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Dear Your Majesty 24. まさに寝耳に水の発言に、エルファは驚きを許容できずに固まった。 声が自由にならないぶん、目の前にある端正な顔を凝視してしまう。 ライナスの表情の中には、からかいの色もなにもなく。ただそこにあるのは、真剣身を帯びた 凛とした瞳のみだ。唇を真一文字に引き結び、エルファの返事を待っている。 真摯なその様に気圧されるように、エルファの混乱は跡形もなく消え去ってしまった。 彼女の脳裏に数時間前の記憶が蘇る。常に陽気な叔父の豹変振り、それから言葉。 その一つ一つが一瞬にして彼女の中で新たな面を見せつけた。 異常なまでの叔父の行動、一貫して言われた言葉は全てエルファを案じる言葉と 舞踏会というものを嫌うもの。 嫌った言動ではなかった、あれは嫌悪よりも上をいく。恐れとも違う、もっと何か を危ぶむような。結局のところ行き着くのは、傲慢でもなんでもなく ルータスの姪に対する危惧しかない。 エルファの叔父は、この王城を護る警備隊の副長を勤める男だ。 他国と比べてそこまでの階級上の格差がないこの国グミナにおいても、 庶民出の叩き上げという彼の身分は城内では異彩を放っているのだと だいぶ昔に聞いた事がある。 ルータスなりの王家並びに国家体制に関して所見があってもおかしくはない。寧ろ 納得できるのだ。そんな彼の警鐘を鳴らさんばかりの忠告。それを一度脇において、 エルファは再度目の前の男に意識を集中させた。 数十秒なのか、それとも数分なのかわからないくらいエルファは自己の世界に耽っているという のに、ライナスは咎めの言葉一つ零さずただただ見つめられるままにエルファの言葉を待って いてくれている。 それがすごく嬉いと感じるのははたして罰当たりな事だろうか。よぎった思いをない交ぜにして エルファは再度思考の海へと帰っていく。 舞踏会に、参列して欲しい。 言われた言葉を改めてかみ締めてみる。ルータスの忠告、それから今の自分の立場。 「あ…」 それは言葉どおりただ参列するという意味ではないのだと、当たり前の事を唐突に気付く。 ホスト側であるライナスは国王として舞踏会に出席しなければいけない。彼がいなければ 話にならない。そしてその彼は国王の正式なパートナーとしてエルファを傍に置きたいと いうことで。 それ即ち、エルファがグミナ国王妃なのだと国内外 に事実上認めさせる場ということになる。 ライナスがメインではない。一国の王が"自ら選んだ"王妃のお披露目こそがメインだ。 ここにきて急にルータスの激しいまでの怒りの意味が理解できた。 暗黙のルールである他国の姫を娶らず、国内の、それも一国民に過ぎない一般人を嫁にしたこと をもう消し去る事はできないが。門外不出だとか言ってなかったであろうか。それこその ここ一ヶ月ちかくの篭城ではなかったか。それとも今がお披露目の頃合ということなのか。 エルファにとって政治的見定めなど到底できはしなかったが、自分の心を見つめることは できる。 「私…」 それはできないと、はっきり言うべきだ。冷静な部分がそう答えをはじき出しているのに、 その一言がどうしても言えないでいる。逡巡したところで変わるはずも無い事実を、 まるで受け入れる事に抵抗するかのようだ。エルファは泣きそうな気持ちでライナスを見遣った。 不思議と怒りは湧いてこない。だけど、どうしようもなく自分が情けない人間に思えて仕方が なかった。 「私」 「――おまえは、俺が護る」 唐突な囁きは絶対的な響きでエルファの意識を現へと引き戻す。 言葉に潜むその力強さに、心の芯が知らず震えた。 見詰め合う距離が僅かに縮まりつつある。わかっているのに、エルファは相手に身を預けたまま 動こうとしなかった。 ただその瞳と声に絡めとられて、動くという事を忘れたかのような従順さでライナスの近づく 顔を具に眺めた。 「あの時、そう約束した」 あの時とはいつだ。反駁する思いとは裏腹に、思考よりももっと本能的な何かがあっさりと 答えを引き連れてやってくる。 あの日、見習いメイド第一日目をめでたく迎えるはずだった朝のことを。