Dear Your Majesty



31.


「え…」
思わず漏れた声は、夜の闇の中戸惑いに溢れて奇妙な大きさで響き渡った。
期待の眼差しでその人影を追っていたエルファだが、すぐにその違和感に気づいたのだ。
相手の顔はいまだみえないが、身の丈がどう考えてもルータスには及ばない。
大きく戸惑うエルファを他所に、相手はまっすぐと広場を一直線に横切っていく。それはどう穿ってみても、エルファへと向かってきているとしかいえなかった。暗がりといえど、エルファが相手のそのシルエットを判別できたのだ。その同じ事を相手ができないはずが無い。しかし、ルータスだとばかり思い込んでいた頭ではその事実に気づく前に小さなパニックを起こしかけていた。
涙目になりつつも、エルファは立ち止まっていた脚になんとか力を入れなおした。
ルータスでないのなら、再び城へと向かわなければならない。ただでさえ前途多難な道のりで、こんな事にも大いに動揺してしまう自分を思わず恥じ入ってしまったが。
「エルファ」
長すぎる立ち往生の間に詰められた距離の中で、何の気負いも無くそう呼ばれて再び驚きに捉われ立ちつくした。
女性としかいいようのないからだのライン、短く切りそろえられた艶やかな黒髪に、エルファより頭一つ分高い背丈。
なにより聞き覚えのありすぎるその声は。
「クレーラさん!」
「ん、正解」
瞳が零れ落ちんばかりに見開いて叫んだエルファに、クレーラは飄々とそう返す。たったの一日しか離れていなかったはずなのに、彼女のその仕草一つで妙に懐かしくなってくるから不思議だった。
「クレーラさーん」
幼子が母親に強請るように、それは極自然の流れのようにエルファはいきなり現れた彼女へときつく抱きついていた。発作的といってもいい。そんな彼女に対しても、やはりクレーラはただ僅かに眉尻をあげただけで、黙って受け止めてくれた。
「おんや甘えん坊さんだね。はいはい、落ち着いて。暗がりとはいえいきなり人に抱きつくのはマナー違反よ、エルファ」
ただし、窘められはしたのだけれど。
決意を秘めて城まで、一人で走りきろうと思っていた。勿論今だって、その意気込みは変わらない。今更変わりやしないのだけれど。
気が張り詰めていた状況で、唐突に城側の、それもいまや心象的に身内にも近い存在に出会えたと言う事が、張り詰めすぎた緊張の 糸を切った。 放心に近い状態で抱きつきながら、どうしてだか大きな安堵感を覚えてしまう。ライナスとは違った意味で、この先輩メイド はエルファに頼りある存在である。そうして彼女は知っていた。クレーラもまたエルファを信頼してくれているということを。
「やっぱり、戻ってきたかあ」
感慨深いとばかりに呟かれたその言葉を耳にして、エルファはその確信を深めた。何も言わなかったのに、こうしてエルファを見ただけで結論にたどり着いてくれる。なによりその言葉には、一切の嘲りはなく、むしろどこかこちら側を気遣うような色すら見せる。
些細なそのことが、どうしようもなく嬉しかったから。
エルファは小さく笑ってから、そろそろとクレーラから上体を離した。彼女の闇の帳をおろしたかのような綺麗な瞳を覗き込む。ライナスと同じ色の瞳は、静かに苦笑を彩ってただ一度瞬いた。
「クレーラさん、お願いがあります」
「―『私をあの人のもとへ連れて行って』って?健気だ。陛下には勿体無い」
嘘か本気かわからぬ口ぶりで、クレーラは顔を顰めた。王妃の間でも何度も見たライナスへの不敬な表現に、冗談と知っているからこそエルファは遠慮なく微笑んだ。
「お願い、できますか?」
クレーラなら、手助けをしてくれる。そんな確信がもうすでにある。だけど万が一ここで断られたとしても、エルファは決意を変える気など毛頭無い。警備中であろう叔父を緊急と偽って呼び出すなり、色々と浅知恵なりにも入城を頑張ってみようと決めていた。
しかし、計画上クレーラが協力してくれるか否かの違いは大きいのも事実である。祈る思いで、エルファはクレーラのそこの見えぬ黒い瞳を見上げていた。胸の内の思いが少しでも相手へ伝わればいいと思いながら。
眼差しが絡まりあう。沈黙は僅かで、すぐに柔らかな笑み崩れる音で場は満たされた。
「今更でしょうに。―任しときなさい」
そのあまりにもあっさりとした快諾の言葉は、心強く頼りあるの一言に尽きた。




