いに いたっては今更な話かもしれないが、それでも誰かに見咎められていたらルータスの命は無かった かもしれない。もっともライナスがそこまでするとは思えないが、どれだけ軽くても 数週間の謹慎くらいには発展していてもおかしくないほどの口の利き方に態度だった。 話はまったく見えなかったが、叔父と彼等を引き離さないと大事になりそうだというのは わかっていた。恐らく同じことを考えていたに違いないクレーラと視線一つで同意しあい、 ルータスの背を押して慌しくも部屋から退散してきたのだが。 エルファの部屋に着くまで、ルータスは一言も口を利かず、怒りすらも押し隠した無表情で 少女の横を歩いていた。その左手はエルファの右手首をがっしりと掴み、まるでそうしていないと エルファのほうこそ消えてしまうのではないかと本気で思っているかのようなただならぬ様子に エルファはあまりに強い力で痛かったにもかかわらず何もいえずに叔父にされるがままに なった。 もはや見慣れてきた感がある自室の前まで来た時に、ルータスはようやっと 彼女の手首をはずし、労わるように彼女の手首をそのまま何度かさする。 気まずい、痛いくらいだった緊張がそれだけで消えていくかのような錯覚を覚えるほどに、 目の前のルータスは落ち着きを取り戻していた。が、やはり表情は真剣そのもので。 そんなときに静かに言い出したのが、明々後日まで部屋から出るなという言葉であった。 「エルファ、頼むから」 戸惑いが勝りただただ叔父の顔を凝視するだけだったエルファは、ルータスの懇願の声に 目を見開いた。 まっすぐに見上げた先、ルータスは幾分柔らかさを取り戻した表情でエルファを見つめ ていた。ただそれだけなのに、エルファを妙に不安にさせた。 「叔父さん…?」 思わず零れ落ちた呼びかけに、ルータスは微かに笑みを滲ませそのまま背をかがめて エルファの頬にふれた。 幼い頃によくされた仕草は、きまってエルファが亡き膨れた後や拗ねたときにされていた もので、優しい記憶がまざまざと蘇った。 「明々後日までは、この部屋から出ないって俺と約束してくれ」 いつもなら。 いつもならば、必死なそのお願いに気圧されるように、首を縦に振ったであろう。 だけれども今このときにおいてエルファはどうしても叔父の願いを聞き入れるのを躊躇って しまう。 (だって、あの時確かに) 『後でお前の部屋に行く』 怒り狂うルータスをつれて退室する際、確かにライナスはエルファを見据えてこういった。 説明はそのときにと、低く小さな声であったが確かにそういったのだ。 ルータスにだってそれは聞こえていたはずである。 エルファは困り顔でルータスと見つめあい、苦笑とともに口を開いた。いつまでも黙っていては ルータスははなしてくれないだろう。これから大事な警備の仕事に戻らなければいけないという のに、それすら無視しそうな勢いだ。 「その返事は、明日じゃだめかな」 「明日?」 眉根を寄せたルータス叔父に再度微笑を返して、エルファは一寸口を閉ざす。 自分でもまだ整理でききっていないこの状況について、叔父が納得できるように話せること が可能だろうかと。だがそんな逡巡も、ほんの数秒でやめた。 かわりにまっすぐルータスの瞳を見据える。戸惑いの色が濃い相手の表情が尚更に心配を 表していた。 「陛下は、私に事の顛末を説明してくださるみたいだった。せめてそれをきちんと聞いてから 、自分で決めたいの」 「だけどよ、エル」 「私は」 叔父の言葉を幾分強く遮って、エルファは自分の話を続けた。誰もいない扉前の 廊下に、エルファの声が木霊した。 「そもそもこの場所につれてこられた時から、私だけのけもので。ここにいることだって、 私だけが知らなくて他の皆は状況を全部知ってたよね」 げんにルータスは、いまだにエルファの質問に答えてくれていない。どうしてライナスの 計画の片棒を担ぐ事になったのかも、その計画にエルファが巻き込まれたのかも。どれだけ 聞いてもはぐらかされるものだから、ここ数週間は会話にのぼる事すらなくなってしまった 話題。そして今回の騒動も、いまだ事の全貌をエルファだけが知らない。 あまりにも理不尽だった。だけど今回は、ほんの少しだけ与えられた状況が違う。 ライナスはあとで話すと明言してくれた。ほんの一ヶ月近く、それも限られた時間でしか 知り合う機会を得なかった相手だが。彼の全てを知ったなどと大げさな事は口が裂けても いえやしないけれども。それでも彼はきっとエルファに説明をくれるだろうという 自信を持ってそう思えた。 (あの方は、約束を破るようには見えなかったもの) 痛いところをつかれて大きく動揺したルータスの隙に入り込むように、エルファは断定の調子で 問いかけた。 「お願い、今回くらい私に選択させて」 これ以上流されるのはイヤだった。自分がパニックに陥っているのに、それを逆手にとるかのよ うな一連の流れも。できればもう味わいたくないと思うほどには、相手にとって自分という存在の 都合のいい位置づけが悲しくもあり悔しかった。 だから今回こそ、関わるにせよしないにせよ、自分の意志で選びたい。その決定を覆され またまた強引に流されてしまうのだとしても、それでも説明があるのとないのはだいぶ扱われ方 が違う。その思いを込めた眼差しに、明らかにルータスが息をのんだ。 緊張の糸が切れた、疲弊した空気で扉の前は満たされた。それを元に戻したのは、叔父と姪では なく、優秀なメイドだった。あまりにも目立たぬように控えていたせいか、 彼女がいるということをほとんど意識の果てに追いやってしまっていたから、 響いた声に必要以上に反応した。振り返った先にいたクレーラはエルファ等二人を 静かな表情で見据えていた。 「私はエルファに賛成」 いつもと何一つ変わらぬ様子で、クレーラはそう言い放つ。そのままするりと両者の間にわって 入り扉を開けた。 立ち尽くすばかりのエルファに構わずクレーラは話は終わったとばかりに部屋の中にさっさと 入っていく。そのままクルリと入り口のほうへと向ききりひょうきんな動作で小首を傾げた。 「ほらエルファ、早く中に入って」 「あ、あの」 「陛下が来るのを待つんでしょう?あんな奴でもそれなりの準備はしないといけないからね 、なんせ国王陛下だし」 ねえ?と同意を得るでもなしに呟かれたその言葉は、はたして誰に向けられた者か 。思わず苦笑したエルファを見知った気配が引き寄せ抱き寄せた。 「叔父さん?」 軽い抱擁のなか、見上げたルータスの顔はどこか寂しそうで。同時にひどく安堵しているようにも 見える。ルータスは力なく笑いながらも、柔らかな眼差しでエルファを見つめ、額へと そっと唇を寄せる。幼い頃から何度も与えられた親愛の挨拶に、エルファはくすぐったさを 覚えて小さく微笑んだ。 「巻き込んじまってんのに全部話してやれなくてすまねえ。―そうだな、あとで陛下の話を 聞いて、そっからゆっくり考えろ」 なあエルと、叔父は躊躇うような調子で呟きエルファの耳元でそっと囁いた。 「忘れるな。おまえのルータス叔父は、いつだっておまえの味方だから」 おまえの味方だから。 だから、俺のいう事もちったあ考慮に入れといて欲しいね。 そう言ったルータスの表情は、やっぱりどこか寂しげで。 エルファは何も言えずに、代わりとばかりに力強く首肯してルータスに抱擁を返した。 |