Dear Your Majesty



7.
「あ、あのっ!はじめるって何をですか?」
目覚めた時からありえない事の連続で。もともとあまり意見を強くいえない性格もたたってか、 何度か勇気を出していったはずの同じ内容の質問も、結局のところエルファに答えはかえってこなか った。
だからだろうか。今更ながらに怖くなったのだ。自分が何に巻き込まれ、どうなっていくのか。
第六感というものの存在はエルファには縁遠いものであるはずなのに、先ほどから ずっと心の奥底を見えぬ手でそっと撫ぜ上げられるような変な感覚が離れない。
そんなエルファを前に、落ち着きをなくしたのは目の前の麗人だった。
「―ライナス?君、まさか」
尋ねるその声がどこか震えているようにすら聞こえて、エルファは恐々と顔を上げる。
宰相殿はその美しい 笑顔を保ってはいるが、あきらかにその 質がかわっている。凄みが増したといってもいいだろう。
「そのまさかだ、ヴァン」
そんなエヴァンスの変化に戸惑う彼女を抱えたままの男の声はといえば、呆れてしまうほどに かわりはない。ただ最後に吐き出されたため息がどうにも自分のせいのような気がして、 エルファは余計居心地が悪くなった。
「エルファは状況についてこれてない。とりあえず全部終わってから説明する」
「ちょっと待ちなさい。それじゃああんまりじゃないか!」
「あんまりとは何だ。失礼だな」
口調が荒くなった若き叔父相手に、ライナスはクツリと哂う。
「俺の覚悟はもう決まってる。それがどういう意味かわからないおまえではないだろう? ―ヴァン」
気の毒そうにこちらを見遣るエヴァンスのその視線の意味すらわからず、どころか それを注視することができないでいた。
エルファはクレーラ曰くそもそもの元凶であるという男から視線を逸らす事ができなかったのだ。
話題の確信まではわからない。だけど確実に自分自身に重要な内容だという事は、いくら 疎いエルファにもわかるのに。
迷いない瞳を静かに光らせ、殊更聡明なその声を聴くだけで空いた口はゆるゆると閉じてしまう。
(どうしちゃったの、私)
いくら人に流されやすい性質だからといって、ここまで理不尽な事をされたら常ならば黙っていない。
時折気の強い面だってある自分だから、こんなにもたじろいで、尚且つ従順にも相手の意のままで いるという事がエルファ自身も、到底信じられなかった。
「さっさとはじめるぞ―覚悟はいいな、エルファ」
「あ―…」
毅然とした声、横柄ながらもそこから垣間見る真摯さ。
なにより一瞥で相手をひれ伏せるに違いない、その強い眼差しに何もいえない。
(なん、で―?)
言えばいいのだ、理由を説明しろと。
今がそれをいえる、最後の好機であろうことは想像するに容易いのに。
これ以上後に言ったとしても、何も聞かなかった自分だって悪いのだから、そこまで強くいい返せな くなる。
ようやっと正常化した危機感に従うように、かすれる声を絞り出すことに成功した。
「あの―何がはじまるんですか。私は何をすれば…」
「さっきもいった。おまえはただ覚悟をきめればいい。後は俺が、全身全霊でおまえを護る」
(護るって、そんな―)
国王陛下が体をはって護るほど、危ない事態に自分は身を置かねばならぬというのか。
怖気が走る感覚をどうんかしようと、エルファは無意識に体を強張らせた。
「そ、そんなに危険なのですか?」
「―危険?」
「だから言ってるだろう。エルファは全く事態を飲み込めていないのだと」
エルファが漏らした言葉の意味に対してか、当惑した様子のエヴァンス。
そんな彼に浅いため息をおくるライナスの態度はいたって普通で、どこか泰然としてみえるから 不思議だ。
「まぁ、ある種未知の世界だからな。でも大丈夫だ。俺とおまえならなんとかやっていける」
口の端をにっと引き上げた彼の顔が、エルファを楽しそうに見下ろしていた。
「やっていける…?」
何をやっていけるというのだろう。
先ほどから目的語が抜け落ちた会話ばかりで、的を得ないその会話はエルファを大いに当惑させ、 同時に苛立ちを助長させていく。
遅まきながらもようやっと自分のペースを取り戻した少女は、 焦りと不安もあいまって無意識に唇を歯噛みして俯いた。
流されやすい自分だが、それでもこれはないだろうと思う。
今朝は目覚めのその時からもう既にエルファの理解の限度を超えていたが、ライナスの行動は彼女に 容易く不安というなの混乱を与え続けた。
クレーラがいてくれたらいいのに。
昨日会ったばかりの先輩メイドは、それでも彼女に事態を説明しようと試みてくれた唯一の存在で。
それどころか、目の前の国王という絶対権力の称号を持つライナスにすら物怖じしない彼女さえ いてれたら。もう少し事態はエルファが望むようにすんなりと終わってくれていたのかも知れない 。
男のすらりと整った指先が、切々と悩むエルファの唇にそっと触れた。
今まで親にすらあまりされたことのないその行為に固まるエルファの顔を覗き込む男の表情は 眉根をよせてどこか不機嫌そうだった。
「傷になる」
ポソリと落とされたその言葉が、何をさしてのことかがしばらくわからなかったが、 彼の指先がいまだに口元をさまよっている事や、無意識に強くかんだ下唇を思い出して ようやっと我に帰った。
「―陛下には、関係のない事かと」
我ながら、生意気で不遜な言葉だとは思ったが、エルファにはそれだけいう事が精一杯だった。
それでもメイドという雇われの身としていけなかったのかもしれないと、一段と 釣りあがってしまった彼の眉をみながらぼんやりと考えた。 それでも言い直そうとは思えなかった。
(だって、何一つ教えてくれない)
唇の心配をする時間があるのならば、真っ先に事情を開示して欲しかった。
「関係は充分すぎるほどにある」
だから、と小さく呟かれたはずの言葉が、エルファにはやけに大きく響く。
顔面に近づいてきた整った顔に、悲鳴すら出せずに固まるしかなかった。
「おまえは何も不安になることなんてない。この俺にただゆだねればいい」
「なに、を…」
掠れた少女の問いに、不敵としかいいようのない笑みがライナスを彩る。
「全てをだ」
踏み出された大きな一歩。揺れる視界の端に、先ほどより近づいたバルコニーがチラリと見えた。
「全て…って。君ねぇ、ライナス」
「うるさい、ヴァン。ちょっと黙ってろ」
鋭くそう返しながらも、ライナスの視線はエルファに留まったままで、 怖いほどに男らしいその相貌にエルファは流されぬようにと身構えた。
一寸でも機を取られている時点で、それも得策とはいえないのだが、エルファにはそれ以外の術はない のだから仕方がない。
精一杯でもってひたと見返すメイドに何を思うのか。先ほどの不機嫌が一瞬の嵐とでもいうかのように ライナスは口の端を軽く緩めた。
「いいか。よく聞け、エルファ・トノア」
フルネームを不遜に呼ばれ、エルファは目を瞬かせる。
そんな彼女を腕に抱いたまま、ライナスはすうと息を吸い込んだ。

「今日からおまえは、俺の伴侶だ。拒否権は無い」

唐突に告げられたその言葉の意味を、エルファが理解するよりも早く。
額、鼻の頭、それから唇へと振ってきた口付けに、エルファの思考は完全に破壊された。


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