|
Dear Your Majesty 25. 力なくベッドに横たわって、幾ばくの時が流れたのか。時間の流れから自分ひとりが 取り残されたかのように、今のエルファに時というものは無関係な産物だ。 そんなことよりも頬に馴染むベッドのシーツは格段上質のものではなく、十数年 慣れ親しんだ洗いざらしのそれであることがエルファにとっては重要である。 家に帰って来たという事も現実味の沸かない中、シーツの感触のみが彼女の中で唯一 現状を突きつけてくる。 (私は…) 戻ってきてしまった。 心の中で呟かれたその言葉に、エルファは苦しげに呻いて目を閉じた。 あの夜、ライナスが退出すると同時に返ってきたクレーラはかなり気難しい顔をしていた。 『まあ国王陛下の命令だから、仕方ないけどさ。 しかも数日したらまた籠の鳥だろうし』そうため息とともに言い放った クレーラは、まっすぐにエルファを見据えた。 『だけどもさ。あんたはそれでいいの?エルファ』 鋭さははない、ただただ強いその眼差しがエルファの心の奥底まで絡めとるかのようだった。 咄嗟に答えられなかったエルファを見て、なにを思ったのか。クレーラは悲しそうに 仕方ないねと呟き、それ以降翌日の早朝にわかれるまで普段の調子をずっと貫いていた。 そんな彼女の行動にすら、エルファは唐突に突き放された迷い子のような感情を 覚えて戸惑って。後ろ髪をひかれる思いで、日の出前に城を出た。 そのとき初めて、自分がメイドとしてあてがわれたエリアと宛がわれていた王妃の間 は階どころか建物すら違うのだという事を知った。 かつてメイドの初日に案内してもらった場所とはまた別の裏口には、神妙な顔をした 叔父が彼女を待ち構えていて。そこでクレーラはエルファをきつく抱きしめて 叔父さえ聞こえぬほどの微小な声でそっと囁いた。 『このまま逃げるのなら、上手くやりなさい』と。 言われて初めて気付いた、いやその可能性をひたすらに考えないようにしていた エルファにとって動揺するに充分な一言。それを微塵も無かった様な調子で離れたクレーラは 『また数日後ね』と言ってのける。だけどその目は痛いくらいに誠実ですこしだけ厳しかった。 瞳だけで万が一の"さようなら"を言っているのだと悟り、エルファは 何も言えず。気がつけば叔父に押される形で城内を出ていた。 城から一ヶ月ぶりに返ってきた娘に対し、家族は揃って暖かくいつも以上に優しかった。 付き添いのルータスは二言三言兄夫婦と会話を交わした後、何度もエルファを心配そうに見つめ ながらも城へと帰っていった。舞踏会も明日に差し迫っているし忙しいはずなのに、大きな用事 が片付き次第すぐに舞い戻ってくるからとしつこいくらいに言い渡しての退場に、 エルファはどう反応していいかわからなかった。家族は苦笑いをしていたが。 疲れているだろうからという親の気遣いに甘えて部屋に戻ってから、 エルファはずっとベッドにうずくまり、動けないでいる。 (このまま、城に戻らないという手もある…のよね) 逃げてもいいとクレーラは言った。 恐らくそれが妥当なのだとルータスをはじめ家族はそう思っているのだろう。 だけれども、エルファの中ではそんな選択肢は既に皆無だ。 昨夜まであった異常な状態が突然普段のそれに戻ったのだ、これはいいことなのだと 自身に言い聞かせても空虚な反応すら返ってこない。 自分相手に見せ掛けなごまかしなどきかなかった。 このまま城に帰らないなど考えられなくて。 ―あの人にもう会えないと思えばどうしようもなく悲しい。 エルファは苦しげに眉根を寄せ、浅く息を吐いた。 思考ですらも逃げ惑って見ないふりをしいたその言葉に結局は触れてしまった。 自分でもどうかしていると思う。そんなことはもうエルファは百も承知だった。 なにせエルファはあの騙まし討ち同然の婚姻以来、家に帰ることを目標としていた。 クレーラから仕事を学びたいと志願した時さえ、 元を辿れば両親の手伝いに戻った時に役立たせたいという思いがあったからだ。 そこには一切、城に留まるという考えなどなかったはずなのに。 