|
Dear Your Majesty 9. 「クレーラさん、そこをどいてくれませんか…?」 「いや、私個人としてはさ。おおいにどいてあげたいんだけど、それをすると私のお給料がいやそれ より私の首が危ないんだわ、正直。そこんとこわかってくれると嬉しいんだけどな」 豪奢な部屋の中で、二つの声がぶつかる。 ため息がでるほどの調度品に囲まれた部屋を背後に立ち尽くして、 無駄に大きいといわざるを得ない扉の前にもう一方は立ちはだかって。 異様なことこの上ない状況においても、ドアノブをさりげなく握り締めたままのクレーラは微動だに しない。 彼女の落ち着いた声音が、より一層もう一方のエルファの悲壮なる願いを浮き彫りにさせていた。 「わ、私は帰ります!何が何でも家に帰らせてもらいます!」 「えーっと…、だからねエルファ。それはもう何度も何度も話し合ったでしょう。今は無理なんだって 」 数時間、いやエルファがこの部屋の"主"になってから幾日、数え切れぬほど行われた問答に、クレーラ は同情的ながらもいささか疲れた顔でエルファの肩に手を添えた。 「騙されたにせよ何にせよ、あなたは今国王陛下の御妃様なんだから。むやみやたらと城の外に 出す事はできないのよ」 それは城の外こそが、本来の自分の場所だとしてもだろうか。 心の中でそう皮肉ってしまいながらも、エルファにもそれはわかっていた。 騙されたといってもいい。数日前の忌々しい朝の出来事は、確実にエルファの生活から 平凡な日常というものを取り上げてしまっていた。 あの日、目覚めてからほんの十数分の間で行われた”結婚式”は、正式な王族のしきたりなのだと 教えてくれたのは、あのライナスの叔父・エヴァンスだった。 すべては仕組まれた事、だけど張本人の自分だけが知らなかった。 (酷すぎる…!) 「まあま、エルファ。私がお茶を入れてあげるからさ。ちょっと落ち着こう?愚痴ならいくらでも 聞いたげるから」 強引に椅子へとすわらせたクレーラは、エルファに笑顔をむけて手早くお茶の準備を始める。 本来なら自分だって、そうして働いたはずなのに。 実家にいたときなら、そろそろ昼時のピークに備えて忙しなく厨房で動き回っていた時間。 それがどうしてこんなことになったというのだろう。 ため息をつきながら、エルファは怒り覚めやらぬあの"結婚式"の後のことを思い出していた。 「ほんっとうにごめんね、エルファ。うちの甥っ子が申し訳ない」 「もうそんな前置きはいりません。いりませんから、どうしてこうなったかをいい加減教えて くれませんか」 バルコニーでの王妃お披露目の儀の後、朝方の部屋に戻ってきたエルファはクレーラに抱きつきながら エヴァンスら王族二人をにらみつけた。 ライナスにエスコートされて帰ってきたエルファは、ずっと待機していた先輩メイドを一目見て から、元気を取り戻した。 「クレーラさん…!私もう信じられるのはクレーラさんだけです!」と叫んで彼女にしがみついて 放れない。 クレーラも一連の儀式を知らずうちに終えてしまった不幸なる少女を盛大に甘やかし宥めるものだ から、この話し合いの場に一介のメイドである彼女がここにいることを誰も追従できずにいる。 エルファの精神を通常に保つためにも彼女が必要だとわかっているため、退室の声は誰からも かからなかったというのも事実だった。 「うーんと、何を話せばいいんだろうか」 「恐れながら申し上げます。とりあえず全部ではないでしょうか」 弱り声の宰相に至極もっともな事をいうクレーラの声がエルファには頼もしい事この上ない。 尊敬の念で彼女をみたエルファは、背に視線を感じてゆるゆると振り返りその一連の動作を後悔 した。 (な、な…っ) 騒動の主格である男が、意味ありげな表情をよこしてきている。余裕たっぷりのその態度は 威厳が溢れ、狼狽しきりのエヴァンスとまるで対の置物のようだった。 あの覇者はかくありきとばかりの眼差しは、一般庶民であるエルファには到底太刀打ちできない力が ある。例に漏れず固まってしまった少女を試すように見据えたまま、 ライナスはおもむろに口を開いた。 「俺が隣にいるこの狸と弟のせいで国王という地位に着かざるをえなくなった時、隣国をはじめ 数多の国から婚姻に関する交渉が一気に盛んになった」 平坦な彼の口調に導かれるように、エルファは二年前である当時を思い出す。 