だけど。
どうしてこんなことになっているのだろう。
エルファは内心でもう何度問うたか分からぬその疑問は簡単に消えるものではない。
「あ、の!クレーラさん」
「しぃー。静かにね。私この時間はまだ、ほんとはここにいちゃいい時間じゃないからさ」
「あ、あ、すみません」
せっかく勇気を持って口を開いたのに、あっさりと彼女のペースでいなされると慌てて口を閉ざす。もうそんな事を幾度か繰り返した後だった。
(それにしても…)
エルファは物めずらしげに室内を眺める。小さくくりぬかれた窓からは、かろうじて王城の砦のように聳え立つ外壁の一部が見えた。王妃の間の高さと比べると段違いに低い場所にある。
あれだけ意気込んで入城を考えていたにもかかわらず、エルファは実に簡単に城内へと入り込むことに成功した。勿論エルファというよりは、目の前で準備に忙しいクレーラのおかげである。
クレーラは善は急げとばかりにエルファの手首を握り締め、エルファを城門とは違う方角へと導いた。
それはよくよく考えるに、彼女が朝方城から送り出してくれた通り道と同じ場所であるようで、しきりに納得したものだ。クレーラ曰く使用人専門の小道だとかで、暗がりに紛れてエルファはそのままクレーラの先導に身を任せた。
そうして着いたその建物は、王妃の間とは違ったが確実に見覚えがあるものである。それは彼女がたった一日だけ、部屋を与えられ疲れ果てて寝入ったメイド使用人の住居棟だ。
日付が変わるにはあと数刻はあるという頃合の中で、今はほとんどの使用人が男女を問わずに出払っていると言う。はからずしも明日明後日と控える他国への結婚披露のためであると。そのため比較的灯台下暗しのこの状態を利用せずにいられまいというのがクレーラから説明された全てであった。
尤もクレーラは、事態が事態でなければ直接ライナスの部屋へ乗り込むのにと当たり前に言っていた。やはり一メイドとクレーラでは格というものが違うのであろうと、エルファはクレーラの自室に視線を巡らせた。
初日にエルファへと宛がわれたそれよりも、確実にクレーラの部屋の方が綺麗で生活もしやすそうである。
そんな事に気をやってしまっていたものだから、唐突に「できた」と響いたその声にエルファは小さく声を上げて驚いてしまった。
「ん、完璧。じゃあ、さっきと同じルートで棟からでるよ。そこから先は朝方通ったルートとほぼ同じだから。わかった?」
「わかりました、けど。あの…クレーラさん」
「何?」
おずおずと頷いて見せてから、エルファはようやっとクレーラの注意をひきつけることに成功した。そこにはもうすでに見慣れた使用人への支給服をしっかり着込んだクレーラが楚々としてたっている。完璧なのはむしろクレーラのほうだと思いつつも、エルファは複雑な気持ちで自らの衣装を見下ろした。
上品ながらも動きやすさを重視されたワンピース状のドレス。丈も待ち娘が着用するものとほぼ同じ膝丈のもので、黒の限りなくフラットに近いヒールを履いたその姿は。
「どうして、私もこの格好を…?」
メイドの姿以外の何物でもなく。
エルファの不安そうなその言葉に、クレーラといえばただにいと不敵に笑って見せて。一切のコメントを与えてはくれなかった。




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