どうして戻ってきてしまったのだろうというもう一人の自分の声が、 クレーラの強い眼差しが、極め付けにライナスの言葉に眼差しに、切ない笑みが。 エルファの体中に響きわたっていちいち彼女の調子を狂わせる。 (だって陛下が。ライナス様が戻れっておっしゃったじゃないの) 彼は必ず迎えに行くとも言った。よもやそれを期待の言葉のように感じている自分がいるだなんて 、一ヶ月以上前では想像だにしなかった。 (どうしたらいいの…) 自分がどうしようもない道化と思えて仕方が無い。 よりにもよって、相手が国王陛下。それだけ聞けば、どうにも物語の要素を抜け出せない。 旅の一行の唄うたいが、さも楽しそうに奏でそうな話だが、それがいざ自分の身のうちにふりかか ってくれば、こうにも滑稽そのものかと思わずにはいられない。 まずなにより、物語の王様とライナスでは差がありすぎるということ。 両思いならまだしも、相手は自分を計画の道連れくらいにしか思っていない。 悲しくなるよりも前に、思わず笑ってしまう。 道連れくらにしか思っていない。そう考えているのに、どうしても蘇るライナスの表情や行動は 彼女に対して優しく真摯なものばかりだ。 (そうよ、だってもともとはあそこまで気なんて使ってくれてなかったんだから) 唐突で強引で、高慢で。他人にとってはそう感じなくても、罠に陥れられたとしか思えない一連の あの行動の中でエルファが感じたライナスの印象は一貫してマイナスなものしかない。 勿論それがライナスの性格だ。だけどもエルファは、それ以外をもう知ってしまっている。 当ての無い無限なる思考回路に疲れ、エルファはぼんやりと目を開けた。 自室へと近づく足音が聞こえる。遠慮がちに、でもその存在をわざとエルファに教えるように 音を立ているかのようなそれに、ベッドから身を起こし慌てて縁へと座りなおした。 足音が途切れた頃には、エルファは乱れた髪を手で梳き終わりなんとか体裁を整えていた。 なにせ先ほどまでの自分の格好ときたら、たとえ親であろうとも早々見せられる様ではなかった から。 コツンと木越に伝わるノック音を落ち着いた心地でむかえ、エルファはそっと声を出した。 「はい、どうぞ」 自室に篭って以来はじめて出した声である事に気付いたのは、耳に届いた自分の声が 掠れていたからだ。 そんなことすらにも思わず苦笑したエルファは、扉の開く音に慌てて表情を変えた。 「入るわよ」 母・ミルアがトレイを片手に、きびきびとした動作で部屋の中へと入ってきた。 エルファは母が持つトレイを目に留め、こんな状況にもかかわらず小さく歓声の声を あげた。 「ホットミルク!それにドライフルーツのケーキまで!」 「あんたこれ好きだものね」 ニコリと笑う母につられてエルファも笑う。ミルアの言うとおり、ケーキは 母の手製のもので、エルファの大好物だ。 絞りたてのホットミルクと一緒に出されるケーキは、幼い頃から出される定番で。それらは 決まって娘達の元気が斜め下がりの時にお出ましになるのだ。 思わず笑みさえ消してミルアを見上げる。表情一つかえない偉大なる母は、トレイをエルファの 手へと無理やり持たせる。何もいえない娘をじっくりと見据えて苦笑を零した。 「そろそろ何か食べなさいな。それ食べたら降りてきなさい」 戸惑った顔をするエルファに対し、ミルアはいたって明快な調子で笑った。 「いつもみたいに仕事手伝っておくれよ。それついでに父さん達にもっと顔を見せておやり 。あの人なんて久々にあんたの顔みるもんだから戸惑っちゃってるのよ。 それでいて気になって仕方が無いんだから困ったもんね」 母の答えにエルファは合点がいかずに眉を寄せる。一ヶ月以上あいた再開だが、それでも そこまで長期間とも思えない。それなのに戸惑うとはどういうことか。 「じゃあ待ってるからね」 「―なんで父さんが戸惑うの?」 そういって部屋を出て行こうとする母に、エルファは思わず声をかけた。 純粋にわからなくて聞いたのに、そんなエルファに対しミルアは朗らかに笑うのみだ。 ますますわけがわからなかった。 |