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Dear Your Majesty 30. 久々に歩く町に懐かしさを覚えている暇は無かった。 夜はいつも酒場で両親の手伝いをしていたから、こんな時間に外へ出るという事は皆無に等しかったから、むしろ見慣れない夜の町並みに戸惑いを覚える。これが、何もない普通の状態の夜の散歩なのならば。 普通のアカデミー上がりの娘と比べて、自分はまだ体力があるほうだったはずだ。アカデミーに通い、帰ってきたらある夜更けまで酒場で働いていたのだから。運動神経は並みだが、それでも持久力はあったのだ。 だけど今、こけつまろびつのていで走り続けるエルファの足元は心もとなかった。一ヶ月近く、ろくにリラックスできないあの部屋に詰め込まれたままで、後半はクレーラの後ろについてライナスの部屋掃除に勤しんだが、一日を総括して考えるに、明らかに運動量がたりない。それは今こうして、如実に現れ始めていた。 「っ、はっ・・・」 食いしばった歯列の間から零れ落ちる息は先ほどから荒くなる一方で。だけども、立ち止まってはいけない気がした。臆病な自分が、少しでも戻ってきてしまったらどうしたら。そんな懸念がエルファを走らせ続ける。 城下町といえど、王城まですぐにいけるわけではない。今はだいぶ落ち着いた国情だが、エルファの祖父の代は隣国の戦禍に巻き込まれたりといつも平和は隅におきざりにされていた。だからその頃の名残か、攻めはできずとも防ぐことは可能だという中小規模なこの国グミナの王の根城はいまだに敵軍の侵入を拒むつくりとなっている。だから城の入り口へいくまでだいぶ時間がかかる。そうでなくとも、こんな夜中に城の門は開いていないのに。門番の警備隊員たちはエルファの事を知らないし、他国の要人達を招いている今宵は特に不安要素は一切寄せ付けないだろう。ルータスの使いでたまに訪れていたが、だからといって入城できるかといえば話は全く持って別なのである。 ひた走りながらも、彼女は一筋の期待にかけていた。今こうしてエルファが駆けている城への道のりは、いつも叔父が通る道筋なのだという。彼はほとんどルートを変えないから、間違いなく辿れば叔父に会えるであろうという事だった。それは勿論、城の警備担当である叔父が仕事を抜け出して会いに来るというその言葉を違えずにいられたらの話で、もし彼が約束を守ってくれたとしても抜け出す時間がこの時間帯とは決して限らない。むしろ賭けに近いが、やらないよりは心持ちましなように思えた。 王城への道に進むにつれて町並みはエルファが親しむ庶民のそれではなく、どこかそっけない上流の住宅地へと続きやがてそれすらもなくなる、敵の侵入を見渡せるようにわざと見晴らしを良くした広場へと出る。その広場こそ、あの運命が変わった結婚への強制誓いの後に引っ張り出されたバルコニーで人々が集まり叫び上げた場所である。そんな知識が脳内ではためけば、当時の至近距離のライナスの表情まで思い出した。強い眼差しで紡がれた言葉達。それらがエルファの足を一歩二歩と前へ進ませてくれる。弱弱しくもかけ続けながら、エルファは両親に感謝した。一日もたたずして、しかも深夜に近いこの時間に家を飛び出すにあたり、なんだかんだといって温かく見送ってくれた。しかも叔父が通るであろう道順を教えてくれたのもその時だった。 それは彼女をこうもたきつけた母ミルアから与えられた知恵であったが、以外にもその情報を母へと漏らしたのは父だったという。 エルファの目からさりげなく視線を逸らしていたドークスは、母親に別れの挨拶をされ抱きしめられたままの娘を、ミルアごと抱きしめた。 「行って来い。誰が何と言おうと、おまえは俺の自慢の娘だ」 王になんぞもったいないくらいだ、とぶっきら棒を極めた言い様に反した言葉と頭を梳く様に撫でる大きく温かい掌と全てがいとおしくて。自分は両親に愛されているのだと、心の底から感じたのは久々だった。 その暖かさが、エルファの心に火を灯す。ならばここから先、勇気と覚悟は自分で決めるべきなのだ。 本当は一人でこうした夜更けに町外れを訪れる事は初めてで、生まれ育ったエリアとは違う明らかに最低限の間接照明や、不気味に聳え立つ城の月の照りかえりを帯びて青白く光った白壁が不気味以外の何物でもない。 足が竦みそうになるのを堪えて、エルファは懸命に走った。もうすぐ件の広場へと出る。それまではとりあえず休むことなく走り続けようと決めていたのだ。 暗がりにエルファの足が拙く地を蹴る音だけが響く。いつのまにか道の装丁がレンガ仕立てのものに変わったらしく、逸れ即ち名目上王が所有する広場へと近まった証拠であった。 限りなく一本道のそのすがら、人影を探す事にもぬかりない。これだけの人気の無さだから夜目になりきれていないエルファですらきっと何がしかの気配はわかるはずで、まずその人物が叔父であれば、声をかけてくれるに違いない。 そればかりを頼りに、エルファはわき目も振らず走り続けた。もうすぐがらんどうとなった広場にさし当たる。王都の民のほとんどが収容できるとすら言われる広大な広場は、夜目に見るとただの空き地のようにも見える。されどそこから見上げる王城というものの、なんと権威あることか。自分が今会いたい人は、その王城の中にいる。 もう一度勇気を奮って足首に力を入れたときだった。 「!」 広い広場のほぼ中央。城より降りる道から 歩いてきたとでもいうような方向に進む人影が、エルファの視界にはっきりと見えた。 |