Dear Your Majesty



29.


顔から火が出るとは、まさにこういう状態なのかもしれない。
一向にひいてくれない顔の熱に、エルファはやや呆然とした心地でそう思った。
自分の気持ちが親どころか、お客達にまで筒抜けだったという。ほんの少し考えただけで、憤死ものの事実に尻尾を巻いて逃げ出せるならどこへなりとも逃げたいとすら、本気で考えてしまった。
「どうしよう、もうお客さん達の顔みてまともに接客できないよ」
特に常連など、エルファが赤子の時からの通いなどざらにいる。根掘り葉掘り話を聞かれるのも困るが、陽気な彼らはいやというほど大きな声でからかい祝福の杯をあげてくれるのだろう。否、きっとそうに違いない。なにせあの御仁達ときたら、エルファがアカデミーに入った時ですらその調子だった。それが成長話に色までのったこの話題に、からかわないわけがない。
「ばかねぇ」
心底途方にくれたエルファの呟きに、ミルアが負けず劣らず腹の底からあきれた声をあげた。
「接客しなくていいから、あんたはさっさと王様のところに帰りなさい」
何を馬鹿なことをといわんばかりの母の口調に、エルファは戸惑いを隠せない。
城に帰るとはいうことは、即ちライナスの言に逆らうということだ。そんなことをしよものなら、あの陛下は自分をどう思うだろうか。もしかしたら、もう二度と顔すら合わせてくれないかもしれないと考えることはどれもネガティブの局地だ。
「で、でも・・・陛下は」
「王様の話なんていいんだよ」
「ええ!?」
じゃあ今までの話はなんだというのだ。もう狼狽の声を上げるしかないエルファとは違い、ミルアは母たる毅然さを失わない。真剣な表情のまま、エルファの瞳を覗き込むように見据えた。
「私は王様の都合なんて聞いてないの。あんたの話をしているの、エルファ」
「あ―」
「あなたは、どうしたいの」
――『だけどもさ。あんたはそれでいいの?エルファ』
母の言葉にかぶさるように脳裏にさんざめいた言葉は、城を出ることになった前夜にクレーラからかけられた言葉だ。
篭城生活の初日どころか、メイド服を手渡されたあの時から、クレーラはもうずっとエルファの傍についていてくれた。今でこそ慣れてきていたライナスとのスキンシップも、はじめは過剰に怯えるエルファを庇って、一国の主たるライナス相手に平然と不遜を働きあしらってくれた。姉のような存在で、緊迫がとだえたことのない精神疲労が色濃いあの王妃の間で、いつだってエルファを支えてくれていた彼女が、真剣な眼差しで尋ねたその言葉。
あぁそうか、こういうことだったのかと。ミルアの言葉とともにようやっと理解した。
思えば彼女は、いつだってライナスよりもエルファの事を第一に考えてくれた。城の外に出してくれという要望にこたえてくれた例はなかったけれど、それでも彼女ができる範囲内でいつも心を砕いてくれた。
逃げてもいいとすら言ってくれたのは、今朝方の事だ。まだ一日もたっていない、彼女のあの眼差しが今再度エルファに向かって問い直すかのようだった。
「私は」
エルファは、戸惑いつつも口を開く。クレーラに問いかけられたあの時は、容易にでなかった言葉を、今度こそ紡ぎ出そうとしていた。
感情の整理がおいつかなかった。王城へ出向いてからの毎日は、誰かに踊らされているのではないかと思うほどに翻弄され続け、流れ続けた。立ち止まり行動を省み、感情を認める。そんな当たり前ともいえる重要な一呼吸が、いつもどこかに放り投げられたままだった。だから今、渦中から弾き飛ばされるかの如くの勢いで蚊帳の外に降り立った今。呆然とする心地よりも胸を締め付けるのは忙しない濁流の如き日々の中、強く煌いた高貴な光、ただそれだけだった。ライナスのことが、エルファの細胞にいたるまで染み付いてはなれない。あの人はどうしているだろうか、本当に迎えに来てくれるのだろうか。陛下の思惑がどこにあるのかが見えない。だけれども、そんな中でも繰り返された離婚はしない、手放しはしないの言葉達。
大きな戸惑いと憤慨しか覚えなかった決め付けを、今はただ縋りつくためのよりどころにしている。その事実を、エルファは今日一日、ずっと考えないようにしていた。認めたくなかったのだ。あまりにも自分の思考と感情がエルファ自身が受け止め切れなかった。
だから、エルファは逃げたのだ。
逃げたのだ、現実から。
逃げてしまったのだ、ライナスから。
「私は・・・」
相手がこちら側に気持ちがあるのかなど、エルファにはわからない。だけど与えられた言葉の中には義務以外の何かが見えたと感じた、エルファ自身の臆病な感性を、今ここで信じようと少女は誓った。
軽く息を整えて、エルファは母へ向けて口を開く。静やかな夜の空気に、自身の細い声が響く様が手に取るように感じた。
「陛下に、会ってくるわ」
「そう」
ミルアのその言葉は、否定でも肯定でもなかった。ただ静かに、娘の勇気を見守るかのような泰然とした態度を崩さない。それが今、心からありがたかった。
小さく笑って、エルファは軽く目を閉じる。が、すぐにその瞼を押し上げた。少しでも我の世界に佇むと、ネガティブと不安の嵐に萎えてしまいそうになる。ミルアのどこまでもたじろがない表情を見つめ、そのまま勢いを借りるようにエルファはそっと思いを声にのせた。
「それから、あの場所に戻るか、それとも一生関わらないのか。あの方と会ってお話して、決めたいと思う」
勝算はつかめない。元々そういったことを読み取るのは得意としないのだから今そこを嘆いてもどうしようもない。
ただライナスの気持ちがわかった時に、やはり自分の思い違いだったと悟れば誰が何と言おうが王妃という手駒から辞そうと決めた。
我が儘といわれようがなんだろうが、それだけはどうしても譲れなかった。何よりきっと役に立たなくなる。失恋を胸に秘めたまま、一生手駒として王の相手役を演じるなど、ただの町娘であるエルファには到底できない芸当だ。
尤もそんなことはエルファよりも聡い彼が、見抜いているに違いない。その場合はあちらからお払い箱を言い渡されるのが最良だろう。
(でも・・・)
もし、万が一にも、エルファの事を少しでも思ってくれているとわかったのならば。そのときは、傍に居続けようと思った。
口を再度閉ざした娘は、果たして母親にはどう見えたのか。
「それでこそ、私の娘よ」
きっと悪い風にはとられなかった。
誇らしそうに笑ってくれたミルアの笑みで、そうと知れた。



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