Dear Your Majesty



4.
「反応が過剰だな」
クツリと笑うその声は、決して大きくはいないのに、エルファの体中を響き渡る。
深く、低く、豊かな声音。
家の職業柄、吟遊詩人や楽団等の一芸に秀でた類のものと接する 機会は周りの子供達に比べて格段に多かった。
美しい舞、異国のロマンスをかたどった劇、陽気な歌声。
色々なものを見てきたし、聞いてきたと思っていた。
それでも、ここまで神秘的な声をエルファはいまだかつて、知らなかった。
こんな、声だけで全てを絡めとることが可能のような。
エルファの体の意思を奪い、心にピタリと沿うような、そんな恐ろしく極上な声。
(だ、れ…)
一体どんな人が、こんな声を出せるのだろう。
胸がドクリと嫌に大きな音を立てる。本能がゆるやかに、されど確実に何かに向けて 反応を示していた。
「恐れながら、申し上げます。着替え中の女性の部屋に勝手に入るなどと、品性を疑います。陛下」
好奇心に駆られて顔を横へ、男の姿を視界に納めようとした時だった。
改まった話方の中にも棘と呆れをも含んだクレーラの言葉に、体が強張った。
間違いなく、彼女は今陛下といった。
(じゃ、じゃあこの人が…っ!)
「…ぇっ」
急いで顔を上げて、エルファは思わず息をのんだ。
闇夜の奇跡をそのままに映す、漆黒の瞳がエルファをしっかりと映していた。
人の造詣の標準値をあらゆる意味で上回る男だった。
瞳と同じ艶のある黒髪の下にある、美しいというよりは、男らしい精悍な顔つき。
すらりと長い背につりあう引き締まった体躯は猛々しいが、 まとう雰囲気は所作は限りなく優雅で気品に溢れていた。
(この方が…)
「国王、陛下…」
エルファとは実質ほんの二つ程しか、歳は違わない。それなのに、この歴然とした差は何だろう。
背に負うものが違うだけで、こうまで人の成りは変わるものなのだろか。それとも彼の場合は、 生まれ持ったいわゆるカリスマというものも含まれているのかもしれない。
姿を目に留めただけで、エルファはもう力を持たぬ赤子同然だ。何も言えずに、ただただその 存在に圧倒される。
口も利けず、ただ彼をみ見上げるだけだったが、はと我に帰ってうろたえた。
腰に手を添えられたと思ったら、いきなり引き寄せられたのだ。
「陛下!」
嗜めるクレーラの声と、おもしろいほどに硬直したエルファの反応を楽しむように、国王陛下は 笑うのみ。
(何なの、この人…!)
甘い顔立ちではない彼が笑うと、それだけで表情が幾分か和らぐ。
娘達が騒ぎ出しそうな貴重なそれだったが、エルファにとってはそれどころではないのである。
いくら彼のお方がこの国の王で、相手が城下町に住む小娘であったとしても、いきなり 腰をひきよせるというのは、失礼にも程があるのではないか。
ただただ鈍い頭の中で、そう思った。
(これじゃあ、お店に来る人たちと何も変わらないかも)
歳若く、根が真面目なエルファは、店の常連の親父連中によくからかわれる。
時には手を握り、こうして腰を攫われてからかわれる事は、大変不本意なことだがある程度の 面識があった。
店の手伝いの時のように振舞えばいいのだ。
相手は客だと考える事で、エルファはようやく完全に我を取り戻した。
客ならば怖くない。これでも客のあしらいは上手いほうだったのだから。
相手に気付かれぬよう一呼吸おいて、エルファは気合を入れなおした。
(相手はお客様お客様お客様)
入念にマインドコントロールをすませ、それからおもむろにエルファは腰の上に回ったままの陛下の 掌に、そっと手を載せた。
ピクリと、ほんの微量であるが相手の気配が動く。それにあわせるように、ゆっくりと顔を上げ 営業用と同じ害の無い笑みを浮かべた。
うろたえていた少女の唐突な変化に、相手は驚くかといえば普通だった。むしろ片眉を上げて どこか楽しそうにこちらを見下ろす。微かに好戦的な香りがする態度に内心おびえながらも、それでも エルファは勤めて平静を装った。
母がいつも言っていた。脅えや怒りはただ相手を煽るだけなのだと。
『笑って、へっちゃらって顔してなさい。何でもないとばかりにやりこめてやったら、それで勝ちよ』
母の言う事はいつも一理ある。今回もエルファはそれを実行することにした。
「国王陛下」
「ライナスだ」
「…ライナス陛下、初めまして、昨日より雇われましたエルファと申します」
一メイドらしく挨拶できたかは定かではないが、クレーラが何も言わないのだからそこまで へまはしていないのだろう。
エルファは挨拶を述べながら、そっと相手の手に力をいれ、そのまま腰から離そうとした。
興ざめとばかりに相手からその手をどけてくれる事すら、考えていたのだが。
(な、なんでっ…?)
