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Dear Your Majesty 5. 背と膝に感じる掌の厚さに、たくましく弾む心音。 体中で感じる彼の存在に、エルファは戸惑い困り果てた。 聞かなければいけない事、知らなければならない事が山ほどあって、全ての鍵を握るべく人物は 自分を抱えてそのまま城内を移動中。 そう毎度会えるわけではない相手なのだ。 エルファが今しなければならぬ事は、相手に疑問を 晒すことであって、断じて今のように頬を染めて相手の存在を意識する事ではない。 あまり色恋ごとに興味が無かった。だから、ライナスの突然の行動に、なす術も無く固まって しまう。 そんなエルファの様子を、どこか楽しそうにライナスが見下ろしていた。 「大丈夫か?」 白々しくもそんなことを聞いてくる。エルファの状態など、とうの昔に承知しているはずであるのに。 わかりきった問いの答えを ねだる相手に戸惑いつつも、それでもエルファは正直に首を横に振った。 実際、まったくもって大丈夫ではない状態だ。国王陛下に触れるどころか、恐れ多くもあちら側から 触れられ抱き上げられている。 そんな少女の必死な 仕草ですら楽しいとばかりに、ライナスは口元を微かに緩めてエルファの顔を覗き込んでいた。 「素直だな」 深いその声に、多少なりとも愉悦が含まれていると感じたのは気のせいであろうか。 どこか機嫌のよさそうな陛下を見上げ、エルファは少しためらった後ようやく口を開いた。 「あ、の…聞きたい事が」 「何だ、言ってみろ」 遠慮がちな尋ねに返された、堂々とした了承の言葉に魅惑的な声。 こちらは揶揄を跳ね除ける元気もないというのに。 (このままじゃいけない) こんなに近い、文字通り相手の懐の中ではまともに聞けずじまいで終わってしまう。 悩んだ末にエルファはしっかりと顔を上げた。 「まず、その、…おろしてください」 彼女が要請を口にするやいなや、視界に収めた景色が突然動かなくなった。 なぜか不気味なほどに誰もいない長廊下の中央、抱き上げられたままの姿勢でエルファは思わず 息をつめた。 自分の発言が聞いてくれるのだと思って 再度見上げた先でいささか不満げな色を称えたライナスの瞳とかちあったからだ。 「…何故」 目を細めて、こちらの同行を探るような仕草に少しだけトーンの下がった声。 その両方に内心泣きそうになりながらも、エルファはなんとか持ちこたえた。 「状況に、まったくついていけないから、です」 本当はそれだけではない。異性というものの存在との至近距離を苦手とする自分の自衛のためでも ある。 「状況?」 「は、い」 コクリと首肯すれば、若き国王陛下は考え込むような顔をした。 「俺に抱き上げられている、それだけでは足りないか?」 「だっ…だき、あの、その…。それもですが、だいたいどこへ行くのかも、そこで何をするのかも」 そもそもどうして私の寝室が変わってて、寝巻きまで 変わってて、今こうしてドレスを着て、恐れ多くも陛下と会話をしているのかも。 全てが、エルファにとってはわからないままである。 「何も聞かされていない私は、御指示を頂けなければどのように 立ち回ればいいかもわかりません」 最後にそういえば、しかめっ面をしたライナスの顔が間近に迫っていた。 あまりにも近い距離に驚きのけぞろうとしても、相手がそれを許してはくれなかった。 「あ、あの…陛下?」 「ライナスだ。言ってみろ」 命令同然のその言葉に、自分は何も悪くないといわんばかりの堂々とした態度。 カリスマめいたものを感じながらも、心で考えるよりも先にエルファは従ってしまっていた。 「ライナス…陛下」 「陛下はいらん」 「………では、ライナス様」 かなりの葛藤の上で、恐る恐るそう呼べば、いまだ不服そうな顔をしたライナスがこちらを見下ろして いた。 