そういえば、新王がどこの国の姫を嫁に貰うのかでエルファの家の酒場でも持ちきりだった。 (バッカスさんたちが、よく渡りの人といいあってたな) 陽気な職人の常連を思い出し、エルファの胸に懐かしさがよぎる。 一昨日まで顔を突き合わせていたあの 男の変わりに、目の前にいるのは国王陛下だ。世の中何が起こるかわからないものである。 「近隣の国を見渡しても、俺はかなりの若さで冠を受け継いだからな。婚約者にあたる人物すらいなか った俺は、俗な言葉でいえばお得だったんだろう」 失敬な奴らだと一度眉をしかめて、ライナスは小さく息をはいた。 「これまで国政の調整と安定のためといってそういった縁談は先延ばしにしてきたが、二年 が限度だ。もって精々あと一年だったろうな」 「…それで?」 そう、それでなんだというのだ。 ようやっと落ち着いたはずの警戒心が、再び鎌首を擡げてきているのがエルファには わかった。 落ち着けるわけが無かった。 なぜならライナスという男は、不敵な笑みをみせつけてやまないのだから。 「だから先手を打った」 「は?」 二の句も告げずにいるエルファの前で、ライナスはニヤリと笑った。 「俺は誰の指図をうけるつもりもなかったからな。近頃内からも外からも見合い見合いとうるさくて かなわん。故にさっさと結婚してしまおうと思った。それなら誰も文句はあるまい?」 「い、意味がわかりません!」 文句など、それこそ四方八方から飛び出してくる事請け合いである。 被害者のエルファは勿論、グミナ国中枢部はては他国の政府機関にまで及ぶ大事をこの男はそんな 理由で突破しようとしているというのか。 (無謀すぎる…!) 横暴すぎる解決案は、褒められたものではない。エルファにしてみれば、その 案のどこが物事の解決に導いているのかも皆目理解できなかった。 王とは思わぬ子供のような一本通しの理論に 愕然としていたエルファは、ふいに気付いてしまった重要な事実に唇を戦慄かした。 「そ、それなら私じゃなくたってよかったじゃないですかぁ」 「む、気付いてしまったか」 「むじゃないですよ、クレーラさん!それにそんなことなら結婚するふりでもよかったんじゃない ですか?それなら私だって事前に話してくれたら、了承したかもしれないのに」 振りなら、顔をできる限り隠す事を条件できっと是としただろう。エルファとて、そこまでいけずで も内気でもないのだから。 「無理だねぇ」 「振りなんてそれこそやる意味がないぞ」 そんな少女の訴えを、それまで沈黙を 護っていた宰相と国王は一笑に付す勢いできっぱりと否定した。 「そ、そんなことは」 「じゃあ聞くが。ふりといったが、いつまでそれをすればいい。解消したらしたでその理由は? どんなに巧妙に隠そうが、そういったものは必ず後に明るみにでる。国王である 俺がそんなことをしてみろ。それこそハイエナ供のお出ましだ」 何の感慨もなく言い捨てたライナスに対してその隣に座るエヴァンスは笑ったが、特に異論 はないとばかりに甥の言葉に続いた。 「"こちら"としても、馬鹿げた狂言をされるよりは結婚で出し抜かれたほうがね。まだ、ましなんだ よ。だから協力したんだ。勿論君をないがしろするつもりじゃなかったんだよ。そこのところは わかって欲しい、エルファちゃん」 真摯なその表情に何もいえずになったエルファに留めをさすように、ライナスが不遜な色を 隠しもせずに笑った。 「どちらにせよ、俺はお前以外の相手を妻にと考えていなかった。だから諦めろ」 本当に、どうしてあの時もっと強く反論しなかったのだろう。 突如グミナ国の王室に現れた庶民出の妃は、その話題性故にあてがわれた部屋に軟禁状態である。 常々両親を助けるために動き回っていたエルファにとっては、大人しくできるわけがなく、 息苦しくなると脱走にもならぬ脱走劇をクレーラ相手に繰り返すという無味乾燥な数日を過ごして いた。 身体的にも精神的にも限界を今にも超えてしまいそうだ。 そもそもいくら自分がグミナの一国民といえども、国王にここまで尽くす必要がどこにある。 相手が困ろうが、たとえそれによって国家が覆る事態に発展しようが関係ない。 自分は何が何でも家に帰る。 そこまで考えるようになった時、まさに彼女の気を削ぐかのように扉の外側から軽快な ノック音が響き渡った。 |