手はそのまま自分の腰に置かれたまま。どころかさりげなく力が強まっている。
笑顔の仮面の下で、半ばなきそうになりながら、エルファはライナス陛下を見上げた。
視線にありったけの自分の意思を込めて。いや、忠実に記しなおすならば、悲壮なる哀願をこめた 視線で見遣っていた。
ライナスは、そんな彼女の様子すら嬉々とした様子で黙ってみているのみである。
奇妙な沈黙に耐え切れなくなったのは、エルファだった。
もう笑ってなんていられない。言葉尻だけは失礼にならないようにとそれだけ注意しながら、 エルファはおずおずと口を開く。
「あ、の。手を、のけてくれませんか」
「何故?」
何故!
陛下は―、ライナスは、平然とそんなことを聞いてくる。
その一片の後ろめたさもない調子に、エルファは大きくたじろぐ。ただでさえつぎはぎだらけだった 防壁が、音も無く崩れ落ちていく。
そんな哀れなエルファを救ったのは、やはり頼りになる先輩メイドだった。
「陛下、いい加減にしてくれますかね。エルファが困ってます」
「おまえこそ、少しは気を使え」
「嫌です。とりあえずエルファこっちに返してくれませんか」
いつまでたっても仕度が終わらないじゃないですかと文句を言いながら、クレーラはエルファの腰に まとわりついた問題の手をいともあっさりと振り解いた。
(すごい…!)
一国の王に対してのあまりにも粗雑な扱い方に戸惑いながらも、エルファはクレーラに尊敬の 念を抱いた。
あの手を振り解くことは不可能かと思うほどにピクリとも動かなかったそれを、彼女はいともあっさり とやってのけたのだ。
やはりクレーラは信頼における先輩なのだとエルファは彼女の存在を頼もしく思った。
「エルファ大丈夫?生きてる?気分悪いところない?」
「あ、はい」
「―いってくれるな、クレーラ。俺は害虫か」
苦笑が滲むその言葉に恐る恐る振り向く。若き国王は、不満でもあるみたいに娘二人を見下ろしていた 。
「害虫でしょう。少なくとも、エルファにとっては」
「俺が害虫なら、他の男は塵以下だな」
普通に言ってのけた、その言葉の傲慢さにエルファは思わずライナスをみた。
自意識過剰にも程があると捉えられかねないその言葉も、この男が言うとしっくりくる。
最早唖然とするしかなかったエルファは、やはり当然とばかりに伸びてきた腕に逆らうという術を 知らなかった。
「やっ…!?」
「なっ!陛下!」
爪先が床から離れる感覚と、いつもならありえない目線の高さと他人のぬくもり。
横抱きにされ、しかも相手はそのままどこかへ移動しようとし ているのだと気がついた時は、クレーラの悲鳴のような声を耳に入れてからだった。


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