「―ほんとうは、呼び捨てでもかまわないのだが」 まぁ、今日はこれくらいにしておいてやろう。 ボソリと、吐息ともおれるほどの声量で付け加えられたその言葉は、近くにいたエルファにも 聞こえなかった。 「まず、エルファ」 「はい」 何を命じられるのだろうか。 身のうちに潜む 緊張に苛まれながら、それでもエルファは真剣に相手へと向き合った。 「おまえ、劇か本か…とにかく物語の類が好きだろう」 「え…?は、はい」 確かにエルファは物語と呼ばれるものが好きだった。 両親の仕事場に来るのは、なにも地元の住民だけではない。 様々な国からきた色とりどりの職業の客が気まぐれに語る体験談や各地方の夢物語は幼い頃から いつもエルファの心を興奮へとかきたたせる。 ライナスの言うとおり、それは事実ではあるが、何故そんなことを断定にも似た形で尋ねられ なければならいのかが、エルファにはさっぱりわけがわからなかった。 そんなエルファの様子から答えを正確に読み取ったのだろう。だしぬけにライナスは 柔らかに笑んだ。 肩の力を抜いたその笑みに、不覚にも少女の胸は高鳴った。 「やはりそうか。こう、会話をしているだけでも わかる気がする。よくそこまで話を広げられるな、感心する」 クツクツと喉を鳴らして笑う相手のその声に一瞬聞きほれてから、エルファは言葉の意味を汲み取って ただ目を瞬かせた。 (え、違うの…?) 「じゃあ、やっぱり新入歓迎のどっきりで正解だったのかな」 「………―――何?」 ぼそりと無意識に晒した思惟に、ライナスはといえば酷く驚いた顔をした。 言葉遣いのせいかエルファよりも一回り以上年離れた様子をみせる国王も、 今はただ二十歳と呼ぶに相応しい若者らしい表情で、その反応にエルファは大きく安堵した。 自分となんらかわらない若者らしい仕草に、エルファの胸のうちにあるライナスに対する畏怖が 少しだけ消えた。 (だけども、この調子ではその答えも違うのかもしれない) ようやく平静を取り戻したらしいライナスをちらりと見上げ、エルファは自分の考えを確信へ変えた。 ライナスが呆れた様子でこちらを見下ろしていたからだ。 その視線にいたたまれなくなって、エルファは他に何か可能性がないかを焦る脳内で考えた。 「あ、あの、えっと」 「もういい。状況を把握できていないという意味が、充分にわかったから」 ため息一つ添えられたその言葉をもらうと同時に、エルファの視界はまたも不安定に揺れた。 ライナスが歩き始めたのである。 迷いのないその足取りに気を取られながら、エルファは今から何が起こるのであろうと不安と共に 考えた。 答えがでないということも、悲しい事にわかっていた。なにせ会話を交わしたというのに、結局 ライナスからは一つも答えをもらっていないのだから、考えようがない。 そんなエルファの戸惑いを、ライナスは正確に捉えているようだった。 「心配しなくてもいい。おまえには俺がいる」 低いその声は重厚で、エルファの全てをあっさりと奪っていく。 言葉の意味を、どう理解していいのかなどエルファにはさっぱりわからない。 されども当然とばかりに言い切ったその調子、近くにある瞳の迷いない視線に、エルファは 抗う意思すら根こそぎ取り上げられたも同然だった。 だから、と深い彼の声に導かれるように、エルファは前方を見遣った。 長い廊下の行き止まりは、大きな観音開きの扉が待ち構えていて、その 向こう側からたくさんの人の気配 がする。 そして明らかに、ライナスはそこに向かっている。 一体これから何がおこって、自分はどうすればいいのだろう。 内からじわりとこみ上げる不安と恐れから彼女を救い上げるような、ライナスの 深い声がエルファを包み込んだ。 「おまえは、覚悟だけ決めればいい」 扉はあっさりと、二人を飲み込んだ。 |