抱き上げられたまま 誓いの間へ行く道中、そして部屋に入って強引にバルコニーへ出されてからも。 あの日何度か口にされたその言葉。高慢すぎる発言に曇ってしまっていたが、今ならわかる。 あの時も今と同じ痛いくらいに真剣な眼差しでエルファを捕らえていた。 そうだ、だから彼女はああまでも身動きができず、自分の意思一ついえなかったのだ。 いくら不測の事態に弱い身といってもあのときの自分ときたら、それはもう酷かった。 (違う、今はそんなことじゃなくて) 余計な事まで思い出してしまったエルファは、まだ少し硬さが残った表情のまま ライナスをおずおずとみやった。 顔の距離が、先ほどよりも僅かに近い。いつもな ら顔を赤くして飛び退る間合いであるはずなのに、そんな気は微塵も起こらず。 呆けたようにライナスの顔が近づくのを待ち構えている事しかできなかった。 「それを違えるつもりなどない」 かなりの近い距離。いつもなら逃げ切れずに抑えこまれたうえで体験したことのある至近距離で 、それもあえなくクレーラやルータスに破壊されるというのが定石だ。 だけど彼女の体は軽く引き寄せられている程度で、いつでも突破できるであろう緩い拘束 に過ぎない。唐突の難題のあとに 思考などまとまるはずもなく、とうの昔にとぐろを巻いて頭の隅で縮こまっている 。 否、違う。 理性ではなく、感情が支配したエルファには何故か"拒否"するという選択肢がなくて。 ほんの数ミリ、酷く曖昧な距離のなか 最後まで黒い濡羽玉の如き瞳を見つめていた。 戸惑うように微かに戦慄いた少女の唇を宥めるかのように、ライナスの唇が そっと触れ、暖かい空白が二人の間を横たわる。 やがて恥かしさが芽生えた頃に、ゆっくりとその温度は離れていった。 「―――」 (わ、たし……) ライナスと無言で見詰め合ったまま、エルファは恍惚とした感情に戸惑っていた。 嫌悪感というものが、一切浮かんでこないのだ。それがどうしてなのかと考えるよりも前に、 エルファの意識はライナスへと移った。いまだ近い距離の中、甘い吐息さえ感じる空間で ライナスは柔らかな声音でエルファの耳元で囁いた。 「お前を護ろう、エルファ。俺の伴侶」 低い声が耳朶を打つ。半ば夢心地で聞き入っていたエルファに対し、ライナスは苦笑するように 小さく笑う。何故だかその笑みが妙に切なそうに見えて、エルファは不意に怖くなった。 「ライナス様…?」 確かめるようなエルファの声に応じるように、ライナスの掌が彼女の頭上を覆う。 おおきなその掌はエルファを充分に安心させる温度をくれているはずなのに、それでも エルファは落ち着きをなくしつつあった。そんなエルファを柔らかな表情で 眺めていたライナスは、彼女を軽く抱きしめなおす。エルファの状況を確認する かのような無言の気遣いを感じて、こんな時ながらも酷くうれしかった。 だから彼女は、自分からゆっくりと顔を挙げ大丈夫ですと小さく告げてみせた。そうすることで 、相手の表情が少しでも変わればいいと。少なくともそんなにも切ない色を見せられるのなら、 いっそはじめてあったときに感じた高慢さのほうがましだとも思うほどに。相手に自分がその表情 をさせていることがエルファは堪らなくいやだった。 エルファのそんな思いが 通じたのか。ライナスは一度ゆるゆると息を吐き出し、再度重い口を開いた。 「だから俺は、はじめから一人で対応するつもりだったし、 今もそのつもりだ」 「え・・・」 「おまえは今回出なくてもいい、心配するな」 出なくても良い。その言葉に多大な安堵を覚えるというのに、同じく罪悪感とショックを受ける。 そんな事を思う必要もなかったはずなのに、それでもその思いは隠し切れないほどにおおきな 存在で、エルファは情けなくも途方にくれた。自分の気持ちが少しずつ明確になってきていて、 あともう少しで不明瞭で理解し難い自分の真意へと道は開ける直前だというのに。 それだけでも鬱積しているエルファの心をかき乱すような静やかさで、ライナスは 二の句を放った。 「そのかわり、しばらく家に帰れ」 「俺が迎えにいく。だからそれまで大人しく待っていろ」 それは実質上、彼女の解放を意味していた。 |