Dear Your Majesty



28.


エルファはただただ母の底知れぬ気迫にのまれた。ライナスの王者然とした気構えほどではないが、それでもミルアも負けてはいない。加えて彼女のほうは、それこそエルファが生まれたすぐそばから共にいた親なのだから、それだけでエルファには勝機がない。
素直に彼女に従うが吉と過去の経験がエルファを動かしていた。
自分にしては早いと思える動作で彼女のそばまで歩み、かつミルアが無言で指し示した椅子へと腰を下ろした。
従順な娘の反応にあえて何もいわず、百戦錬磨と酒場では評判のエルファの母は泰然とした空気のまま娘の動作を見下ろしていた。居心地の悪い空間に、弟がすでにいないことが悔やまれる。落ち着きを無くしつつあるエルファは、確実にパニックの入り口にいた。
「エル、ちょっと聞きたいんだけどね」
「な、に?」
上ずったエルファの声と違い、ミルアの声はすべらかだ。確実なる差を見せ付けつつ、母はエルファの前にようやく腰を下ろした。
おそらく下から持ってきたのだろう、手には小さなコップが二つ載っていてそのひとつはどうやらエルファのための飲み物のようだった。
差し出されたそれをおずおずと受け取り「ありがとう」と返すと、ミルアは小さく顎で頷いてから両肘をテーブルへとついた。
「あんた、いつ城に戻るんだい?」
「かあさん…!?」
驚きに目を剥いたエルファにたいし、母の態度といえば堂々としたものだった。
「なんて顔してるのよ、いったい」
まるでこちらが一方的に悪いかのような言い回しに戸惑う。エルファの気持ちの揺れにたいして、ミルアは見逃さなかった。さらに一歩踏み込んで娘の顔を見据える。何も悪いことはしてないはずなのに、とたんに居心地が悪くなった。
逃げ場などなく、あったとしてもおよそ逃げられたものでない。
エルファはおずおずと口を開いた。
「明後日。…もし帰る気があるならば」
小さなかすれたその声は、照明の絞られた今の灯火よりも頼りない。一風吹けば消えてしまいそうなその言葉に、ミルアは呆れることを隠そうとしなかった。
「もしってなに。どういうことなの」
母の追及は容赦がない。なまじ親子の縁があるだけに、それはなおさらにきつく思えた。相手の勢いに完全にのまれたまま、エルファはいい難い一連の出来事を順を追って話すことになったのだった。
エルファが呼び出され、朝が目を覚ましたら違う場所にいたというところから始まる話を自分なりに整理をしながらポツリポツリと押し出すように口を出した。
少し時間がかかったが、それでも思ったほどの時間は要さず。そんなものかと、どこか心寂しく思う自分がエルファはもう隠しようがなかった。
「で?」
「え?」
顔を上げたエルファは、反射的に全身を強張らせた。誰が見てもそれとわかるほどに、ミルアの機嫌が悪い。跳ね上がった眉を空恐ろしい思いで見やりつつ、エルファは恐る恐る目の前に座る母親の顔を覗き込んだ。
「母さん?」
どうしたのという言葉をぶつけるには、あまりにもらしすぎるその怒りの表情に、エルファはどうしたものかと考える。実のところエルファが何に対して憤っているのかが情けないことに特定することは難しかった。
「あんたは、なんで帰ってきたの」
「へ、え?」
理解するのに瞬きを数回要した。
そんな娘の有様にまさに憤懣やるかたないとばかりに、ミルアの咆哮が容赦なく振り落とされた。
「えじゃない!あぁもう、なんってこと。わが子ながら情けないわよエルファ!」
鬼をも黙らすに違いない一喝に、エルファは鬱々とした気持ちを早々に取り上げられる。驚きに目を見開き硬直した彼女に向かい、母はいかつい表情のまま憤懣やるかたないとばかりに口を開いた。
「あなた、王様のこと好きなんでしょうが!それなのに、なにを素直にのこのこ帰ってきたの」
