Dear Your Majesty



27.


エルファの家は三階建てのこしらえで、その一階を酒場と厨房、二階を 宿屋としての個室郡としており、三階のみが家族の居住スペースである。
エルファが細い階段を上りきり三階に着いたとき、 弟のフェイは眠そうにしながらもまだ起きていた。 今まさに寝に行こうとしていたのだろう。寝巻きに着替えた彼は眠そうに居間の窓辺に座り込んでいたが、その半分閉じかけた目でエルファが部屋に入ってくるを認めるやいなや、表情が一気に華やいだ。
「姉ちゃん!手伝いはもういいの」
「ええ。さあフェイはもう寝ないと。明日も勉強でしょう?」
フェイはまだ10にも満たない少年で、18のエルファとは少し年が開けている。義務教育が 終わったエルファと違い、フェイは少なくともあと数年アカデミーと呼ばれる教養学校へ通わなければならない。
姉の諭すようなその言葉に、フェイはあからさまにいやそうな顔をした。
「えぇー?俺ぜっんぜん姉ちゃんと喋ってないよ!」
本当に久しぶりなのに!全身で糾弾してくる幼い弟の仕草に思わず苦笑して、エルファは宥めるようにその小さな体を己の腕の中に引き寄せた。
いつもならば、もうそんなに子供じゃないと一丁前にはねつける弟だが、今夜はそんなこともなく 大人しくされるがままに留まっている。
フェイが生まれるまでの日常があったエルファと違い、彼は生まれた時からすでに姉である自分がいた。ある程度の年齢になりエルファ自身も親の手伝いに下へ降りる事が増えていたとしても、必ず両親は早めの時間にあがらせてフェイの子守をすることをエルファに厳命していたから、思えばここ数週間が彼が本当にひとりぼっちで過ごした始めての経験だったのだと今更ながらに思い当たった。
先ほどの言動といい、やはり彼なりに姉の長き不在を寂しがってくれていたということか。そんな事を考えたら居た堪れなくなった。
「ねえ、本読んだげようか」
昔むかし、まだ弟が一日の大半をゆりかごの中で生活し、自分はちょうど今のフェイくらいの背丈しかなかったころ。毎日子供二人この居間に置いてきぼりをくらって、両親は仕事をしているのだからと子供ながらに納得しても本当は寂しくてたまらなかった。
そんな時、時折買ってもらえた本をゆりかごの傍にありったけ広げ、つたない発音で朗読したものだ。まだ言葉さえわかっていなかったあの頃から、随分時間がたってしまった。それでも姉弟二人の読書の時間は、彼がアカデミーにいくようになる二三年前まで毎日行っていた習慣だ。
つい最近ふつりと途絶えてしまっていたもので、時折エルファが懐かしく思って朗読を申し出ては子ども扱いするなとつれない言葉をしかめっ面とともに返してくるのが定石だったが。
「―冒険モノなら、聞く」
ぶっきらぼうに返ってきたその言葉に、思わず破顔した。


「盗賊が岩陰に潜み三つの太陽と月を見届けた後―………」
物語の終盤より少し手前、山場の入り口にしてエルファは朗読をやめた。数分前から聞こえていた小さな寝息が、いよいよ本格的に規則正しいものへと変わったことに気付いたからだ。 ベッドサイドに手を置いて僅かに身を乗り出すと、案の定寝入った弟の姿がそこにあった。
眠りこけたフェイの幼い顔は、完全に安堵しきった子供のそれでエルファは胸をなでおろす。
額におやすみのキスを落として、エルファは読んでいた本を閉じ片付けに入る。結局読まなかった他の数本も一気に抱え上げ本棚の前に移動したエルファは、懐かしさに思わず本をしまう手をとめた。エルファが幼いころ読んでいた本は、そのままフェイのものとなっていて、その全てが目の前の本棚に収まっている。フェイは男の子だからかまったく興味を示していないみたいだが、そもそもエルファはお姫様や王子様が主人公の恋物語が大好きだった。
指は昔の思い出の片鱗をしっかりと覚えていて、あっさりと濃い青色の本を探し出す。それはかつて少女が特別大好きだった本だ。
思い出が染み付いたその本を胸に抱えて、エルファはフェイの部屋をでた。つい先刻弟がしていたように、居間の窓辺に腰掛け改めてその本を眺める。
読み込まれた本特有の手になじむ感触に、思わず口の端があがる。誘われるようにページをめくれば、 かわいらしい絵柄でかかれたお庭のなかで、きれいな少女が冠をのせて笑っていた。
生まれながらに美しく聡明で、それから誰からも愛されたお姫様。昔羨望のまなざしで読み進めた感情がそのまま去来してきて、エルファは思わず目を閉じた。感傷的になりすぎているし、こうして一人でいるとやはり昨日までの出来事はうそではなかったのだと恋しい気持ちが復活してしまうのだ。
(一人で緊張して、恋しがって。馬鹿みたいだわ)
相手はきっと、エルファのことなんて今日一日の間で省みることなぞ無かったであろう。なにせ相手は次々と訪れる各国の重鎮たちを一人で迎えようというのだ。先ほどのエルファのように、忙しさの中ですっかりと彼女のことなどすっかりと忘れ去っているだろう。計画のため、気まぐれに選んだメイド見習いのことなんて、それこそ忘却のかなたに違いない。
(でも…)
断定してしまえばらくなのに、エルファは最後までライナスに情が残ってしまう。頭から離れないのは、昨夜のこと、そうちょうどこれくらいの夜分に起こった彼との会話。そこで得た言葉とまなざしは、確かにうそ偽りなど無い様に思えたから。だからひどく混乱しているのかもしれない。窓辺に小さな吐息が落とされた。
そうだ、混乱するのだ。はなから悲しいくらい自分は若き国王の計画の一駒に過ぎず、素人の彼女が聞いてもつぎはぎだらけに思えてならない作戦は、彼女の一生を儀式の制約もろともで縛ってしまった。そうして平然というのだ、別れるつもりはないと。同じ事を昨日も言われた。手放すつもりがないと。そうしてその言葉には、どうしてか温度があったように思えてならない。それがエルファを、なおさらに動揺させ錯乱奔走のあげく、酔いしれさせてしまうのだ。
「どうしたらいいの」
狂気の沙汰といわれてもいいから、あの城に戻りたい。いってライナスに問い詰めたい。彼の真意が聞きたいが、そのあとの自分を想像すると足がすくむ。
情けない思いにぶち当たったエルファがため息をつくとほぼ同時、居間と階下へ降りる階段をつなぐ扉が遠慮なく開けられた。
「あれ、エルファだけかい?フェイは」
「母さん、お疲れ様。フェイならもう寝たわ」
手元の本を閉じ、エルファは母をまずねぎらった。ちらりと窓の外を眺めると、月の位置からいつもよりも早めの時間に帰ってきたのだろう。そんなエルファの思惟すら見通したかのような、深いミルアの声が静かな居間を制す。
「―エルファ、こちらに来て座りなさい」
改めて視界に捕らえた母は、決して笑ってはいなかった。



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