「なっ、え、えぇ!?だって、帰れって仰ったもの」
「馬鹿だねぇ、言葉だけを信じたのかい」
唐突に静やかになった口調とは裏腹に、その言葉は刺さった。明らかにひるんだ娘を非難する思いを隠しもせず、ミルアはこれ見よがしにため息をついた。
「この年まで恋愛も碌にせずに育っちゃってまぁ。少しお上品に育てすぎたかしら」
「お上品だなんてちっとも思ってないくせに」
あまりに都合よい母の言葉に思い切りひっかかってしまう。むくれてしまいそうになるエルファは、再び真顔になった母を前にして早々に反抗的な感情がしぼんでいくのがわかった。母には勝てない。無意識に身構えたエルファよりも二足ほど早く、ミルアの鋭い言葉が少女をしっかりと捕らえた。まるで、逃げることなど許さないとばかりの苛烈さは、一日だけとはいえ悶々と脳内のみの議論を交わしたエルファにとっては強烈過ぎる。あっというまに母のペースに引きずりこまれてしまった。
「あんた王様が好きだったのなら、そこで素直にひいたらいけなかったのよ」
「で、でも!迷惑かけたくなかったのっ。そ、それに私は王様の隣にいるには足りないものが多すぎるわ」
この家に生まれたことを後悔などしていない。エルファを愛しはぐくんでくれた彼女達が貴族達の家族とおよそ劣っているとは露ほども思ってはいないが、それでも世間は家柄というものを、中身よりも血筋で見る。この下町ではほとんど起こらないその現象は、貴族社会では逆に常識であるということは知っていた。アカデミーで、上流に足がのった生徒を見たことがある。まさにそんな感じだったが、あの時はエルファにはまるで無関係だったのに。
それもネックだが、何より一番エルファが感じたのは王である彼を煩わせてはいけないということ。邪魔になるのならば、そのまま引きこもっていたほうがきっとうまくいくのだろう。あの威厳ある様で、きっと彼ならやりとげる。
「ねぇ、エル」
あやすような母の声音に、エルファは自分が再び思考に捉われていたことを知った。それも言い訳がきかないくらい。母の言葉を聞いていけない気すらして、エルファは慌てて口を開く。咄嗟に出た話題といえば、そもそも自分が疑問に思っていたことだった。
「だいたいどうして私が陛下のこと好きだなんて思うの…?」
抱き上げられ無理やり結婚の誓いを交わしたというところは、会話の要所でもあった。納得していなかったとも言ったのに。そんなエルファの様子に、ミルアは唖然とした顔をした後腕を組んだ。その様子はどうみても呆れ果てたとしかいいようがない動作で、彼女は少し困った色さえのせて娘をじぃと見やった。その視線が、どうしようもなくエルファの居心地をなくす。
どころか、次いで先方が発した言葉で居心地どころでなくなってしまった。
「私なんてあんたが帰ってきた時にすぐに気づいたわ。ドークだってそう。まるきっり恋する女の顔しといて何を言ってるんだい全く」
(それって―?)
困惑をあらわにした娘を前に、ミルアは至極優しい表情で歌うように囁いた。
「あんた綺麗になったわ。恋は女を磨くって本当ね」
「なっ・・」
母のその言葉は、本や劇の中ではいざ知らず、およそ自分に向けられるものではない。事の真偽を置いてまず顔を赤くしたエルファの耳朶をミルアの軽やかな笑い声が掠めた。
「店でも評判だったわ。エルファの恋人はどこのどいつだなんていう輩までいたものだから、父さんったら気が気じゃなかったみたいよ?」
不機嫌な調子を崩さなかった父。酒場を去る際に聞こえた、意味深な会話の断片たち。その全てがエルファの脳裏をよぎっていく。
皆して同じことを考えていたのだろうか。そう考えると、遅まきながらどうしようもない気恥ずかしさに襲われることとなった。



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